カテゴリー「Weiss」の11件の記事

L'Infidèle は「不実な女」が面白い

先日のBWV998と「三位一体」の考察の記事の中で、バッハのマニフィカトをの一節を紹介していたら、話が脱線してしまったので改めてその部分をここに抜き出して紹介したい。

バッハのマニフィカトBWV243の第8曲「権威ある者を座位から下し、卑しき者を高うし」のには「権威ある者」、「卑しき者」を象徴するフレーズがある。

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上の「卑しき者」のフレーズの冒頭部分に続いて「権威ある者」を表わす次の部分が続く。

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力強いがいかにも高慢で乱暴な印象を与える。その音型は、ヴァイスのリュートソナタ(組曲)『L'Infidèle』(不実な女) の第6曲(最終楽章)のペザンヌ(Paysanne)のそれと酷似する。ここでは、まさしく高飛車で傲慢な「不実な女」そのものを表現している。

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 最近風潮されている『L'Infidèle』=「異教徒」という訳は穿ちすぎであろう。ヴァイスが生まれる前の1683年のトルコを第2次ウィーン包囲を根拠にすること自体はなはだ疑問である。

  メヌエットの第2小節目の短調の下降音は

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いかにも妖しげに響くものの全体的にはこれといったトルコ(異教徒)の風情を見いだすことができない。後半分の上声部と低音部の応答(ディアローグ)は未練がましく言い寄る男とそれをもて遊ぶ女を表わす。

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バロック音楽において、ある音型(フレーズ)で感情や情景を表現するというこうした用法は一種のお約束ごとである。バッハにも「涙」や「ため息」を表わす音型がある。歌舞伎の役者の仕種を見て通はその意味をくみ取る。同じく音楽の心得があっても無くても2声の応答は、誰しもが、それが器楽曲であっても、(オペラの)ディアローグ(対話)を連想するのである。そのデュエットは大抵は男女の恋の囁き、バッハはイエスと信者の問答といった具合。

   そもそも、トルコ風を表わすにしては、この曲はフランス風の匂いが強い。その反面、アントレ(入場)-クーラント-メヌエット-サラバンド-ミュゼット-ペザンヌ といった具合に、この組曲は型破りである。佐藤豊彦氏は、「この組曲自体を女と見なしてInfidèleをかけている」というような粋な解釈をなされている。確かにフランス趣味を装いながらも(ヴァイス好みのイタリア趣味の)クーラント、サラバンドは「不実な女」に振り回される男の恨み(嘆き)節(アリア)そのものといった意味ありげな趣向は、バロック音楽の一つの傾向でもある。そこに暗喩、エピソードを読み取る必要がある。それは、(トルコ風などという突飛な物ではなく)お定まりのものでなくてはならない。

  田舎舞曲であるペザンヌの前に、これまた野卑なミュゼットを配置したのも意味がある。聴衆は鄙びたフランス舞曲をたて続けに聴かされることによって、「身なりはフランス風で気取っていても中身は田舎女!」との揶揄を読みとるのである。

   まとめ…この曲の藤兵衛流解釈…。

  1. 冒頭の堂々たるフランス序曲風のアントレが、お高くとまる女の御成りを告げる。
  2. その女に、ドキドキと胸をたかならした(心ときめかした)伊達者を気取る勘違い(イタリア)男が秋波を送る姿を描くクーラント。
  3. アリアのごとく男の悶々とした心情を吐露するサラバンド。
  4. 続くメヌエット…意を決した男は、最初はたどたどしくも、やがて我を忘れ、ねちねちと女に言い寄る、女は男に気を持たせるも最期はそれを軽くいなす。
  5. そして、ブーブーと不平をならす野暮な男は、未練がましくミュゼットを地団駄踏むがごとく踊り、がっくり肩を落とす。
  6. それをオホホホと勝ち誇ったようにせせら笑う悪女(田舎娘)の踊りのペザンヌで物語を終える。

