カテゴリー「バッハ」の24件の記事

覚醒

ふ~っ。やっと秋。ついに果てし無く続くと諦念していた猛暑が終り冬眠ならぬ「夏眠」からめざめる。

家庭でも職場でも訪れた先々でも「暑い暑い!」との会話が飛び交う。そらみたことか…「地球温暖化が具現化したのだ~。ここで阻止しなければなんとする!」…とわめいても誰も耳を傾ける気力も思考もない。自分のこのブログでも、他の自転車関係のフォーラムでも毎日「アチー」と、愚痴を連続するのは必定。それならば「夏眠」するしかないと自ら思考停止状態を決め込む。それでも日常の営みは、坦々とこなし、世俗の物欲も○欲も夢ごごちでためこむ毎日が続いた。したたかに生きていたのでは確かである。

  ここ数日の気温の低下と、ある新刊書物が福音となって覚醒したのだ。

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  帯にあるように、あの大バッハが再婚したアンナ・マグダレーナの素顔を残された資料から客観的に描きだそうと試みる。

 16歳ほど年上しかも数人の子持ちのバッハと再婚し、頑固一徹の夫の創作活動や家計を支えつつ、前妻の子供たちも育て上げ、13人の子供を授かりながらも、そのうち7人を幼いまま野辺で見送るという悲運に見舞われた健気で気丈な妻アンナ。夫バッハは声楽家でありながら専業主婦となった妻のために愛情を注いだ証しである『アンナ・マグダレーナのための音楽帳』を残しているし、夫の作品を筆写する彼女の筆跡は、年を経てバッハのものと見紛うばかりとなる。
  悪妻に振り回されるハイドンやモーツァルト、女運のないベートーベンと比べれば、音楽家の理想の妻という彼女のイメージは、実は下の書物によって作られたのである。

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 あとがきによると1930年(実は1925年)には原著の初版が発行され1950年に山下肇氏が訳出し1967年に全面的に加筆改訂したものが上の『バッハの思い出』なる書物である。(現物は大学生時代に高田馬場の古本屋で手に入れた1974年9版…売れている!)。同あとがきにもあるように、アンナ自身が、夫バッハとの睦まじい生活と、夫の創作活動(信仰的・人間的側面をふくめ)を赤裸々に綴ったものと紹介され、多くの人に感動を与えてきた。しかし、著者はアンナ自身であると思い込まされていた日本でも、彼女が本当の作者なのかという疑問は早くから出されていた。その後、第三者(Esther Meynel)の創作であるということが指摘され、バッハファンを大いに失望させた経緯がある。…実は私もその一人。

  今回のこの書物は、彼女を覆ったそのようなベールを少しでもはがし、資料に基づき実像に迫ろうとする試みである。

  しかし、私自身、先に出版された書物を非難するつもりはない。原作者E.Meynell が自分の名前を出し明らかに現地(ドイツ)では、彼の創作として受けいられているようだ。私も、今なら、創作ドラマとして楽しんで読めるだろう。考えてみれば、子供の頃から慣れ親しんだNHKの大河ドラマの様なものであり、それはそれで夢を見させていただいたのである。今回の書物で夢から覚めて自分の眼でアンナを見つめなおすのもオツなものだ。

  さらに、あの古楽演奏の大家グスタフ・レオンハルトがバッハを演じた『アンナ・マグダレーナ・バッハの年代記』という映画(1967)がある。

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ア ンナが、彼の音楽や生涯を語るスタイルをとっているが、音楽面から2人の関係を掘り下げようとしており、かの『日記』を原作としている訳ではないらしいが、どうしても『日記』のイメージが重なってしまう。一見(聴)すれば、衣装や設定などの時代考証に首をかしげるところが多いが、コレギウム・アウレウム合奏団やアルノンクールらを従えたレオンハルトの音楽は、当時の古楽の最先端の世界をかいま見ることができ、まとりついた『日記』のイメージを払拭するほどすばらしく、これはこれで興味ぶかい。

 ちなみに、大河ドラマといえば、これぞまさしく茶番劇『直江何とか』は別格として、今回の『竜馬伝』も首を傾げる設定が少なくない…。主役二人が好演しているだけに、強烈に刷り込まれる先入観ほど怖いものはない。「善良な老若男女をまどわしたらいかんぜよ」と、草葉の陰で竜馬と弥太郎は苦笑しているだろう。山内容堂はともかく、一橋慶喜公にいたっては、制作関係者が呪い殺されるのではないかと心配するほど、悪役に仕立てられているし…

  ははは、閑話休題…。

 ウワサによると彼女と、あのバッハのリュート組曲ト短調BWV995をタブラチュア化したと言われるリュート奏者のファルケンハーゲンとの間に、意外な接点があると聞く。
それが裏付けられるか楽しみ…。久しぶりに昔の本も読んでみよう。
   いざ紐解かん。おっと…そんな時間あるの?

   実は定演が近づいている。それと夢に見たある「自転車大改造計画」が実現可能な条件が整いつつある。「心頭を滅却すれば火もまた涼しい」と悟ったつもりがもとの黙阿弥状態…しかも…

  二人の愛情を確かめんとするのに月末の定演の曲目をヴァイスのソナタ『不実な女』全曲にしてしまった自分を訝る藤兵衛であった。

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バッハとリュートあれこれ(19)~BWV998その6

 クリスマスになって慌てて忘却のかなたに飛んでいたBWV998「三位一体のソナタ」の続編をまとめてみた。何でこの「聖夜」に?…かは、読んでいただければ納得いただけるかも…。

 4分音符による簡素な主題でBWV998のフーガは

Bwv998fuga

対位法書法においては特に見るべきものがない単純なものである。というよりも主題が最初の応唱からいきなり意味不明に変形され、挙げ句には分解されたりしておりその作風のぎこちなさを指摘する研究者は少なくない。

  しかし、私は、その「ぎこちなさ」はバッハのリュートに対する演奏(楽器)法に対する熟知がもたらした制約という「矛盾」に起因するものと考える。

 つまりフーガ主題の応唱をいかにリュートの演奏に耐えるものにするかというバッハ腐心の妥協の産物なのである。基本主題と5度転調した応唱主題を示す。

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括弧でしめした♮記号に注目してもらいたい。一般の音楽理論、楽器法では何の問題も無いことであるが、リュートでは演奏上致命的な制約を強いられる。それは、特定の調整に合わせた低音弦チューニングにある。この曲の調性変ホ長調にあわせた6コース以下の4低音弦のチューニングを示す。

