カテゴリー「リュート」の14件の記事

仕事とリュートでプッツン?

仕事に追われ気がついたら一月以上ブログ更新すっぽかし。

去年からエクセルで業務で使うソフトのプログラミングを手がけている。年次ごとに構築していく代物なのだが2年分を何とかしあげ運用をはじめたものの未完成のまま。来年度稼働しなければならない最後の部分の仕上げに手こずっている。フォームやマクロは難なく組んだもののある計算処理に手こずり一週間のたうち回った。IF文が何重にも入れ子になったり、思わぬエラーがかえされたりし、まさに脳みそがトコロテン状態となってしまった。

 そういえば連休中も同じことが…。私の頭の中を投影するすのかのようにプッツンしてしまった我がリュート…?

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…という訳ではなく
休みを利用して意を決してバロックリュートの弦の総張替えに挑んだ次第。

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バロックリュートは複弦13コース(1・2弦はシングル)なのだからして弦の数は24本!何とギター4台分!(笑い)取り外すだけでも大変大変…。

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小一時間経過…まさに一糸まとわぬ姿。

ふ~っ。ちょっとティータイム。

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すかさず新しい弦(キルヒナー製ナイロン弦)の張り付けにとりかかる。指板上の弦を両脇から張りつけて行く。

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糸倉(ペグボックス)の構造上必然とそうなる。一時間以上かけて辛抱強く坦々とすべてを張り終えた。弦が安定するまでチューニングにも時間を費やし、結局半日ががり。

 ほんとなら最近奏法を変えたため総ガット化しようと思っていたのだが、ちょっとした物入り(節電対策~照明のLED化)のため見送り、より細い弦をオーダーしテンションをさげてその気分でも味わおうとした次第。実際弾いてみるとそれなりの効果が現れた。苦労して張り替え得た甲斐があった。新しい奏法については今後紹介…。

 プログラムの方も、先日、自宅でリュートを弾く合間にエクセルの白紙のシート上であれこれ関数(計算式)をいじっていたらなぜか絡んだ糸が時ほぐれるようにスッキリした計算式ができてしまった。難関クリアーし一安心。 

といっても週明けに来週締め切りの仕事がまっている藤兵衛であった。

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アンナ・マグダレーナと不実な女がミュゼットを奏でる

今年の定演が終わって10日ほどたつ。

 全メンバーによるアンサルブルで何とヴィオラ・ダ・ガンバで『ペルシアの市場にて』を弾いた。お姫様の旋律(ソロ)を受け持ったが、息も絶え絶えの瀕死のお姫様を演じるはめになった。「みょみょみょ~~、みょみょみょみょ~~」と自宅では優雅に響くも、いざ合同練習になると、ピッコロ&フルート(現代楽器)奏者から「もっと(大きな大きな音で)朗々とレガートに!」「フレーズに変化をつけて」と檄が飛ぶ。「(千秋風に)ひ~っ、(若者風に)むりむり…」とつぶやく。チェロじゃないんだからヴィブラート要求されても困るし、音量もたちうちできない。とうとう、やけくそになり一音一音弓をかえし凌ぐしかなかった。古のガンバ奏者が誰一人思いも寄らない、まさしく想定外の様相と相成った次第。 やはり、古楽器は、当時のオリジナル曲が相応しい。ガンバの特性を生かした曲ならまだしも、その道も究め尽くさない未熟者がオーケストラ曲に手を出すなどとは至極僣越なこと。編曲してくれたメンバーには申し訳ないが2度とやりたくはないなぁ~というのが本音。

それに反して、バロックリュートで弾いたヴァイスのソナタ『不実な女』全曲は、出来はともかくも楽しく弾けた。やはり、実際弾いてみると、以前、触れたように、この曲の原題 "L'infidèle"は、近頃吹聴されている『異教徒』や『トルコ人』などと訳することはとても奇異に思えてならない。そもそも、このようなフランス流の副題のあるヴァイスのソナタ(組曲)は、極めて少ない。この曲はドレスデン版とロンドン版が残されているが、"L'infidèle"の副題はロンドン版だけに見られる。ヴァイス自身が意図したのか、ロンドン版に関与した人物がつけたのか(そこにヴァイスの同意があったのか?)、第3者などが勝手につけたかを判別する術はない。尤も、この曲を含めヴァイスの曲のほとんどは当時出版されていないので、ハイドンの交響曲や弦楽四重奏曲のように出版元などが勝手につけた可能性は低い。
   しかし、私は、この組曲はフランス風を明確に意識していると思っている。何がフランス風なのであろうか? 『フランス組曲』と言えばバッハの有名なクラヴィア作品を思い出す。これも、バッハが意図してつけた曲名ではなく、バッハ死後につけられたものである。フローベルガーによって確立されたアルマンド-クーラント-サラバンド-ジーグによる組曲様式は、ドイツにおいてサラバンドとジーグの間に、ガヴォット、メヌエット、ルール、ブーレなどのフランス舞曲を挿入して規模が拡大されてゆく。バッハの『フランス組曲』はこの形に準拠する。冒頭にブレリュード(序曲、アントレ)、末尾にシャコンヌ、パッサカリアが置かれることも多い。バッハのクラヴィアのための『イギリス組曲』、『パルティータ』、無伴奏ヴァイオリンのための『パルティータ』などがその例である。あえて言うならば「フランス組曲」よりも「ドイツ組曲」というべきであろう。
  もともと、フランスのリュート音楽の影響をフローベルガーも受けたとされるが、フローベルガーの頃にはフランスの組曲は、ルイ・クープランのクラブサン曲やマラン・マレなどのヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)曲のようにフローベルガーの様式を踏まえながらも比較的自由奔放に様々な舞曲を配置するようになる。そして、ルイの甥フランソワ・クープランにいたっては『上品な女(L'Exquise)』『大胆な女((L'Audacieuse)』等意味深な副題をもつ小品(それらは必ずしも舞曲の形式にとらわれない)からなる組曲(オルドル)という独自の様式を生み出している。
   こうしたことを踏まえると、ヴァイスの『不実な女』は、ヴァイスが常套的に用いているバッハらによってドイツで確立昇華された組曲様式を「アントレ-クーラント-サラバンド-メヌエット-ミュゼット-ペザンヌ(ドレスデン版はサラバンドとミュゼットが入れ代わっている)」と、あえてフランス流に崩すことによって「フランス風」を強調することを意図したことが明白になる。冒頭のアントレのフランス序曲風の付点音符の進行も途中で8部音符の進行が割って入り様式の一貫性のなさが「不実」を象徴していると思えてならない。