  いかにもありふれた話。でもそのお決まりの物語を連想して楽しむのもバロック音楽の醍醐味。

   ふと自分を顧みて、プルプルと首を激しくふる藤兵衛であった。

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ヴァイスのトンボーを弾く

 ここへ来て仕事が忙しくなる。夏の疲れと不摂生もたたる。9月末の定期演奏会のソロの曲も実はまだ未定。 …という状況下…演奏会とは別に今弾いているのがこの曲。

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 言わずと知れたヴァイスの『ロジー伯の死に寄せるトンボー』である。この夏、音楽仲間の奥さんが若くして身罷わられ、追悼の意を込めてレクイエムなどのCDをよく聴いていた。先月末涼しさを感じ久々にバロックリュートを手にしたとき自然とこの曲が思い浮かんだのである。15年程前父親が鬼籍に入ったのもお盆の頃。その年の(前述の)定期演奏会で同曲を急遽演奏している。五線譜でバロックリュートと格闘していた頃の話である。6月22日の記事で紹介したEdizion Suvini Zerboni-Milano のINTAVILATURA DI LIUTO シリーズのWeiss(ロンドン版全集)版を繙いてみると確かに運指の書き込みがしてある。

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 今から思えば我ながら驚嘆する。♭が5つの変ロ短調!しかも臨時記号たっぷりの半音階的進行満載!よくチャレンジしたものだ。その後数年間のブランクを経て、改めてタブラチュアでリュートを再開したのだが、この曲でタブラチュアのありがたさを痛感している。♭も♯も ♮ も意識せず、終結部の昇天するがごとく翔けのぼり消え行く半音階的進行のパッセージも、自然に感情表現できるからだ。五線譜だとどうしても理屈が先行する。ただし、音楽構造を理解する上では五線譜にまさるものはない。いまでこそタブラチュア(フランス式)読譜に不自由しなくなったが(イタリア式はまだ苦手)、五線譜でもバロックリュートが弾けるということは大きな財産となっている。そういえば子供のとき無理やり習わされたピアノは通奏低音(へ音記号読譜)に役立っているし、最近始めたヴィオラ・ダ・ガンバではアルト記号なども苦もなく読めるようになった。ありがたや、ありがたや…(v^ー゜)ヤッタネ!!あれれ、いつのまにかこのブログ、顔文字が引用(参照)できるようになっているぞ。お絵描き機能もついた!

 しかし何と開放弦が少ない曲だこと!……演奏会でとりあげるかは別として故人を偲ぶ(合掌)。

 もっと触れたいことがあるものの、夏ばてに勝てぬ藤兵衛であった。 

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リュート協奏曲~その6 偽りの看板

 今日(ありゃもう午前様)は土用の丑の日、最近、中国産を国内産といつわる偽装問題で大きく揺れたばかりだ。鰻屋の店先の「国産鰻をご用意」の看板を尻目に、藤兵衛は近所のスーパーで買った台湾産の蒲焼を食した。中国産も堂々と表示されて店頭に並べられていた。台湾産よりもかなり安いので手にするお客もみうけらる。 

 先日紹介したBart氏のWeissシリーズ第9巻をネットで購入した際、たまたま見かけ気になっていたCDがあった。 近頃、別のCDを注文する際、思い出してついでに手に入れたのがこれである。

CONCERTO FOR TWO LUTES SUITES
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 ヴァイスのリュートデュオコンチェルトとソナタ!しかも Suites なのだから当然ソナタ集…考えるに、かの故カール=エルンスト・シュレーダー氏による復元によるものか、新たな復元によるものか、とにかくわくわくして待つ。はやくも翌日手にし気もそぞろにプレーヤにかける。優雅にかなでられるその響きはまさにデュオ…おや?なんと予期せぬ主題!…書棚からとりだした故カール=エルンスト・シュレーダー氏のタブラチュアを見回しても該当するような楽章はない。これはなんなんだ~と興奮しながら耳をそばだてる。ここで初めてCDケースの裏面と解説書でこの最初の曲名を確認する。   

 Concerto in C major for two lutes
        Andante-Allegro-Adagio-Gigue

 典型的なヴァイスのデュオ曲の構成だ。最後のジーグで胸はいよいよ高まる。次はSuite in D minor!…と曲目一覧を一瞥し、かのタブラチュアのニ短調復元版をにらみながら待ち受ける。ゆったりと曲が始まる。えっなんかちがう。そのうちアレグロなフーガを奏で始めた。それゆえデュオではないと確信するまでにしばし時間をとられることになる。次の3調子の曲(なんかしっくりこない)であわててCDの解説に目をうつす。クーラントならぬメヌエット!「なんじゃこりゃ~」と思わず叫んだ。
   