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  転調によって♮がつくことは、指板外に張られた拡張低音弦では演奏不可能である。変ホ長調の下属音であるをA♭開放弦として要求される6コースは指板上にあっても、A♮を使用することにより上声部の音域の制限が生じたり、非常に困難な技巧を要求される。(6コース第1フレットを押さえてA♮を出そうとすると5コース以降の押弦が困難となる。場合によっては7コース以下の高フレットの押弦を余儀なくされる。ジャーマンテオルボ型の後期バロックリュートでは事実上楽譜通りの演奏は不可能となる。フーガの11小節目は明らかにそうした問題を忌避した主題が現れる。

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  3小節目の最初の応唱でいきなり現れる主題の変形は、その予兆としたら納得できる。

また、A-B-Aのダカーポ型式のAの部分で思い切った転調は避けていることからもこのタブーを意識したからのことに間違いない。それでも音楽の流れ上避けられない部分は生じている。特にファンタジー風に展開された中間部Bではそれらの制約を無視して高度な技巧を要求してくるところはバッハの面目躍如といったところ…。
     この気遣いは、ヴァイラウフやヴァイス達との交際によって煮詰められたバッハの最後のリュート作品であることを物語っていおり、BWV998はあくまでもリュートを想定して作曲されたことの確かな裏付けとなると言えよう。

 また、主題の後半部分の上昇音階(反行された下降音階)を切り取りあちらこちらに配置することにより象徴的な意味をバッハは持たせたのに違いない。それは、十字架につけられたイエスの昇天であり、聖霊の降臨つまり次のアレグロの下降する音型の予兆と私は考える。主題の変形も「イエスの変容」をあらわしていると言えなくもないが…。

  そこで、このシンプルな四分音符の主題は何処からきたのであろうか?…と改めて考察してみよう。一つは、前述した通りバッハのリュートの楽器法に対する理解の深まりである。リュートは鍵盤楽器の左手を右手親指一本で担っていることをしっかり認識したということはいうまでもない。(逆に考えればBWV997は鍵盤曲に限りなく近い。)

また、先行するプレリュードのテクストとも明瞭に関連づけられる。

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 この単純な旋律をコラールの楽節と結びつける研究者がいる。D.シューレンバーグはその著『バッハの鍵盤音楽』佐藤望/木村佐千子共訳(小学館)でそのことに触れている。

ちなみに彼は、同著でバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番ハ長調BWV1005フーガ主題についても聖霊降臨節用のカンタータ『人もし我を愛せば、我が言を守らん』BWV59のコラール(ルター作詩 J.リスト作曲)からの引用と指摘している。
また、無伴奏ヴァイオリンパルティータ2番の有名なシャコンヌ主題もコラールが引用されているとの別人物の説もあり(…これらは別の機会に述べたいが…)説得力がある。   

  D.シューレンバーグは復活節用カンタータ『主イエス・キリスト、まことの人にして神よ』BWV127に用いられているコラール第一節にこのフーガの主題と共通性を指摘している。
まさに後半部の上昇音型は前述した自説の象徴的意味を裏付けるものであった。彼のこの説は、以前から温めていた自説の殻を割らせてくれたのである。なぜ、バッハはBWV998 のフーガに、不都合が生じるこの主題をあえてつかったのか?

  そう、BWV998のアレグロの冒頭の音型に関して指摘したカノン風(コラール)変奏曲『高き御空より我は来れり』BWV769との関連性がより明確になったのである。つまり、このコラールの第1節もD.シューレンバーグの指摘した『主イエス・キリスト、まことの人にして神よ』のコラール同様、BWV998のフーガ主題に酷似しているのである。

改めて三者を並列して比較してみれば一目瞭然である。

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  前半部に違いがあるものの甲乙はつけがたい。「三位一体」の象徴としてBWV127のコラールも遜色はない。しかし、私は自説に従って『高き御空より我は来れり』の方に軍配をあげ「BWV998のフーガ主題は、このクリスマス用のコラールの第1節の旋律をメタフォー(隠喩)またはパラフレーズ(敷衍)したもの」と結論付けたい。なぜ、ストレートに引用しなかったかの疑問は、何度も言及しているバッハの象徴法のなせる技と考える。あくまでも素人考えでバッハ研究においてこじつけとの誹りを免れない手前味噌的発想にしかすぎないが、御笑覧くださると幸いである。

コラール旋律の中間部の音符を3度(!)あげることにより、バッハはこの主題に「子なるイエス」の姿を織り込ませたのだといったら穿ち過ぎであろうか。主音で始まり主音に帰結する主題の中心の音符を浮きださせ頂点となし、十字架にかけられたイエスの姿をまさに象徴したものである。

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 こうした十字架の象徴はスメントをはじめとしてバッハ研究においては周知されていることである。確かに、この主題においてはその姿は鮮明ではなく一笑にふされても仕方ないが、素人の厚かましさで次回もう少し抗弁してみたいと思う。 

 聖夜にこんなこと書いて、本当にディレッタントだな~と感じる藤兵衛であった。

ウ~ん、気がついてみたら朝になってしまった…。とりあえずアップ、あとでジックリ推敲…。

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バッハとリュートあれこれ(18)~BWV998その5

5.  BWV998第1楽章 Preludeについての考察

  BWV998の終楽章Allegroは、「聖霊」の象徴であり、クリスマスと深く関わっていることは前述の通りである。
  そのことは、「三位一体のソナタ」BWV998の冒頭を飾るPrelude(前奏曲)について重要な示唆を与える。この前奏曲は言うまでもなく「三位一体」における「父」の象徴であり、来るべき「子」であるフーガを生み出し導く存在である。

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ドローンで支えられた12/8拍子のその音楽は、クリスマスに因むパストラーレ(パストラル)そのものである。

  パストラルとは古くから田園的・牧歌的な主題に基づく文学や詩を題材した劇(オペラ)音楽から派生した曲や踊りである。イエスの誕生を祝う羊飼いという牧歌的雰囲気がクリスマスに結びついたのである。

  有名な例は、コレルリの「クリスマス協奏曲」と知られる合奏協奏曲Op.6の第8曲の第4楽章である。

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  次は、ドミニコ・スカラッティのソナタL.433/K.446。

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更にはヴィヴァルディの『四季』の春の第3楽章にも例があるように、

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イタリアの南国風な暖かい雰囲気が凍てつくクリスマスにおいてイエスの生誕を優しく祝福するのに相応しいとドイツなど諸国でも受け入れられていく。

ヘンデルの有名なオラトリオ『メサイア(救世主)』に用いられているそれは

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  上記のイタリアの音楽の系譜を引く典型的な作品である。