   今回、ミュゼットについて定演直前にある興味深いことに気づいたのである。先日紹介した『アンナ・マグダレーナ 資料が語る生涯』という本の中に、バッハの『アンナ・マグダレーナのための音楽帳』第2集(1725~)掲載の小品「ミュゼット」の楽譜が掲載されていたのである。ちなみに同音楽帳第1集(1722~)には『フランス組曲』第1~第5番の初稿が書き込まれている。
  バッハのミュゼットと称する作品はこの音楽帳以外には知られていない。しかし、この曲とともに掲載されている小品の多くは、バッハの作品ではない。『ラバーズ・コンチェルト』としてアレシンジされて一躍有名になったト長調のメヌエットは、ヴァイスとともにドレスデンで活躍したオルガニストのペツォールトの作品であることが判明している。このニ長調のミュゼットは作品番号もBWV anh.126と参考作品として分類されているように、明らかに他者の作品である。

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  冒頭などに見られるミュゼット特有の低音のドローンをオクターブに分散させていることから「ミュゼット」でなく「ムルキー」であるとD.シューレンバーグ は『バッハの鍵盤音楽』で指摘しているが「ムルキー」とは、オクターブで細かく低音を刻むことによって、鍵盤音楽でドローンの持続効果を引き出すための技法をさすのであって特定の曲名ではない。ムルキーという他にあまり例を見ない語源不明の曲に由来する用語といえる。このミュゼットに先行するフィリップ・エマヌエル・バッハ作のポロネーズのリズムの類似性からみて彼が作曲した可能性が強い。

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   それはともかく、このミュゼットのリズムと音型に注目してもらいたい。…そう、ヴァイスの『不実な女』のミュゼット)ロンドン版)と相通じるのである。下にあげるタブラチュアを5線譜化した楽譜をみれば一目瞭然…。

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  もともと、ミュゼット(Muzette)とはフランスで貴族の間で、田園詩(劇)を想起する素朴な楽器として愛好されたバッグパイプの一種で楽器そのものを指していた。やがて、前述したマレやクープランといったフランス音楽家が器楽曲として取り上げるようになったのである。

  そこで、以下にマラン・マレーのヴィオール(と通奏低音のための)組曲からの3曲を例として取り上げる。

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上段は1711年の曲集から。
中段、下段は1717年の曲集のそれぞれ別の組曲から掲載順に並べたもの。
(下段は2つのヴィオールのための組曲)

 マレのいずれの作品は調整も拍子もリズムもそれぞれであり、ミュゼットという楽器を特色付けるバグパイブ風な長い低音(ドローン)も時がたつに連れて明確になっていくのが判る。 また、初期についていた冠詞がなくなっていくのも興味深い。いずれにせよ前述したようにミュゼットという曲は、ガヴォット、ブーレ、メヌエットのような特定のリズムや形式をもつ定固有の舞曲ではなく、ドローンを伴うことで田園風なミュゼットという楽器の雰囲気を表現する楽曲なのである。

 ちなみに、『不実な女』の最後を飾るペザンヌ(Paysane)も、「田舎風」という気味合いでマレの同曲に"Boureé Paysane"(田舎風ブーレ)などいう形で頻出しており、やがて単独の"Paysane"が出現するが、ミュゼットと同様これといった統一された様式がある舞曲ではない。

   こうして整理してみると、ヴァイスとマグダレーナ・バッハのミュゼットはおそらくは、何者かが創作したミュゼットを源(ソース)にしている可能性が強い。それがヴァイスのこのミュゼットをバッハがドレスデンで耳にしてお土産がわりに自分の家庭に持ち込んだのか、何者(フランス人?)かがドレスデンにもち込んだミュゼットをバッハやヴァイスや他の音楽家が耳にして独自に昇華(消化)したのかは定かではない。無伴奏チェロ組曲の第6番の第2ガヴォットに、朧にその姿をうかがえるものの、ミュゼットはエマニュエルの父親のセバスチャンのお口にはあわなかったようだ。