 Suite in D minor

      Ouverture-Menuet-Sarabande-Gigue
    どこにもLute Soloと書いてないが明らかにSoloじゃないか~?
   …以下 

 Two piece in F major
       Sarabande-Ciacconna
  Suite in B major
       Fuga-Allemande-Courante-Bouree-Menuet-Gigue
 Two piece in D minor
       Sarabande-Gigue
 Suite in B major
   Caprice-Courante-Rigaudon-Sarabande-Menuet-Gigue
 Suite in D minor
   Prelude-Allemande-Courante-Bouree-Sarabande
       -Menuet I-Rigaudon-Menuet II-Gigue

と次々頭出しして確認して行く。その度に頭の上に何やら渦を巻き重くのしかかってくる。それでもけなげにTwo~にかすかな希望をいだきながら…。
 オーマイガ~!残り全部ソロ!期待はみごとに裏切られた。「まぎらしい表題をつけるな~忌ま忌ましい!」とそのままお蔵入りになるところだった。
 ふと見ると各曲につけられている整理番号がSCナンバーとはちがうことに気がついたのは幸いであった。あわてて英文の解説文をじっくり?解読してみると、何とこのCDの曲は、 2004年に新たに発見された、Harrach 家の一族が収集し所蔵していた手稿譜からのものであることが判明した。全部がヴァイスの作品ではないがロンドン版、ドレスデン版に匹敵するほどの量と興味深い異同や他の作曲家の作品がみられる貴重な曲集である。
   Oh My Weiss! 
 たちの悪い水虫にとりつかれた足の裏のように見えるCDのカバー(表紙)が聖跡に見えてきたのはいいが、肝心のキャッチフレーズがどこにも触れていないじゃないか~。これからの研究が待たれるこの曲集を紹介したセンセーショナルといっていい企画のCDであることに驚愕した。ひょっとしたら世界初録音か?2重の偽り(過ち)をこのCDはなしているのである。改めてじっくり聴いてみると内容や演奏もなかなか捨てたものじゃなのに…。
 あ~あ、もったいない、もったいない…。看板を偽って損をするとは間抜けな話だデザイン優先てとこ?日本版が発売されたなら(されるかな)抜け目なく帯をつけて宣伝するところかな…

 ちなみに、演奏者にはBernhard Hofstotter と女流のDolores Costoyas の名があるが、これまた!!!(3度目のなんとやら)はっきりと示されていないが、ソロは前者のHofstotter氏が全編担当していると思われる。解説を見ると、佐藤豊彦氏に師事する前に、Liuto Forteなる偽リュートを引っさげて来日しリュート愛好家の期待を裏切ったとのことで一部の人には○名高いLuciano Contini氏にリュートの手ほどきをうけたとか…。

 
   

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後の祭り~BWV1025裏話?

あ~あ、勘違い
熊谷市のうちわ祭 は今日が最終日であった。

疲れがたまっているせいか? 結局訪ねる機(気)を逸してしまった。そこで、今までの記事を読み直してみた…いい加減さに驚く…これまた後の祭りか…

 例えば、7/21の記事でふれたBWV1025の成立の背景は、実際はもっと複雑だ。(『日本リュート協会会報№12』佐藤亜紀子氏の「バッハとヴァイスの競演」が詳しく紹介 )
 ヴァイスの オリジナルにはないFantasiaが付加されたり、楽章の並べかえやリュートのパートにいくつかの変更や修正がくわえられている。また、ヴァイスのオジナルの上声部をヴァイオリンのパートといれかえたチェンバロ用のパージョンが存在している。それにははっきりとバッハの自筆でCembaloと書き込みがあり、バッハ自身が手を入れているのは明白である。

  二日酔いから覚めたバッハが弟子たちの書き起こした楽譜をもとに、ヴァイスのソナタの低音部に自分が昨夜演奏したメロディーをつけ直す。何としてもシラフでチェンバロでヴァイスとの競演をやり直さねば彼に失礼だと思ったからだ(そんな律儀なバッハが好き)。だが悲しいかな酔っぱらいのなせる音楽を完全に書き直すのにはヴァイスのスケジュール上時間が許さなかった。何とか、返礼の意をこめて冒頭に即席でFantasia を作曲したものの、二日酔いの疲れかあわてたのか(または思い込みで)その次にクーラントを写すという失態を演じてしまった。気を取り直して、飛ばしてしまったアントレを次に書き足し何とかそれなりの形に仕上げ終えた。