バッハにおいては、『クリスマス・オラトリオ』BWV248第2部の冒頭のシンフォニアに

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その姿を見いだすことができる。遥かに他者のそれを凌駕している作品である。更にバッハは様々な形を借りてパストラルを演出している。

   復活節カンタータ『イスラエルの牧者よ、耳をかたむけたまえ」BWV104には、2つの形が用いられている。

  冒頭合唱には3拍子のパストラル

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同第5曲アリアにはジーグ風の12/8拍子のもの。

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  そしてオルガンまたはペダル付きチェンバロのパストラーレへ調BWV590の冒頭楽章は言うまでもなく

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『平均律クラヴィーア曲集』第一巻のホ長調のプレリュードBWV854は

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典型的な低音のドローンを持つパストラーレである。

イギリス組曲第1番BWV806のプレリュードも、

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パストラーレと見なしてもよく、構造は複雑であるがBWV998のプレリュードの雰囲気にかなり近づいている。

  なによりも、平均律クラヴィーア曲集第2巻のBWV998と同じ調性の変ホ長調のプレリュードBWV876は

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多くの方がBWV998との類似性を指摘している。 先のイギリス組曲と類似した短い動機を織りなしてゆく手法であるが、より簡素化しリュートをイメージして作曲したと考えられなくもない。最終的にBWV998のプレリュードとしてリュート曲に発展適合させたのはヴァイスとの出会いによるリュート体験であろう。

しかし、バッハをして「三位一体」という精神的なものと結合なさしめたインスピレーションは、クリスマス用に作曲された『マニフィカト』初期稿変ホ長調BWV243aであろう。

その最後の合唱の「父と子と聖霊」を褒めたたえる部分もパストラーレと見なすことができよう。改訂稿では、その事を強調するかのように通奏低音のドローンが書き加えられている。

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特にその3節の「聖霊」を称えた部分は

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前述した通り、BWV998プレリュードのテクスチュアにもっとも近いと私は考える。

  両者を比較してみよう。

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  『マニフィカト』変ホ長調BWV243aで用いた「聖霊に栄光あれ」のインスピレーシションがバッハに宿ってこのプレリュードに昇華させたと思わざるを得ない。それは「聖霊」(BWV243a)が「父」(BWV998のプレリュード)を導きだしたことを意味する。そのことに矛盾はない。マニフィカトのこの「聖霊に栄光あれ」に続く終結分の合唱は、冒頭合唱の音楽を引用し「始にありしごとく今もまた。しかして世々の限りまで永遠に。アーメン」と結んでいるからである…。

  ここで、『マニフィカト』変ホ長調BWV243aに挿入されているクリスマス用の4曲から、ある興味深いことに気がついた。…先に紹介したバッハのオルガンまたはペダル付きチェンバロの『パストラーレ』BWV590についてである。この曲は先に紹介した冒頭のパストラーレに続いて3曲の調性や性格が異なる曲が続いており、未完成または寄せ集めであると考えるのが一般的である。

  『パストラーレ』BWV590 第2曲 は

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ドローンの上にミュゼットを思わせる楽しげな雰囲気を醸しだすが、

同3曲目は

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一転して悲しげな曲調となる。敬虔な祈りの音楽といって良い。

そして最後は再び歓喜にあふれる。

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ブランデンブルク協奏曲第3番の最終楽章を彷彿とさせると多くの人が指摘している。冒頭の下降音型から目まぐるしく無窮動的に駆け巡り、「聖霊」の飛翔が脳裏に浮かぶ。

  そこで、この動機(テーマ)に注目していただきたい。変ホ長調に移調して第一小節の後半以降を反行形に書き直してみると…。(下段矢印以下)

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  驚くことにBWV998のAllegroの冒頭を3度下げた音型とほぼ同じものになるのである。この事は何を意味するのであろうか。

   一つはこの『パストラーレ』はこの第4曲で閉じられた一つの作品群であり、『マニフィカト初期稿』の挿入曲と同じく何らかのクリスマスの行事・式典において場面場面で演奏されたのではないかと考えることができる。例えば第1曲はイエス生誕の予言、第2曲は誕生の喜び、第3曲は神への祈り(受難の予感)、第4曲は聖霊の降誕(祝福)といった具合…。

  何よりもBWV590の最終楽章とBWV998の最終楽章の類似性が、BWV998のパストラーレ的な性格を明確に示しているといえよう。

  構成や技術面においてこのプレリュードはごく一部をのぞいて無理なく自然に演奏にできる美しい曲であるが、この事については別の機会に述べてみたい。

  職場での新型インフ ル流行に戦々恐々する藤兵衛であった。

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バッハとリュートあれこれ(17)~BWV998その4

4.  BWV998第3楽章 Allegroについての考察

BWV998 プレリュード(通称プレリュードとフーガとアレグロ)と題された3楽章のこの曲は「三位一体のソナタ」といってよい。(全回の稿参照)。第3楽章のアレグロ冒頭の下降する音型は「聖霊」の象徴である。

   前回では、バッハの末期の作品である『クラヴィール練習曲集第3集』(1739年9月末刊行)に含まれるオルガンのための「前奏曲とフーガ」BWV552変ホ長調との関連に触れたが、同じくバッハの晩年の作品の一つであるオルガンのための『カノン風変奏曲「髙き御空より我は来たり」』ハ長調BWV769(作曲時期1747年頃~1748年8月)

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との意外な接点をいだすことができる。この曲は1738年、L.Ch.ミツラーが創設した「音楽学術交流協会」にバッハが14番目(BACHを表わす数字…アルファベットを順に数字の並びに置き換えた合計した数)の会員となるべく1947年6月に入会した際に提出した作品である。入会の際に肖像画と、入会者の学識技量を示すための作品の提出が義務づけられたのである。そのためにバッハはルターの有名なクリスマス用のコラールに基づく5つのカノン風の変奏を持つこの曲を書き上げた。

   カノンによる対位法技法を駆使し、最後はコラールの各行をストレッタとして重ねて行くという離れ技を演じている。BACHの文字を音符に置換えさりげなく曲中に署名する演出も添えられた、バッハの意気込みが感じられる晩年の隠れた名作である。

  実は、この曲のコラールを飾る冒頭の自由声部の主題が、このBWV998のアレグロの主題と全く同一なのである。判りやすくBWV769の冒頭をBWV998と同じ変ホ長調に移してみる。

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改めてBWV998の冒頭と比較して見ていただきたい。
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  しかも、続くパッセージを比べても両者はまるで双子のようだ。

  これは偶然の一致ではなく、バッハがこの主題に、高き御空より「降臨する者」の姿を込めていることがより明確に浮かび上がる。その原型は『トッカータト長調』 BWV916の中に見いだせる。(バッハとリュートあれこれ(15)参照)