   それにしても、ヴァイスのミュゼットは、ロンドン版、ドレスデン版どちらを取っても主要動機のリズム音型の違うことに戸惑わされる。Muz_weiss_vari
上は、ロンドン版の冒頭。下は、ドレスデン版の冒頭。ただし、ロンドン版は、曲の途中で下の譜例のリズムに変容し、冒頭のリズムと錯綜し、再び冒頭のリズムに戻る。一方ドレスデン版は一貫して下記のリズムに徹している。
   ロンドン版のリズムの錯綜は、単なる写譜者の筆記の誤りだと思われがちだが、私は、、この時添えられた『不実な女』を明確にしようとした意図的な改訂であると思う。つまり、冒頭のアントレと同じように、わざと崩することによって予想を裏切る「不実」の象徴として捉えることができるのである。
   アンナ・マグダレーナのミュゼットとのリズムとの関係も、矛盾することで逆に先に触れた未知の源(ソース)をたどるヒントになるかも知れない。

   いずれにせよ"L'infidèle"は、やはり『不実な(フランス)女』が相応しい。何がヴァイスをそうさせたかは知らないが…。当時の国際関係をトルコなどと無理やり結びつける(そもそもそのネタはある人の冗談から始まったことなのだから…)よりは、ザクセンとフランスさらにはイギリスとの関係(さらにはプロイセン、ポーランドは穿ちすぎか?)を深く調べてみるのも一興かも…。お~っ!そうすると『不信心な女(フランス)』というのもありかも…。

 足の痛みはひいたが、久しぶりの音楽ネタの消化不良に苦しむ藤兵衛であった。

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Sautscheck事件

  昨日の日曜日は私の○3回目の誕生日。 自分自身へのささやかな贈り物のつもりでもっともこの年になると誕生日はちっとも嬉しくないが…、今日一日、日頃の超過勤務の振り替え代休をとるつもりでいた。しかし、平日の人出の少なさを見越して楽しみにしていた自転車での桜名所廻りが雨で流れてしまった。仕方なく午前中職場で一仕事し、午後帰宅する。 

  さてと…それでは昨日の記事の続きをしたためるとするか…。

リュート界を震撼(笑い)させた忌まわしき「Sautscheck事件」とは?

  事の発端は1996年頃、ネットにバロックから古典期にかけて活躍した未知の音楽家一族が紹介されたことに始まる。

 Sautscheck(サウチェック/ザウチェック?)なるチェコ系の一族はバッハ家やベンダ家と同じように Georg Anton, Johann Joachim, Joachim Peter, Joachim Peter,  Joachim Peterd ら数世代に渡りリュートを中心とした演奏家・作曲家を輩出した知られざる存在であり、彼らの残した膨大な作品や資料が埋もれたままになっていたという驚くべき内容であった。
このHPは、その証拠となる古文書の写真などとともに彼ら一族の伝記やエピソードをこと細かく紹介していたのだ。

  それを読むと、まさにリュートの歴史の書き換えが必要となる位、彼らが当時の著名な音楽家たちとの広く交流していたことに驚かされる。特にJohann Joachim Sautscheckは一族の中で最も足跡を残した人物とされており、北部及び中央ドイツの各地の宮廷と交流し、ベルリンで活躍していた大バッハの息子C.P.E.Bachの同僚の音楽家の娘Caroline Boehmerと結婚している。(エマヌエルはCarolineの名前を冠した有名なチェンバロの小品を残している)。彼J.J.は、ドレスデン宮廷楽団の活動にも参加し、クバンツやゼレンカそしてヴァイスなどと親しく交わったとされる。その一端は、ドレスデンにて、先にあげた面々が、新進のハッセとその妻でソプラノ歌手ファウスティーナといがみ合うエピソードとして紹介されている。ファウスティーナの傲慢不遜な態度が生々しくいかにも現実味を帯びている。…私は、夫婦揃ってわざわざライプチヒのバッハのつつましやかな自宅を表敬訪問しているハッセ夫妻はそんな悪い人でないと思っているが…。

 何よりも注目を集めたのは、彼らの残したリュート作品が浄書されたタプラチュア譜で紹介されており譜面をダウンロードできたことにあった。特に、前述したJohann Joachim Sautscheckの50曲以上のソナタを中心に大量の作品を閲覧し試聴し演奏できたのであった。いかにもネット時代を象徴するかのように海外のリュート界で話題になり、多くの賛辞がこのHPの掲示板に寄せられた。

 しかし、疑問をいだく人々も少なからずいた。まずはJ.J.Sautscheckのソナタの様式が後期バロックとしても独特のものであり、そのほとんどが短調で作曲されている点が指摘された。そして、記事で紹介されている伝承、エピソードが事実なら、華麗なるSautscheckに対して音楽史に全く登場していない不自然さが批判の大きな根拠となり、海外のリュート愛好家を中心に論争と批判が巻き起こる。逆に言うと、Sautscheckに魅惑された愛好家がかなりいたことを物語っている。