  その頃にはすっかり酔いの抜けたヴァイスが顔をみせると、バッハはFantasiaでヴァイスを誘って、仕上げたばかりの2声部のチェンバロの伴奏でヴァイスのオリジナルのリュートソナタとのセッションの再演で別れを惜しむという訳だ。何食わぬ顔でニコニコ演奏するバッハ…ヴァイスは曲順が間違えられて書き留められたことなど知るよしもなく気持ちよく帰途につく…
 しかし、このバッハの小細工(不始末)は、これを後に「オブリガードチェンバロとヴァイオリンのためのトリオ」に再構成したエマヌエルの機転のなさで後世あばかれることとなった(父から「これも修行の一環だ」と体よく手直しまで押しつけられた可哀相なエマヌエルに罪はない。もしかして息子のささやかな反抗か?)…という顛末を想像する藤兵衛である。

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リュート協奏曲~その5 ヴァイスの協奏曲

 以前紹介したが、ヴァイスのアンサンブル曲は少なくとも19曲が伝わっていると聞く。残念ながらほとんどがリュートパートのタブラチュア譜(またはデュオパート片割れ)しか残っていない。膨大な作品が伝わるリュート独奏ソナタでのヴァイスの偉大さについては周知のところである。
 しかし、考えてみればヴァイスの演奏家としての活動は、彼の所属するドレスデン宮廷楽団員のテオルボ奏者としての日常的なノルマの比重も大きいことを忘れがちである。何しろ当時のドレスデン宮廷の楽団といえばピゼンデル(Vn) 、ビュッファルダン(Fl)、ハンペル(Hn) 、ゼレンカハイニヒェンハッセグラウンなどの名演奏家や作曲家がひしめく、かの大バッハも度々接触を持ちその一員ならんと嘱望もしたヨーロッパ最高レベルの楽団である。せっせとリュートソロ演奏で奉仕しつつ、彼ら楽団員の名人芸をコンティヌで支えたのがヴァイスなのであり、ヨーロッパ各地を遊行しドレスデン宮廷楽団の名声を広く宣伝した彼が楽団員の中最大の高級取りと言われた所以である。
 これらの協奏曲やフルートデュオは、彼らドレスデン宮廷の名手たちが演奏に関わった可能性は極めて高い。特にフルートデュオはビュッファルダン(Buffardin)によってフルートパートが演奏されたのはまちがいない。近年、ドレスデン宮廷の音楽家たちが次々と復活を遂げている中、協奏曲のオーケストラやフルートパートの消失はまことに残念なことだ。幸運なことにリュートタブラチュアが残っているものの、その性質上ほとんど日の目をみない状態であった。しかし、Peters版を始めとして、色々な復元が試みられ録音もされつつある。

 故カール=エルンスト・シュレーダー氏による復元が、以前から藤兵衛ものぞいている「リュート狂によるリュート愛好家のための総合リュート情報サイト~リュート,リュート,リュート!!!」で紹介されている。復元されたタブラチュアは以下で入手できる。貴重な財産である。
   http://www.asahi-net.or.jp/~ia8k-ynd/Charlie/index.html

バルト氏との録音も残されるいるがCDは残念ながら現在入手困難で耳にできない…。聴きたいよ~                                

ということで藤兵衛が紹介するCDがこれ。
 
   Silvius Leopold Weiss Lute Concerti

  Weisscon

全曲が、このCDでリュートを奏するMr.Richard Stone によって復元(再構築)されたものである。2004年の発売であるが、なぜかあまり話題になっていない。
  amazonのこちらの頁やHMV()で購入可。
 ※ちなみに両方でレヴューを書いたのは恥ずかしながらこの不肖藤兵衛である。 