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『トッカータト長調』 BWV916

  「髙き御空より我は来たり」というコラールは、バッハの『クリスマスオラトリオ』BWV248は言うまでもなく、同じくBWV998との関連で触れたクリスマスに演奏されたマニフィカト初期稿BWV243a変ホ長調の挿入曲としても登場する。オルガン・コラール作品も数曲残っているようにバッハお気に入りのコラールの一つでもある。

  BWV998の作曲年代は早くて1735年頃、遅くとも1745年迄には成立したと考えられている。このBWV998の「三位一体」の象徴のイメージが、『カノン風変奏曲』に反映されていると充分考えられる。逆に言えばBWV998はクリスマスに関連して「三位一体」を象徴した作品と類推できる大きな根拠と自分は考えている。この事はプレリュードやフーガの項で述べてみたい。

 このアレグロは、単純でシンプルな2声の構造である。上声部は、一貫して16分音符で目まぐるしく駆け巡り、「降臨する者」の飛翔を表わしている。一見バッハの2声のインヴェンションやヘンデルのクラヴィーア組曲第7番ト短調の第3曲アレグロ

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などを彷彿とさせるが、下声部は、それらの曲とは違い上声部を模倣せず4分または8分音符で上声部を支えリズムを刻む伴奏役に徹している。そのシンプルな構造はヴァイスのリュート作品に近づいており、リュート曲としても大きな破綻(技巧的困難)は見られないより自然なものになっている。

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ヴァイス:   リュートソナタ第25番変ロ長調よりプレスト~テレマン『忠実な楽長』にも掲載

   同じ下降音型を持つバッハのリュートのためとされる組曲ホ短調BWV996のジーグと比べてみると、構造の違いが明瞭になる。

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以下は同後半冒頭

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    声部の模倣が頻繁におこなわれ、16分音符の急速な3度の連続などの構造は、リュートでの自然な流れの演奏を拒む。初期の作品と言われるBWV996の組曲は基本的にはクラヴィーア曲の性格が強いことが読みとれる。2声がほぼ対等に絡み合うブーレ然り。晩年のリュート奏者ヴァイスとの交流が、バッハのリュート曲に対する理解を深めたことはいうまでない。

仕事でのある原稿が仕上がらずあせりまくりの藤兵衛であった。

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バッハとリュートあれこれ(16)~BWV998その3

       3. 『 三位一体のソナタ』BWV998

 多くの人々が、BWV998の「プレリュード、フーガとアレグロ」の3楽章構成の3という数字に着目して、「父と子と聖霊」を一体と見なすキリスト教の正統的教義である「三位一体」の象徴と指摘している。

 このことについて、少し自分でも掘り下げてみた。

 イタリア様式の協奏曲も、「急-緩-急」で構成された3楽章形式であるが、単にそれだけで「三位一体」を象徴している訳ではない。しかし、その根底には、日本人が四や九といった数字を忌み嫌うのと同じように、キリスト教社会において誰もが認める数字にまつわる慣習(迷信)的な潜在意識が働いているのは間違いない。そのような例は、バッハの管弦楽組曲の4つの序曲(4=四大福音書)、ブランデンブルク協奏曲や無伴奏チェロ組曲の6曲構成(6=天地創造に要した日数)、コレルリやヘンデルの12曲セットの協奏曲集(12=十二使徒)などにも見受けられる。また、バッハの無伴奏ヴァイオリン曲集(3つのパルティータ、3つのソナタ)のように、6や12の数字は、キリスト教神学に基づく「神と人」「生と死」という二元論(×2)によって高められた数字でもある。

 バッハの場合、BWV998でも用いられている変ホ長調という♭3つを持つ調によって、意図的に「三位一体」を象徴することが多い。その代表的な作品例として、オルガンのための「前奏曲とフーガ」BWV552変ホ長調が知られる。それぞれ『クラヴィール練習曲集第3集』(1739年9月末刊行)~通称『ドイツオルガンミサ』~の冒頭と巻末に置かれたものであるが、両者は明らかに有機的な繋がりを持っており、バッハの同種の作品(プレリュードとフーガ)として独立して演奏されることが多い。この曲集は、このプレリュードとフーガにはさまれて、ルター派教会典礼用(ドイツ語による)キリエとグローリアの第1群9曲(BWV 669-677)、続いて教理問答コラールの第2群12曲(BWV678-689)、そして第3群の4つのデュエット(BWV802-805)を配しており、雑多な集合体に見える。しかし、プレリュードとフーガの間の曲は3つのグループに大別され、驚くべき秩序に支配されている。第1グループ9曲は、3曲1セットが3組(3×3)という構成をなしており、第2グループ12曲は3の4倍(3+3+3+3)、そしてプレリュードとフーガを含めた全体の27という曲数は3の3乗(3×3×3)であり、数学的にも「三位一体」との概念と深く関わっている。ただし、最期のグループ4曲のデュエットは、最終的に全体を27曲にするためバッハが出版直前に追加した形跡がある。クラヴィーア用のインベンションを思わせる純粋な器楽曲は、他のグループとは異質であり、いかにも数合わせではないかと思われがちだが、前述した4という数字のもつ意味と、第2グループが4という数字で高められたと理解できなくもない。全くの私見なのだが、変ホ長調の調号フラット3を(3×1)と見なすと、全体は(3×1)、(3×3)、(3×3×3)、(3+3+3+3)→4とみなすことができる。

  また、A.Clementによると、この4曲のデュエットは「それぞれ、"神の御言葉"、"十字架"、"死"、"天国"を描写している」としている。また 『小教理問答書』中のルターの四つの教えを象徴しているという説もある。確かに2曲目のヘ長調BWV803は明確なダ・カーポ形式のA-B-Aを持ってお り、「十字架」の象徴でもある。十字架は「子」イエスそのものであり、ダ・カーポ形式(A-B-A)のBWV998のフーガはまさしく「子」を表わしている。

 閑話休題、話をプレリュードとフーガBWV552変ホ長調について戻す。

 バッハ研究者ケラーが著書『バッハのオルガン作品』の中で「伝統的にも3部からなるフーガは「三位一体」の象徴として理解されてきた」と述べているように「三位一体のフーガ」と呼ばれることも多い。

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     フーガ第1主題

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     同 第2主題

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     同 第3主題
 

  更に彼は、同書で、壮大なフランス風序曲を思わせる冒頭のプレリュードについても、「三位一体の象徴」であるというシュテークリヒ(Rudolf Steglich)の以下の見解を紹介している。