 私がこの記事に気がついたの5、6年程前、最初からうさん臭いと感じていたが…事実、次々と紹介されいた新資料(楽曲)がいかにも眉唾ぽく、特に膨大なトンボー(追悼曲)群…ゼレンカ、ヴァイス(あくまで推定との念の入った思わせぶり!)など著名な音楽に捧げたものが亡霊の如く次々に現れ、呆れ果てた次第…。まさしく墓穴を掘った?(その残滓を覗くことができる…警告:心臓の弱い人は開けない方が身のため)

 結局、HPの掲載者であるRoman Turovskyという人物が全てをでっちあげたということが明らかになりこの騒動の幕はおろされることとなる。

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  1961年、旧ソ連時代のウクライナのキエフに生まれた彼は、画家である父の影響で美術を学び、やがて音楽にも興味を持つようになる。1979年、家族とともにニューヨーク市に移住した彼は、パーソンズ・スクール オブ デザイン(Parsons School of Design)で美術(芸術)の造詣を深めるとともにバロックリュートの歴史的奏法や作曲法を研究し、やがて総合芸術家(クリエーター)として活動し始める。1990年にはじめには本格的に作曲活動を始め現在にいたるまで膨大な作品を生み出している。欧米各地の国際的な音楽祭にも参加し、あのピアンカなど多くの著名な演奏家と競演している。

 そのようなクリエーターとしての彼がネットを使って自己作品を広めようと一捻りしたのが父方の祖母の姓Savchukをドイツ語風にもじったSautscheck一族の創出なのである。もともと悪意はなかったのだろうが、様々な資(史)料までも捏造するなど凝りすぎたのが不幸を招くことになる。確かに彼の生み出したSautscheckの音楽は佳品が少なくない。当然バロック当時の未知のオリジナル曲として愛好家を熱狂させた。しかし、事の真相が暴かれると、多くの愛好家は失望し、彼は誹謗中傷の嵐にさらされることとなった。

 聞くところによると、ドイツでは「芸術的なペテン」を表わす「Sautscheckerei」なる造語ができたらしい。もっともであろう…大半の善良なるリュート及び古楽愛好家は、何よりもオリジナル性つまり歴史的価値を尊ぶ。そして未知の作曲家、楽曲を発掘することに喜びを感じている。 彼のやったことは明らかにそうした愛好家に対する裏切り行為であり、古楽を冒涜したとしか映らないからだ。大発見に心ときめかされて、それが全てウソでしたと言われたときの落胆ぶりは「悪魔に惑わされた」的な怒りを招くのは当然の理だ。何の予備知識がない一般人ならいざ知らず、アルビノーニのアダージョやカッシーニもといカッチーニ(ありゃ土星に飛んでしまった)のアヴェマリアを聴いて単に「美しい音楽」として済ます訳にはいかないのである。

  かくして誠実なる善男善女の大方は、リュート奏者中川祥治さんのブロク『リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」』恒例の「エイプリルフールねた」記事を読んだみたいに笑いころげることができなかったのであった。

♡私藤兵衛は中川氏のこのジョークを毎年楽しみにしています。。

  今年も「マッテゾン杯争奪リュート調弦競技会」開催…とやってくれました。
 …まさに抱腹絶倒…絶妙な楽屋落ちに笑い転げました。中でも

   2007年の「ヴァイスの不実な女は実は異教徒トルコ人
  2005年の「バッハの未知のリュート曲大量発見
 …のネタは秀逸!

  中には本気にとった人も少なからずいるようで、まことしやかにネット上に流布しているのは困ったもんでが、(面識はないのですが)したり顔した中川氏の姿が目に浮かびます(笑い)。

   「その手は桑名の焼き蛤」…私の住む行田市と桑名市は姉妹都市…。

 …閑話休題。

   しかし、結構この一件でRoman Turovskyの名前が売れたのには間違いない。形は変えて彼の実名Roman Turovsky-Savchuk(あの祖母の姓もつけて)で堂々とHPは存続しているまた、彼のクリエータとして芸術活動も紹介されている

    新作の発表は自粛しているようだが、多くの作品や彼の演奏がアップされている。You Tubeでも彼自身や彼のファンが作品演奏をアップしている。興味のある方は検索なさるがよろし。目論み通り、彼は芸術家として後世に名前を残せることは間違いない。その証拠にちゃんとその名はWikipediaに記されている。そのしたたかさがなせる技…。  

ちなみに、私は彼を否定も肯定もしない。なぜなら…

バロック当時の曲や作曲家を探求するので精一杯(その他好きな音楽てんこ盛り)の藤兵衛なのである…故あしからず 

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神々の楽器~再誕

ついに出た!