                                                    
作品番号順に並び替えて曲目を紹介。 

  • Concerto for lute and flute in B flat major, SC 6 Adagio-Allegro-Grave-Allegro
  • Concerto for lute and flute in F major, SC 9  Adagio-Allegro- Amoroso-Allegro
  • Concerto in F major, SC 53 Largo-Allegro-Largo-Allegro
  • Concerto grosso in B flat major, SC 57 Allegro-Largo-Allegro
  • Concerto in D minor, SC 58 Largo-Allegro-Largo-Allegro Assai
  • Concerto a cinque in C major, SC 90 Allegro-Andante-Tempo Di Munetto  

  最初の2つはロンドン版、次の3つがドレスデン版、最後のものはアウグスブルグに伝わるリュート手稿譜からのものである。
 ロンドン版は、Peters版とは全く異なる新たな復元。個人的には、より技巧的に復元された今回の版に軍配をあげたい。
 ドレスデン版のものは、J.S.Weissの協奏曲SC55とデュオと想定される曲(第1パートの指定書きのあるSC54・56・60と第2パートの指定書きのあるSC59)以外の「表題およびパート指定のない曲」(CDの題名は推定である)を復元している。リトルネロの部分にあたるリュートが沈黙する数字付きの長休符が各所にみられる3楽章形式のSC57は明らかに協奏曲と推定できる。しかも、かのビュッファルダンのフルートやピゼンデルのヴァイオリンがさりげなく競いあう姿が思い浮かぶ合奏協奏曲として復元されている!一方、明確にリトロネロに該当するその部分が見当たらないSC53とSC58はリュートデュオまたは他楽器とのアンサンブル曲である可能性が強いが…コレルリ的な教会ソナタ形式の協奏曲にまとめあげられている。

 最後(CDでは冒頭の曲)のアウグスブルグ版には「2つのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロを伴うリュートのための5声の協奏曲」と明記されており(写真)、確実にヴァイスの本格的なリュート協奏曲と見なすことができる。(伝承の由来は不明)

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第1楽章
(写真)において、
                         冒頭部

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                          ソロの出現部

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Mr. Stoneは、残されたリュートパートのモチーフからは想像もつかない(バッハのブランデンブルグ協奏曲第3番やヴィオラ・ダ・ガンバソナタ第3番の第1楽章の冒頭を彷彿とさせる)長短々の溌剌としたリズムの素晴らしいリトロネロ主題を紡ぎだし、それを踏まえたリュートのカデンツァも付け加えられている。情緒豊かな第2楽章をふくめ基本的にはヴィウァルディ様式を踏まえている。
 第3楽章の愛らしいメヌエット(写真)は
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ドレスデン宮廷好みといったところかな?ドレスデンの宮廷楽団員のほのぼのとした競演の様子が目に浮かぶようだ。Mr.Stoneは、このメヌエットの出だしをリュートソロで再現しヴァイスの個人芸のご披露というシーンを演出している。面白い試みだが、冒頭主題提示後に常套的に初めてリュートソロとの指定があることと(上の写真3段目)、冒頭8小節のリュートの和音の配置(旋律としては弱い)からみて、リュートソロで始まることは私としては否定したい。藤兵衛的には、tuttiだと重くなるので、リュートの旋律にピゼンデルを想定したヴァイオリンソロで上声の旋律を絡ませてみるのも一興と思うが…これ如何?

 というように、好き嫌いや再現方法に異論があって当然。わたくし的には協奏曲という形でヴァイスの名人芸の姿を垣間見る一つの偉大な試み(種々の協奏曲形式で構成するという心憎さをふくめ)大いに評価したい。アマゾンのレビューで触れたが、一部のギタリストがこだわる「バッハの曲は一字一句たりとも変えてはならない・付け足してはいけない」という原曲至上主義(崇拝)(と言いつつ移調することには憚らないご都合主義)は、ギターという世界を偏屈にしナルシズムの世界に自らを閉じ込めるだけであってそこからは何も創造されないし進まない。
 
 通奏低音と装飾…すなわち即興があってのバロック音楽であり、楽譜に書かれたものが全てではない
のであり、現代人にとってバロック音楽(の演奏)は今を生きている、つまり現在進行形なのだ。

 「人それぞれ」のアプローチ(今回のような復元)や演奏(種々の楽器の編成の試みも含めて)があるから興味がつきないと思う藤兵衛である。

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Robert Bart, vol.9 を聴く

 今日は朝から強い雨。朝駆けは諦める。

Robert BartoのWeissシリーズの第9巻を聴く

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Sonata No.52 in c minor ・・・・