 「あらゆるものを包括する三位一体の神の力を表している。序曲風の壮大でどうどうたるこのプレリュードは、いわばこの神の力のこの世に及ぼす働きへの洞察を与えるものである。プレリュードは、深く刻まれ明確な構造を示す三つの主題をもっている。すなわち,正格の第1主題は支配者の実在を、変格の第2主題は人間に降り給うた神の子と、また人間に生まれ給うた救世主としてのキリストの二重の姿を、第3主題は聖霊の降下と広がりを示している。」

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      プレリュード冒頭(第1主題)

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      同 第2主題

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      同 第3主題 

 すなわち、主題の姿からも「三位一体」の象徴を読み解くことができるのである。BWV998の場合もこの観点から、プレリュードは「父」、「フーガ」は「子」、アレグロは「聖霊」と各々当てはめることができる。詳細は各曲の考察において述べるとして、これによってプレリュードとフーガのあとになぜ異例のアレグロが付加されたのかの説明がつく。BWV998のアレグロの下降する冒頭主題はまさしく「聖霊の降下」そのものである。

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     BWV998 Allegro 冒頭

  また、生母マリアを讃えるラテン語の歌詞を持つマニフィカトニ長調にも注目してみよう。各曲は短いながらも小粒の真珠の首飾りのような隠れた佳品である。特に冒頭と巻末のマリアや神を讃えた合唱は華麗なトランペットの響きで彩られ、ロ短調ミサ曲におけるグローリアを始めとする一連の華やかなニ長調の合唱曲を彷彿とさせる。興味深いことに、このマニフィカトには変ホ長調による初稿譜が存在している(BWV243a)。ニ長調版にはない4曲のクリスマス用の曲が挿入されており、バッハが着任して間もない1723年のライプチヒでのクリスマスの典礼用に演奏されたものである。しかし、なぜ変ホ長調というトランペットにとってまことに吹きにくい調を採用したのであろうか?最後の合唱曲について、バッハ研究者スメントの説を紹介する。但し、彼は最終原稿のニ長調版について述べているで括弧つきで変ホ長調における調性を示しておく。

  「…形は異なるが冒頭に立ち帰る第三部(アップゲサング)がつづくのである。だがオーケストラは「われらの父祖に……告げられしごとく」の合唱でもまだ沈黙していて、バッハはその使用を全曲の終楽章のためにとっておいた。
 典礼上からいうと、マニフィカト(マリアの讃歌)は詩篇の一種なので、三位一体の「グローリア」が最後につけ加えられる。木管と弦とオルガンに伴奏されて、この合唱は
ニ長調(変ホ長調)フーガ〔第二曲〕が終止した直後にイ長調(変ロ長調)の和音で入ってくる。調性だけからしても、われわれは高められる。だが、本当の上昇はここからようやくはじまり、「グローリア」は父と子に向かって二度舞いあがる。しかしそのあと、讃美は天上からわれわれのもとに帰り下ってくる。ここで讃えられるのは、父と子から発した聖霊なのだ。終曲のこの頂点で再びトランベットとティンパニが響きわたり、名状し難い歓喜の叫びに参加する。そのあと、冒頭合唱の響きが圧縮された形で再現し、それによって全曲を、考えうる限り最も完全な終結へともたらすのである。」

Bwv243a_p_2

マニフィカトBWV243a 最終合唱(第12曲)冒頭「父に栄光あれ」

Bwv243a_f_3

   

 同 「子に栄光あれ」

 

Bwv243a_s_4

    同 「聖霊に栄光あれ」

 ここでもBWV552変ホ長調の第3主題と同様、下降音型をもって「聖霊」を象徴している。
また、この音型はBWV998のプレリュードの冒頭を彷彿させる。 

Bwv998_pr01  

     BWV998 Prelude 冒頭             

 クリスマスにおいて、イエス生誕に因み「三位一体」を高らかに称えたバッハの意気込みが感じられる作品であるが、へ短長の楽曲もふくみ演奏効果の問題を抱えており、バッハ自身、その後、挿入曲を取り除いて、より華やかなニ長調の最終稿を仕上げ1733年の7月2日の「マリアのエリザベト訪問の祝日」に演奏した。一説にはドレスデンでも演奏されたともいう。

 そのことを踏まえれば、BWV998を実際リュートで演奏する際、ニ長調またはヘ長調に移調して演奏効果があがるならば、「三位一体」の変ホ長調の元調にこだわる必要は無いのかも知れない。それはリュート奏者が判断すればよいのだが、是非マニフィカトの両方の版を聴き見比べていただきたい。特に、初稿版の第8曲のヘ長調のアリアのリコーダーの美しい響きは何物にも替えがたい。改訂によってフルート・トラヴェルソ(ホ長調)に置き換えられてより華やかにはなっているが…。また、第8曲「権威ある者を座位から下し、卑しき者を高うし」の改訂版では、移調したことにより、ヴァイオリンパートの一部をオクターブ高くせぜるを得なくなり、「卑しき者」の象徴である最低音Gを失ってしまっている。バッハの苦渋の選択を見て取れる。

Bwv243a_8

        BWV234a マニフィカト初稿 第8曲冒頭

Bwv243_8

     BWV234 マニフィカト改訂稿 同部分

 私は、BWV998の演奏においては迷わずオリジナルの変ホ長調を選択する。実は「三位一体」の象徴だけでなくBWV998はマニフィカートの初期稿同様「クリスマス」と大いに関係しているのである。その事については各曲の考察で触れてみたい。      

 いずれにせよ、例に上げたバッハの他の作品よりもよりシンプルな「プレリュード、フーガとアレグロ変ホ長調」BWV998は、明確な3楽章構成によって「三位一体」を象徴を鮮明に描き出した意義深い作品として理解できる。
 

 個人的には BWV998は「三位一体のソナタ」と呼んでも差し支えないと思っている。次回からは個々の楽章から裏付けしていきたい。 

  参考:・富田庸のパーソナル・ウェブスペース(http://www.music.qub.ac.uk/tomita/essay/cu3j.html)  ・バッハ叢書第6巻『バッハのカンタータ』スメント他(白水社)その他

久しぶりのバッハに本日の特別休暇の半分を費やしてしまった藤兵衛であった。

続きを読む "バッハとリュートあれこれ(16)~BWV998その3"

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バッハとリュートあれこれ(15)~BWV998その2

   2. BWV998は断片的な作品なのか?

 このBWV998にいて、バッハの器楽作品に同じ形式がみあたらず、その中途半端な楽曲構成から「組曲(ソナタ)の断片ではないか?」いう説がある。また、バッハのこの曲の唯一現存する資料である自筆譜の『Prelude pour la Luth.ó Cembal. par J.S.Bach( リュートまたはチェンバロのためのプレリュード)』に着目すると、フーガとアレグロが無視されており、寄せ集められものではないか?という疑問がわく。