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『リュート~神々の楽器』改訂版  菊池賞 著   水戸茂雄 監修  東京コレギウム 出版

ヴァイスやバッハと同時代に活躍したリュート奏者パロン(Ernst Gottlieb Baron1696~1760)がリュートについて詳しく述べた名著である。

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  2001年に初版が発売されているが、数年前にリュートを再開した時には既に絶版状態であった。その昔、『現代ギター』に高野紀子氏による抄訳が紹介されていたが、当時のリュート事情を知る上で貴重な史料としてその内容の素晴らしさにその全貌を知りたいと常々その再版を待ちこがれていた。

   まさに満を持してすぐさま、出版元の主にチェンバロに関する書籍や楽譜を扱っている東京コレギウムから取り寄せた。

  程なく手元に届いたが、その荷をほどき繙く前に驚愕の事実に遭遇していた。
オンラインで購入後、同社のブログを発見し、そこであのバロック時代の音楽理論家として有名なマッテゾンがリュートの天敵であることの記事を発見

バッハのオルガン演奏や対位法の知識を高く評価しているマッテゾン(Johann Mattheson 1681~1764)

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が、ぼろくそにリュートをけなしている!

 「猫なで声のリュート」はまだしも、リュート愛好家にとってここで紹介することもためらう.くらいけんもほろろ…マッテゾンとはかくも了見の狭い人間だったとは…。

    …う~ん。彼は若いころ知り合ったヘンデルに因縁をつけて決闘騒ぎになって殺されかけたことがあったと聞く。さもあらん…。もっともその時、マッテゾンが殺されていたなら、全身全霊を注いでリュートを擁護したバロンのこの名著も生まれなかったであろう…(笑い)。

   傑作の原動力は…悪敵手?…バッハとシャイベとの関係も然り?   ともかくヘンデルとはよりを戻すも、当代一流のヴァイスを始め多くのリュート奏者の恨みを買いながらもマッテゾンは生き長らえた。

ちなみに、謎の技法「Zug」 に関する水戸氏の解釈や付録のマッテゾンに宛てられたS.L.ヴァイス(1687-1750)の彼への反駁の書斡も貴重!

   何よりも、一部の人間にはバイブルにも等しいながら、世間一般にはとてもマイナーな書物を日本語で読めることができることはまさに奇蹟。出版(再版)に携わっていただけた関係者各位に感謝!… リュートに興味のある人是非一読を!

  秋の夜長、ジックリつきあえる書物に出会った藤兵衛であった。

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岡沢道彦さんのライブ

 久々に記事を書こうとしたらメンテナンス工事とやらで長時間書き込み不能。通勤用クロスバイクついにゲット!…及び先日紹介した自転車用サンダルでリカンベント初乗りした矢先、見事に転びあやうく骨折…との自転車ネタはさておいて…。

 先日、岡沢道彦さんのリュート演奏会に出掛けた。
場所は熊谷駅近くの「BAR すごもり」

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 この店はジャズやクラシック音楽をはじめクラッシクギターやフラメンコ、津軽三味線、シャンソンなど多彩なライブを定期的に催している。最大25名収容とこじんまりしているが常連客も多い。

  岡沢道彦さんは、横浜在住のリュート奏者でギター教室も開催されておられる。縁あって毎年この時期に、埼玉のこの場所でリュートの演奏を披露されている。 今回で6回目になるが、2回目から毎年拝聴させていただいている。(うち一回は沖縄出張の前夜だったので泣く泣く不参加)

当日の演奏曲目

パーセル:うるわしの島  恋の病から ああ恋することって 和解の星 グランド

ヴィヴァルディ: そよかぜ 潮騒 マドンナ ときめき あこがれ 魅惑の舞 やすらぎ シチリアーノ

ハイドン:ディヴェルティメント「舞踏会」Hob.XII:3+5 アダージョ メヌエット プレスト

バッハ:  プレリュードBWV1006 フーガBWV1001 ブーレとドーブルBWV1002 ジグBWV1004

 ヴィヴァルディのプログラムは協奏曲の緩徐楽章をアレンジしたもので岡沢さんがご自身イメージした洒落た副題をつけていらっしゃる。ハイドンはバリトンソナタの編曲。副題も岡沢さんのネーミング。バッハは無伴奏ヴァイオリン作品からの編曲。

 お気づきの通り、パーセルをはじめリュートソロのオリジナルの曲は全くない。(とはいってもヴィヴァルディの最初の三曲はリュート協奏曲の第2楽章から採られてはいるが…。)

 実は、岡沢さんの使用している楽器は8コースルネサンスリュートの形はしているが、独特の調弦を用いている。

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ご覧のように※印の4つの弦にヴァイオリンの調弦を意図的に配することで5度調弦のヴァイオリンやチェロの曲の演奏が容易にしたとのこと。称して「オカザワ・チューニング」。

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この楽器(2002年山下暁彦作)でCDも2006年11月にだされていらっしゃる。

バッハの演奏は実にみごとで、この楽器の特性をフルに活かし、バロックリュートとは別の世界を生き生きと描き出しておられる。

 とはいっても、実は岡沢さんは知る人ぞ知る日本で初めて(ひょっとしたら世界初)バッハのリュート曲及びヴァイオン、チェロ、フルートの無伴奏曲の全曲をバロックリュート用のタブラチュア譜を書き起こし出版された方なのだ。