 冒頭の壮麗な序曲は、リュート音楽におけるフランス序曲の最高峰ともいえる。
というよりも、普遍的なフランス序曲という様式をバッハが「クラヴィア練習曲集第2部フランス序曲ロ短調BWV831」でチェンバロ曲として昇華せしめたことをWeissはリュートでなし遂げたというべきであろう。

 このことは現代ギター4月号の『音楽問わず語り』で渡辺和彦氏が「ヴァイスのリュート作品は、それ自体がひとつの音楽世界を形成しているので、(中略)他との比較を許さない、独立した存在だ。」と述べられていることとは相反する。

 しかし、哀愁に満ちたCourante assai moderatoの美しさは、リュートの語法でしか表現できぬものであろう。特に後半部に唐突に現れる半音階的進行の得も言われぬ浮遊感はチェンバロではとても表出できないだろう。それに続く繊細なアルペジォを伴い限りなく飛翔するかのごとく執拗に繰り返す妙なる和声の進行は、まさしくヴァイス独特の語法であり、しかも他のリュート奏者(作曲家)の追従を許さぬ孤高の世界である。

 4曲目のSicilianaバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番ト短調BWV1001に勝るとも劣らない情緒性をたたえている。前半部および後半部の終結部のパッセージはバッハのカンタータのアリア(またはチェンバロ曲)の一節を彷彿させるではないか!

 私が書き起こした(例の)楽譜
Siciliana_2

 渡辺和彦氏の『音楽問わず語り』の連載は、毎回大変面白く拝読している。引用した4月号(と5月号)の『バッハ時代の大作曲家ヴァイスのリュート音楽を聴く』の記事は、(ギタリストではなく)クラシック音楽界からの視点という点で大変興味深かった。

 氏は私の出身高校の大先輩であるらしい・・・・。
昔の記事で、高校時代私も通った駅近くの(今はなき)喫茶店のことに触れられていたことを覚えている。

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リュート独奏のための34の組曲

先日紹介したドレスデン版の正式タイトル(扉の表題)・・・・

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東ドイツ(Deutsche Demokratische Republik ( DDR ) 、ドイツ民主共和国)、バッハゆかりのライプチヒでの出版

40%の縮尺でソロソナタ34曲(5巻分)を掲載している。
20653
左にあげたのは状態のよくない頁。水につかったためか(私のビールのせいではない!)インクが薄まりかろうじて読み取れる状態。中には染みのひどいものもあるが、全体的には美しい筆跡をよくとどめている。

これらに続き協奏曲など合奏曲の巻があることをその後知った。

  

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蘇る悪夢、ザクセン人の災禍

 今日は、梅雨の晴れ間、
しかも定時で仕事を終えられたので夜討ち(夕駆け?)にうって出た。
西日がギラギラ、日中は30度を超えたらしいが体感的には蒸し暑さはなかったので
気持ちよくドライブ・・・・おろしたてのTシャツが汗を吸わず・・・・とはいかなかった。

でも、自転車散歩は楽しい

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蘇る悪夢

 かの勇士とペーターの片割れとの出会いから数年後、同じくギタルラ社でまさしく奇跡の邂逅を得たのであった。旧東ドイツで出版されたWeissの本家本元のドレスデン版のfacsimile全集!4万5千円!どのように工面したかおぼえていないが私のかいなの中に!(注 正規の手続の上)。電車の中で小一時間、目をギラギラ、鼻息荒く、なめるように怪しげな呪文踊る魔術書をながめる男の付近に座った乗客の戸惑い・・・・その時の私には知るよしもない。嗚呼、何と美しいタプラチュアの筆跡・・・・未知の音楽・・・・まさしく禁断の木の実!

Hyoushi

 自宅に転がり込み、真理を我がものせんとリュートを手にする・・・・が・・・・弾けない!・・・・う、う、う・・・・。冷静になってみればもっともなことだ。私は、例のミラノ人(Edizion Suvini Zerboni-Milano のINTAVILATURA DI LIUTO シリーズのWeiss版のこと)の言葉(5線譜)でしかリュートを解せなくなってしまっていたのだった。はやい話が、私は何と5線譜でバロックリュートを弾いていたのである(しかもバッハも)!