BWV998が一つのまとまった曲ならば、オルガンやクラヴィールの「プレリュードとフーガ」のように「プレリュードとフーガとアレグロ」という表題をつけるのが当然と考えるのは自然の理である。

   確かに「プレリュードとフーガ」という言い回しは『平均律クラヴィール曲集』において

      "Das Wohltemperirte Clavier. oder Praeludia,und Fugen durch alle Tone und Semitonia,...." 「平均律(程よく調律された)クラヴィール曲集。またはすべての調…云々…にわたるプレリュードとフーガ集…」

 とバッハ自身が使用している。同様にオルガンのための作品もほとんどが「プレリュードとフーガ」との表題がついている。

 しかし、これらのオルガン曲について調べてみると、意外にも多くのバッハの自筆譜が消失してことが判る。(参考:バッハ叢書[別巻2]『バッハ作品総目録』角倉一朗著(白水社))。つまり、その筆写譜の「プレリュードとフーガ」という表題は元来バッハ自身がつけたものだとは断定できないのである。興味深いことに、自筆譜が現存するBWV541ト長調とBWV544 ロ短調の2曲には、それぞれ

  BWV541: "Praeludium pro Organo con Pedal:obligate:di J.S.Bach"
  BWV544: "Praeludium pro Organo/com Pedale obligato/di/Joh:Seb:Bach"

と「オルガンためのプレリュード」とだけ記されており、フーガについて明記されていない。

  このことは、序曲や幻想曲(ファンタジー)といった曲にもあてはまる。

  例えば、『管弦楽組曲』BWV1067~69は、管弦楽で奏せられるフランス風序曲を冒頭にもつ組曲(舞曲集)なのであるが、実は「組曲」全体が式典やオペラの前に奏される「序曲」なのである。事実、原題は『序曲(Ouverture)』であり、『管弦楽組曲』は単なる通称なのである。逆にクラヴィール練習曲集第2巻の『フランス風序曲ロ短調』BWV831も実質は「組曲」であるが原題『フランス風序曲』で呼び慣らしている。

  同じく、オルガンのための『幻想曲とフーガハ短調』BWV562も自筆筆に
  "Fantagia pro Organo."とあり、即興的な自由な部分(ファンタジー)と対位法的な部分(フーガ)で構成された曲をファンタジーと呼んでいるだけである。同じ理屈がプレリュードにも当てはまる。先に述べたように『平均律クラヴィール曲集』が成立する頃に、「プレリュードとフーガ」という形式が様式化され、この名称が定着したのであり、厳密な区別をするまでもないことかもしれない。

  つまり、BWV998も曲全体を『プレリュード(Praeludium)』と称することは何も特別なことではなく、この表題をもって「寄せ集め」または「断片である」ときめつける根拠にはならない。

 何よりもBWV998が完結した作品であるという確たる証拠を新バッハ全集の『改訂報告』が言及している。まず、自筆譜における訂正の多さが、何かを寄せ集めて再構成したものではなく、四苦八苦しながら書き下したオリジナル版であることを強く物語っている。さらに、アレグロの終結部にオルガンタブラチュアを用いた理由は、足らなくなった紙面に何とか納めて記そうとした苦肉の手段であったことであり、しかもそれが譜面の最終頁の余白だけでは足りず、1頁目の余白をも使って記されていることを有力な根拠としている。アレグロをもって曲が完結させたバッハの涙ぐましい苦労の跡が読みとれる。

上野学園の所蔵のBWV998の自筆譜をコピーでもよいからジックリ拝見してみたいものだ。

それでも、なぜ最後にアレグロが必要であったのか?の疑問が残る。次回、そのことについて触れてみたい。

  このところBWV998に入れ込んで定演の練習がいい加減な藤兵衛である。

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バッハとリュートあれこれ(14)~BWV998の様式について

 1、BWV998の様式(形式)についての考察

 『プレリュード、フーガとアレグロ』という形式に一番近いものは、クラヴィーア(チェンバロ)やオルガンの為の作品に見られる「プレリュード(前 奏曲)とフーガ」であろう。この様式についての由来を述べているときりがないので省略するとして、結論から言えばバッハの『平均律クラヴィーア曲集』に よって不動の様式としての地位を確立したといえる。後のショスタコーヴィッチ(Dmitrii Dmitrievich Shostakovich, 1906-1975)をはじめ多くの作曲家がこれを踏襲した作品を残している。マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ(Mario Castelnuovo-Tedesco, 1895-1968)の2台のギターのための作品もある。

「プレリュードとフーガ」という様式は、オルガニストにとって教会的職務としてのコラール演奏とは別に、即興的な技巧と作曲家としての技量を示す絶好の素 材(形式)といえる。バッハは生涯に渡って多くのこの様式に基づいて作曲している。ところが、『平均律クラヴィーア曲集』、『イギリス組曲』、『フランス 組曲』などのような曲集にしていないのが不思議である。ともかく、プレリュードの代わりにトッカータやファンタジー、パッサカリアを冒頭においた亜種をふ くめ30曲近い作品が伝えられている。
その中に、ヴァイマール時代の1708~17年の間に作曲されたとされる『トッカータ、アダージョとフーガ』BWV564ハ長調の3楽章形式のものが存在する。基本的には即興的なプレリュード(トッカータ)とフーガの間に、以下の美しい緩徐楽章が挿入されたものである。

Bwv564_2

この曲は、これまた美しいカンタータ156番『我が片足はすでに墓穴に入りぬ』の冒頭のシンフォニア

Bwv156_1

(『チェンバロ協奏曲ヘ短調』BWV1056にも転用された)に雰囲気が似ている。もしかしたら、BWV564の中間楽章もこのシンフォニアとおなじように元々は何らかの協奏曲の中間楽章であった可能性がある。

 興味深いことに、オルガンのための『プレリュードとフーガハ長調』BWV545の初稿BWV545a(同じくヴァイマール時代の1716年頃)に は、オルガンのための『トリオソナタ第5番ハ長調』BWV529の中間楽章が挿入されている。また、オルガンのための『プレリュードとフーガト長調』 BWV541も『トリオソナタ第4番ホ短調』BWV528の中間楽章を挿入する構想があったとされる。