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今からうん十年前、ギタルラ社の楽譜コーナーで発見。

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 ただただ驚愕!当時タプラチュア譜には馴染んでいなかったのと分冊毎結構高額なので手にはできなかったが、私自身の5線譜でのバロックリュートのバッハ編曲に大いに刺激になり、宝物のように大切にこのカタログは保管していた。岡沢さんの最初のライブに参加する際これを携え、ライブ終了後に表紙にサインしていただいた次第。その折り、今の調弦にいたるお話を伺うことができた。バッハをより自然に表現できる合理的なスタイル。

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 また、写真ではお判りにくいかもしれないが、リュートをしっかり固定して支える器具も考案され、安定した演奏の一助となっている。岡沢さん音楽に対する飽くなき探求心に敬服している。

 私が毎年興味津々なのがクープランやモーツァルト、ハイドンの編曲もの。全く非リュート的な楽器作品からリュートの音楽を爪弾きだす。比較的相性の良い作品を吟味して編曲なさるとのことだが超絶な技法と飛び抜けた作品分析!バロックリュートを弾く私とは方向性が違うが、毎年楽しみにしている。今年のハイドンのバリトンの曲は、コハウトやハーゲンなどの後期バロック(ロココまたは前古典期)リュート音楽を彷彿とさせとても楽しく聴かせていただいた。パーセルのグラウンドも彼がリュートの曲を残したならかくあらんという秀逸な編曲。また、来年が楽しみである。

 触発されバロックリュートに久々にもえる藤兵衛であった。

 

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忘れた頃にドイツから…

 数日前、海外から荷物が届いた。…ドイツから?。

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 「これ、どいつんだ?」とはお後がよろしいようで…。

  う~ん、しばし荷物を前に思いおこす。次の瞬間、小躍りする。ず~~~と前にまとめて注文した楽譜!たしかオーダーした楽譜のいくつかが在庫切れととの返事をもらい、送料がもったいないので「全部揃うまでとにかく待つのでよろしく」といった怪しげな英文のメールで返答した物件しかないぞ。

 あせる気持ちをおさえて再度送付元を確認。間違いない。まさに欣喜雀躍!しっかり写真に納める。

お~と、何と包みの紐に蝋緘が!

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 ドイツからの長旅ではがれて形も崩れている。今どきのセキュリティーとしては心もとないが、当地ヨーロッパの伝統を感じさせる心憎い演出。

 中身は何かは今はヒ・ミ・ツ…。ほとんどがバロックリュートを交えた協奏曲などのアンサンブル作品(ファクシミリ)とだけ触れておこう。

この休日、飽かず眺め堪能した藤兵衛であった。

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発見!コンティとバロックリュート~その2

前回に引き続きコンティのカンタータとパロックリュートの関係についての紹介。
(仕事にかまけて実に久しぶりの記事と相成る)

 Francesco Bartolomeo Conti : "Ⅷ Cantate Con instromenti"
   フランチェスコ・バルトロメオ・コンティ作曲「8つの器楽つきカンタータ
Ⅰ:Cantata prima a voce sola,"Lontananza dell'amato"                    chalumeaux, flute allemande ou hautbois, violini sordini, leuti francesi e basso
Ⅱ:Cantata seconda a voce sola,"Ride il prato"
    flauto o chalumeau, violini, leuti e basso continuo
Ⅲ:Cantata terza a voce sola,"Con piu lucidi candori"
     chalumeaux, due violini, leuto e basso continuo
Ⅳ:Cantata quarta a voce sola,"Vaghi augelletti"
     chalumeaux, due violini, leuti e basso continuo
Ⅴ:Cantata quinta a voce sola, "La belta che il core adora"
     chalumeaux, violini,leuti e basso continuo
Ⅵ:Cantata sesta a voce sola,"Gira per queste selve"
     con violini, hautbois e basso continuo
Ⅶ:Cantata settima a voce sola, "Fugga l'ombra tenebrosa"
    con violini, hautbois e basso continuo
Ⅷ:Cantata ottava a due voci,"Fra questi colli ameni"
    con violini, hautbois e basso continuo

 ウィーンの国立図書館所蔵のファクシミリがS.P.E.S.社により4曲ずつの分冊で出版されている。作曲年代は不明だが、コンティがウィーンの宮廷で活躍した1713~1725頃、宮廷で演奏されたものと推定される。彼は生涯オペラ26曲、オラトリオ10曲、ミサ4曲、そして70以上のカンタータを作曲したとされるが、その実像は埋もれたままである。以前は、バッハが31歳のヴァイマール時代末期1716年に、コンティのカンタータ"Languet anima mea(わが魂は病み)"の総譜を筆写した…参考:バッハ辞典(東京書籍)…ということで語られるだけであったが、近年その作品の一部に光が当てられるようになった。このカンタータ集もコンティの優れた才能をしめす佳作である。

 いずれも、ソプラノ独唱(第8曲のみデュオ)と通奏低音と器楽伴奏つきのレシタティーボとアリアによる一般的なイタリア様式のカンタータである。しかし、(弱音器付き)ヴァイオリンドイツ式フルート(フルート・トラヴェルソ)、リコーダー、オーボエといった楽器にシャリュモー(クラリネットの原型)やリュートが用いられているところに大きな特徴がある。下記参照

----各カンターター曲目及び楽器編成(6曲以下省略)-----
略語 Clm:シャリュモー lt:リュート vn:ヴァイオンリン fla:フルート・トラヴェルソ fl:リコーダー ※各曲通奏低音付き