 ミラノ人の呪縛は私をして、ザクセン人をミラノ人に帰化せしめる事となった。????はやい話が、いや気の遠くなる話だが、全タブラチュアを5線譜に書き起こすという暴挙に打って出た。寝食も忘れる、骨身を削るなどという経験は大学受験で最後かと思っていた。その作業の途中で、いくつかの曲がアングル人の姿と重なること(ロンドン版と同一)に気づいたのは幸いであった。やった~手抜きができるぞ!・・・・その心の隙をついて悪魔の水が襲いかかったのである。悪魔の洗礼は、ミラノ人とアングル人ばかりでなく、我が道師とあがめたザクセン人にも及んだのであった。嗚呼、あわれなザクセン人!、アングル人のドレスデン空襲による災禍に加えての忌まわしき水禍!(※注  ドレスデンの手稿譜はその時の被害と思われる損傷(雨水?によるインクの染み、かすれ)がみられる。)
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 ふ~自分で書いていて疲れてしまった。何がいいたいかは改めて・・・・

いま一つプログのコツ(RSSとか)わかりません。我慢して読んでいただいている方に感謝、感謝・・・・

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歴戦の勇士

リュートを弾こうと楽譜を探すため書棚を見たら先程紹介した

Edizion Suvini Zerboni-Milano のINTAVILATURA DI LIUTO シリーズのWeiss(ロンドン版全集)版

が目に留まった。「無沙汰してましたね」と声をかけて手にとった。よれよれになった年季がはいったその姿に改めてWeiss熱にとりつかれていた頃が即座によみがえってきた。

おお~!この歴戦の年老いた勇士に刻まれたシワとシミはなんなんだ~!
Imgp1439

そうだ。先日アップしたPeters社の全集の表紙にもついていたシミの原因も鮮やかに思い出した・・・・。
いくつかの全集を比較しようとテーブルに並べて閲覧している際、なみなみとビールをついだグラスをひっくり返したのだ!

ごめんなさい。ごめんなさい。

嗚呼・・・・そして、もう一つの忌まわしい記憶と悲劇がよみがえる・・・・(続く)

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Weissそしてリュートとの出会い

雨が降り続く。いつもの朝駆け(自転車散歩)は中止
昨日は、止み間をとらえて朝駆けに打って出たが帰着寸前につかまってしまった。土砂降りによるずぶ濡れは間一髪免れたのは幸いであった。日中は一時晴れ間もでるほど回復したが、とりあえずノルマ(朝駆け)を果たすことができたので、ひねもすプログ開設作業と対峙することと相成った。
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私がリュートを手にしたころは国内でタプラチュア譜など手に入れることは困難なことであった(海外から取り寄せるなど夢のまた夢)。WeissのC.F.Perters社の全集の刊行を知った時は欣喜雀躍したことを覚えている。
それからこの気まぐれ娘の思わせぶりに幾星霜つきあわされたことか・・・・
そもそもリュートを手にするきっかけとなったのがImgp1443_4 ギュイ・ロベールのリュート独奏のLPレコードのWeissの曲であった。 演奏者、使用楽器については解説でも詳しくないが、当時としては高いレベルである。ギターでおなじみの例のシャコンヌと有名なファンタジーやバッハのリュート組曲2番(最後のDouble以外の全曲!)もあった。しかし、私の心をとらえたのは、このとき初めて耳にしたト短調のブーレ(Sonata 3)であった。バッハと聴き紛う華麗な上声部の動きと低音部の幽玄な響きと絶妙な進行が私を虜にしたのだっだ。楽譜を求めて悶々としていたが、程なくギタルラ社で幸運にもEdizion Suvini Zerboni-Milano のINTAVILATURA DI LIUTO シリーズのWeiss(ロンドン版全集)版を手に入れる事ができた。五線譜であったことにはがっかりしたが、幸いなことはWeissの音楽を理解するのにとても役立ったこととギターでたやすく音を出せた事であった。まさに至福の日々が続いたが、すぐさまギターでの限界を思い知らされ実際リュートで音を出したいと決心するまで時間はかからなかった。
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さて、雨が続きそうなので今日はこれからWeissのイ短調のソナタ群をたしなむことにしましょう。

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