  また、バッハはクラヴィーア作品として7つのトッカータ(BWV910~916)を残している。そのうちヴァイマール時代の作品である『トッカータト長調』BWV916は、他の作品がバッハに直接影響を与えたブクステフーデの即興部分とフーガ(対位法的)部分が交互に現れる長大で複雑な構造をもつトッカータに由来するのに対して、(Allegro?) - Adagio - Allegro(Fuga)の3楽章形式、すなわち明確にイタリア様式の協奏曲の原理を応用している。

 何が言いたいかというと、この一連の「プレリュード(トッカータ)- 緩徐楽章-フーガ」の3
楽章の形式はバッハがヴァイマール時代にヨーハン・エルンスト公を通じて出会ったイタリアの協奏曲様式の多様な可能性を模索していたことを伺わせる。真っ先にヴィヴァルディやマルチェッロなどの協奏曲をオルガン(BWV592~597)やチェンバロ(BWV972~987他)に編曲し研究していることがその証拠である。

 こうしたヴァイマール時代の試みは、『ブランデンブルク協奏曲』を初めとする後の傑作協奏曲の原形を生み、その後、オルガンのための『6つのトリオ・ソナタ』BWV525~530、1735年のクラヴィーア練習曲集第2巻の『イタリア協奏曲 ヘ長調』BWV971、『ヴィオラ・ダ・ガンバ第3番ト短調』BWV1029などへと昇華されていくのである。クラヴィーアのための『プレリュードとフーガ イ短調』BWV894を元にバッハ自身が、オルガンのための『トリオソナタ第5番ハ長調』BWV527の中間楽章を挿入して、『ヴァイオリン、フルートと チェンバロのための三重協奏曲イ短調』BWV1044に改編するという労作がいわばこの形(プレリュード- 緩徐楽章-フーガ)の究極の姿であろう。

 ちなみにディヴィッド・シューレンバーグはその著作『バッハの鍵盤音楽』佐藤望/木村佐千子共訳(小学館)において、『トッカータト長調』 BWV916の最終楽章のフーガについて「主題は、フランスのジグにある跳ねるようなリズムをもつが、走句的な16分音符をも含み、BWV996の組曲 (通称リュート組曲第1番※筆写補足)で見られるようなタイプのジグに近い主題となっている」と紹介している。

Bwv916_3

 確かに、下降する16分音符の音型(特に2小節目)は、まさしくBWV996のジーグの冒頭主題そのものであるが、実はこの「走句的な16分音符」については、本稿(BWV998)にかかわるもっと重要な情報を持っている。それは後日に譲るとする。

こうして整理すると、BWV998の「プレリュード、フーガとアレグロ」といった楽曲配置の特異性があらためて浮かび上がる。中間楽章を挿入して協奏曲様式に発展さ せた例はあっても、フーガを中間楽章においた「プレリュード-フーガ-アレグロ」の例はバッハの他の器楽曲には見当たらない、つまり「プレリュード-フーガ-アレグロ」という特殊な形式はこの曲独自のものだということが判明する。

 ただし、このことはBWV998は、「寄せ集め」または「未完成」の作品ではないかという疑問を生じさせる。

 次は、この作品の表題から、この問題について考えてみたい。

 時間を空けずこの項目をアップしたのには訳ありの藤兵衛であった。

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バッハとリュートあれこれ(13)~究極のリュート曲

バッハの究極のリュート曲をあげるなら、私は迷わず『プレリュード、フーガとアレグロ変ホ長調』BWV998を選ぶ。

  学生の頃からこの曲の成り立ちをあれこれ考えてきたが、自分なりの私見を整理して置こうと思い立ったのが、昨冬の頃から、あれこれ書き溜めだしたのはいいが、あっちこっちと膨らみ過ぎて収拾がつかなくなった矢先に転勤という環境の変化で、まったくのお手あげ状態となってしまった。何とか、夏休みの落ち着いた頃に、再始動のスイッチを入れようと思っても、学生の頃の夏休みの宿題と同じで目先のことに目が眩み先にのばすばかり。この処、急に秋の気配が忍び寄り、これでは「いかんぜよ」と自分に鞭打ち、突破口を開くべく最初の部分を取り繕ってみた。                                  

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 バッハのリュートの最後の(究極の)作品は何であろうか?
  現存している7つの作品のうち、楽譜の年代研究から、『プレリュード、フーガとアレグロ変ホ長調』BWV998がバッハの晩年期の1740年代前半に作曲され最も新しいリュート曲と考えられる。そのバッハの自筆譜の原題は『Prelude pour la Luth.ó Cembal. par J.S.Bach』すなわち「リュートまたはチェンバロのためのプレリュード」となっており、確実にバッハがリュートのために書き下ろした唯一のオリジナル曲と断定できると自分は考える。また、この曲の構成からみても究極のリュート曲と見なしている。しかし、この3楽章の形式が、リュート曲のみならずバッハの器楽曲のなかでも特異な構成であり、研究者やリュート奏者を悩ましてきた。そこで、次回から色々な面から考察していきたい。

 何とか一歩踏み出せ安堵する藤兵衛であった。                      

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バッハとリュートあれこれ(12)~ヴァイラウホの周辺

 バッハのリュート作品BWV997パルティータハ短調およびBWV1000フーガト短調のタブラチュア譜を残しているヴァイラウフ(ヴァイラウホという表記もある)とは何者なのだろう。手元にある文献で調べてみた。  

ヨハン・クリスティアン・ヴァイラウフ(Johann Christian Weyrauch 1694~1771)

ライプチィヒ大学卒業。同地の新教会オルガニストに志願するが果たせず、市の公証人となる。 『バッハ辞典』東京書籍 p.471

 …と、引用元の記述はそっけない。

 イメージをつくる上で、彼はバッハより11歳年下であるということから確認していこう。バッハがライプチヒのトーマス・カントルに就任した1723年において、バッハ38歳、ヴァイラウフ27歳ということになる。そこでまず判るのは、ヴァイラウフの新教会(マタイ教会)オルガニスト就任の件についてはバッハの与り知らぬことだったのであろう。

 ヴァイラウフの職業である公証人とは財産に関連する様々な手続き(相続・譲渡・登録・商取引・契約)に必要となる法的書類の下書きや保管・証明を行う専門家である。と言ってもある程度の知識があれば容易になれる職業ということで、ライプチヒのような大都市では数多く存在し、手腕次第で富と社会的地位を築けたらしい。

 少なくとも、彼はオルガニストを志願したからには音楽の素養もかなりあったことがうかがえる。           

 その彼が、どのように音楽を学び、リュートをおぼえ、バッハと出会ったのだろうか。興味深い資料が伝わっている。

 ポーランドの自治都市ダンツィヒ(現グダニスク)に住むルイーゼー・アーデルグンデ・ヴィクトーリエ・クルムスという音楽好きの女性が将来彼女の結婚相手となるライプチヒ在住のヨーハン・クリストフ・ゴットシェートにあてた1732年5月30日付けの書簡である。