Ⅰ:

  1. Aria ニ短調 4/4 clm, fla(ob), vn, lt
  2. Recitativo
  3. Aria ヘ長調Allegro 4/4 clm + vn, lt
  4. Recitativo
  5. Rittor & Aria ニ短調 3/4 tutti(unissoni),lt    

Ⅱ:

  1. Aria ヘ長調Allegro 4/4  Vn + fl(clm), lt
  2. Recitativo
  3. Aria ハ長調 3/8  fl, lt
  4. Recitativo
  5. Aria ニ短調 1/2 fl solo(slm)
  6. Recitativo
  7. Aria ヘ長調 3/4 fl, lt 

Ⅲ:

  1. Aria ハ長調 4/4 clm, 2vn, lt
  2. Recitativo
  3. Aria ホ短調Adagio 4/4  clm solo
  4. Recitativo
  5. Aria ハ長調Allegro assai 3/8 unissoni, lt              

Ⅳ:

  1. Recitativo vn1, vn2, lt
  2. Aria ヘ長調 4/4 clm1, clm2, lt
  3. Recitativo
  4. Aria 二短調Adagio 3/8 clm solo
  5. Recitativo
  6. Aria ヘ長調 3/4 tutti, lt

Ⅴ:

  1. Aria 変ロ長調 4/4 clm, vn, lt
  2. Recitativo
  3. Aria ヘ長調non presto 1/2 unisson
  4. Recitativo
  5. Aria 変ロ長調 3/8 tutti, lt 

 コンティーが奏でるこのカンタータの音楽は、シャリュモーの牧歌的な響きが自然や田園を賛美した歌詞の内容にふさわしいく全体的に明るくさわやかである。各アリアの調性もヘ長調、変ロ長調、ト長調とそれにふさわしものを用いておりフランス式リュート(ニ短調調弦のバロックリュート)がよく響き、さりげなくきらびやかな彩りをそえる。

 曲集は、リュートを用いた第1~第5曲、ヴァイオリン、オーボエを用い定型化された第6~第8曲に大別される。また、前者のグループでも第5曲は先の4曲とやや作曲の様式に時間的な隔たりが感じられる。リュートは幾つかの管楽器のソロが用いられるものを除いてアリアにおいてヴァイオンリンTuttiとユニゾンで奏でられるが、一つの独立したオブリガード楽器としてフランス式タブラチュア譜のパートが割り当てられている(レシタティーボは第4カンタータの冒頭にのみリュートオブリガードパートがある)。しかも、バス(コンティヌヌオ)のパートも組みこまれており、各所でヴァイスの独奏曲以上の高度な技術が要求される。イタリア人のテオルボ奏者がフランス式のバロックリュートを用いること自体が奇異であるが、ウィーンでコンティの同僚のフックスに学んだゼレンカの『エレミアの哀歌』などにシャリュモーの使用例がみられるようにウィーンという環境がそうさせたのであろう。

 しかし、残念ながらコンティの器楽曲はシンフォニア2曲とマンドリーノのためのソナタや小品が残っているのみでリュートまたはテオルボの独奏用の作品は知られていない。幸いなことにこのカンタータの最初の4曲には部分的にAB形式の舞曲的な部分があり、その部分を単独のリュート独奏曲として演奏することが可能である。ちなみに、タブラチュアの装飾記号などは一般的なものであるが、誤記が余りに多く、スラーなども意図が不明なものも多いし前後で一貫性のないものが散見する。そもそもリュートを始め単語の綴りもかなりアバウト…ここら辺がイタリア人の本領発揮といっては失礼なのだが…。

  今回はそのうち一番独立性の高い第1カンタータの最後のアリアの冒頭につけられた序奏的な器楽合奏部…Rittor(立っての意?Ritornèlloの略?)という意味不明の表題?…から、私がおこしたタブラチュアを紹介したい。

Conti_men1

世界初公開??  バロックリュートのためのコンティのメヌエット!!

 

 フランス流11コースの楽器で演奏可能。第7及び第15小節目の第3拍目のスラーは特殊な用法であるがそのままにしてあるが、アリア部分ではスラーは存在していない。逆にアリア部分などを参考にして加えた装飾音符もある。メモ程度(書きなぐり御免)に起こしたものなのであくまでも参考に…。ささやかながらもコンティのリュート奏者としての技量が垣間見ることができれば幸いである。機会があれば、その他も紹介したいが…。いつになるやら  

  やっと一つ仕事が峠を超えブログ再開となった藤兵衛であった。      
   (そのくせ、その間ガンバやリュートとは毎夜のお付き合い)

        この稿,校訂中…

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発見!コンティとバロックリュート~その1

久しぶりの音楽の記事。

 先日、まとめて楽譜を輸入した。(→1月6日の記事)
今回、そのうちの次の楽譜を紹介したい。

Conti_cant_ms

フランチェスコ・バルトロメオ・コンティの 『Ⅷ CANTATE Con instromenti(八つのカンタータ集)』全二巻

 ウィーンの宮廷でフックスと同時代、テオルボ奏者兼オペラ作曲家として活躍したコンティFrancesco Bartolomeo Conti(1681-1732)については、「ヴァイスとの交流」→2008/8/9)、「コンティとテオルボについて」(→2008/8/20)といった内容をそれぞれを紹介した。