「お送りくださいましたバッハのクラヴィーアのための作品と、ヴァイラウフのリュートのための作品、どちらもその美しさに劣らず骨の折れるものばかりでございます。十回も弾きましたのに、こういうものが相手ではいつまでたっても自分が初心者みたいに思えます。この両大家のものでしたら、こうしたカプリッチョ以外のもののほうが、私には気に入っております。これらの作品には測り知れないむずかしさがあります。」『バッハ叢書』第10巻バッハ資料集 白水社 P.110 

 これによると、1732年のヴァイラウフ36歳の時にはすでにリュートの作品を作曲していることがわかる。残念ながら、その他の作品も現存していないようであり、彼の作品の実態はわからない。ちなみに文中のバッハの作品とは、この書簡の書かれた前年の1731年にライプチヒで出版された六曲のパルティータ(BWV825~830)から成る『クラヴィーア練習曲集 第一部』のことであることは間違いない。最後のほうに紹介されているカプリッチョ
Capri
は、同曲集第2番ハ短調BWV825の最終楽章と思われる。確かに10度の跳躍が主題に用いられている。この曲集は当時、ライプチヒでは画期的な作品として話題となっていたらしい。ただし、文中にある通り、アマチュアには手に負えない 程技巧的であったので出版元が売れ残りを持て余したという。この手紙の主のルイーゼは音楽についてかなり素養があり彼女の人脈から思わぬバッハとの繋がりが浮かび上がってくる。(このことについては後述)その彼女が結婚してライプチヒで一緒に暮らすことになる手紙の相手
ヨーハン・クリストフ・ゴットシェート…
Gottsched

Johann Christoph Gottsched 1700~1766

 彼はヴァイラウフと同じライプチヒ大学に学び、この書簡の数年前の1730年よりライプチヒ大学の詩学教授となり、劇作家、文芸理論家としてライプチヒでは著名な文化人である。ヴァイラウフより6歳年下の後輩にあたる。そして、なによりも彼は1727年に演奏されたリュートが使用されたバッハのBWV198追悼頌歌の作詩者でもある。この曲の上演に際して、ゴットシェートを通じてバッハはヴァイラウフと知り合う機会を得たという憶測もなりたつ。その時用いられた2棹のリュートの一つをヴァイラウフが受け持ったと考えられ無くもない。

 その事は、ゴットシェートが音楽好きの恋人のルイーゼにバッハとヴァイラウフの二人の作品を送っていることからも推測できる。ルイーゼの「この両大家のものでしたら」という言葉からもゴットシェートが(彼女の気を引こうとして)ライプチヒで選りすぐりの音楽家として二人を紹介していることが読みとれる。

 ただ、ゴットシェート(及び彼の妻ルイーゼ、多分ヴァイラウフも含めた彼のサークル)とバッハの関係はあまり親密ではない。バッハが彼の詩をもとに作曲した例は1725年の散逸した結婚カンターター(番号無し)および、年月をおいた1738年の同じく散逸したカンタータBWV Anh.13などしか知られていないからもわかる。

 また、ヴァイラウフの記録としては、「1743年、バッハがヴァイラウフの子供 J.S.ヴァイラウフの代父を務めた」(『バッハ辞典』東京書籍P.567)と、この頃には、かなり親密な関係になっている。(代父とは出生した赤子の洗礼の儀式にたちあう人物であり、いわば結婚式の仲人と同じように子供の両親とって家庭的にも社会的にも恩人として尊敬すべき存在といえる。)

 それらのことからヴァイラウフのBWV997のタブラチュアの成立が1740年頃であるという時期に着目するならば、ゴットシェートの詩を1738年のカンタータに用いたことにより、ヴァイラウフと久しぶりに交際が再開したことによるものとも考えられる。同時に彼らと疎遠な期間はバッハのリュート曲の空白の期間でもある。もし、ヴァイラウフとの交際がつづいていたならばこの期間にもっとリュート作品が生まれているはずだ。改めてこのように整理すると楽譜のすかし模様から1727~31年の間に無伴奏チェロ組曲第5番を編曲したとされるBWV995ト短調組曲の存在が非常に気になる。また、後年のヴァイラウフの一連のタブラチュアの残る作品は、バッハが彼に献呈したものかも知れない。あるいは、バッハ家を訪問したヴァイスに、バッハがヴァイラウフを紹介した可能性もある。もしかしたらヴァイスのためタブラチュアにおこしたとも考えてもおかしくはない。これが縁となってヴァイラウフとバッハは親密な交際を続け、1743年、ヴァイラウホ47歳の時、何番目かの息子の代父を依頼したと考えられる。息子に命名された"J.S."が、"Johan Sebastian"だとしたら、ヴァイラウフとバッハの関係はかなり強いといえる。バッハのリュート作品を考える上で彼の存在を無視することはできない。

 自分で調べられたのはここまでだが、彼に関してもっと知りたいと思う。彼に関する研究論文もきっと出ているのだろう。

   さぼりのつけがたまり持て余し気味の藤兵衛である

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藤兵衛、忘れたころにピアノを弾く

 先日の記事を書いていたら無性にバッハのBWV825~830『クラヴィーア練習曲』第1部のパルティータのことが気になりだした。思いが募って楽譜を探し出し、
Klavw_5_2
(手にしたのはベーレンライター原典版ではなく慣れ親しんだこれ…なんといっも実用譜)

久しぶりにピアノの蓋を開けた。

 う~ん…何ヶ月いや何シーズン?ぶり…。調律がかなりあやしく鍵盤の戻りが一部おかしい。かなりほったらかしにしていた証拠だ。気を取り直して取りあえずお気に入りの第1番の変ロ長調の前奏曲から弾き始める。つっかえつっかえ…尤もまともに弾いたことも無いのだが…やはりバッハは弾きがいがある。

 第2番ハ短調のシンフォニアまでなんかとたどり着いたところで、なまくら指が悲鳴をあげる。後はつまみ食い。同じく第2番サラバンド、第4番ニ長調アルマンド、クーラント、ジーグの前半部をかじりまくる。ついに第6番ホ短調クーラント前半部の32分音符のアルペジオ部分で指がつる。まだ、弾きたい曲もあるのに…時計をみたら結構な時間。後遺症でリュートが弾けなくなっても困るので、後ろ髪を弾かれる引かれるも、ピアノの蓋を閉じてお開き?と相成る。

 あ~、第3番のクーラントとあれも忘れていた~…となんとも未練がましい藤兵衛であった。

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