 そもそも彼に興味をもったのは、バロックリュート最大の巨匠ヴァイスも一目置いた程の存在だということだ。しかし、残念ながら彼の知名度は低く、一般の音楽愛好家が作品に触れる機会はほとんどないと言ってよい。たまたま、クヴァンツの伝記から彼のことを知り得て、先の一連の記事を書いて「忘れられた巨匠」を紹介した次第である。

 その時、彼の復興のきっかけとなったオラトリオ『DAVID』のCDを紹介したが、他に入手できる彼のCD「4つのカンタータ」なるものが気になっていた。もしや『DAVID』と同じようにテオルボが使用されているのではないかという淡い期待感があった。そんなおり、この楽譜を入手することになるOMIの楽譜カタログのリュート作曲家の項に彼の名前を見いだしたからである。

 それがこの『Ⅷ CANTATE con instromenti 』全二巻なのであるのだが、かのCDのカンターターと一致するかの確証もなく(何よりも曲数が違う)、値段もそれなりに高価である。しばらく考え込んだ後、値段も注文もお手軽ということでCDの方をHMVに発注したのだった。ところが、しばらくたってからHMVから入手困難との連絡がくる。この時キャンセルの手続きを取らなかったのが福音をもたらしたのである。何と昨年末忘れた頃にこのCDが届いたのである。(私の注文のお蔭で在庫があるはず→HMV※追記 1/23には在庫無し、とのこと…申し訳ござらぬm(_ _)m

Conti_cant_cd_2

演奏者たちの知名度は決して高くないがLiuto奏者Maurizio Pratolaの名前をジャケットに見いだして期待をこめて聴いてみた。「お~っ」と思わず叫んでしまった。何とリュートがあちらこららで大活躍。コンティヌオ(う~、作曲者の名前と紛らわしい…)ではなく、4曲のいたるところでオブリガードを奏でているではないか!落ち着きを取り戻し耳を済ませばヴァイオリンと大部分がユニゾンになっているようだが、ところどころリュートソロが散見する。

  う~ん…これは是非楽譜が見てみたいということになり、冒頭で述べた通り円高に託つけて楽譜のまとめ買い走った次第。一番の目的は、言うまでもなくこのコンティの楽譜であったが、まさに清水の舞台から飛び下りる気持ちで全2巻(8曲)購入した訳である。

 届いて欣喜雀躍、第1巻がまさしくかのCDとドンぴしゃり!さらに驚いたのは何とフランス式タブラチュア譜が用いられていたことである。

Conti_cant1_1

Conti_cant1_2_3

    第1曲のカンタータの冒頭部

 なんと!、使用されていたのはテオルボでなく完全にニ短調調弦のバロックリュートであった!これは意外で驚きの発見である。 Zamboniなどのように同世代までのイタリア人(コンティはウィーンで活躍していたが…)のリュート音楽は「G調弦のアーチリュートなど(イタリア式タブラチュア)が当たり前」という先入観が崩れたのである。詳しいことは日を改めて紹介するが、ヴァイスに匹敵する技巧を要するものの11コースの楽器を前提としており、ヴァイスの先達コンティという位置づけが明確になったことだけは押さえておきたい。

 コンティの虜になってしまった藤兵衛であった。

 

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コンティとテオルボ

週明けから職場に復帰…お盆は親戚を迎える者にとっては休暇にならない…ブログもご無沙汰状態…といいつつ飲み食いにつきあい体重が増えてしまった…

フランチェスコ・バルトロメオ・コンティ( Francesco Bartolomeo Conti 1681-1732 )

 ウィーンの宮廷でオペラ作曲家、テオルボ奏者として活躍したフィレンツェ出身の音楽家である。20才の頃にはイタリアでテオルボやマンドリンの演奏者として名を挙げていた。おそらくこの頃までにオペラなどの声楽曲の作曲技法も習得していたと考えられる。1701年にウィーン宮廷に副テオルボ奏者として採用され1708年首席奏者となっている。1713年にかのフックスの後継として宮廷作曲家に任命され、翌年から1726年に病気で一線を退く前年まで、宮廷やウィーンでのオペラの上演や大きな音楽行事を引き受けることとなった。カンタータ(世俗的なものも含む)、ミサ、オラトリオなどの宗教音楽もふくめて数多くの作品を作曲している。器楽作品については、1707年ロンドンで器楽作品集1巻が出版されたらしいが詳細は不明。他にオペラから抜粋されたシンフォニア9曲と、おそらくイタリア時代のマンドリンソナタが存在するという。興味深いのは当時最高のテオルボ奏者であるのにも関わらずこの楽器のための独奏曲は現在確認されていない。彼の本領はオペラやオラトリオ作曲家であり、テオルボはそれを自らの作品を上演する際にコンティヌオで支えるいわば指揮棒のような道具であったのだろう。ピッチニーニやカプスベルガーとは隔世の感がある。しかも、確かめられる資料にはオペラなどの声楽曲においてもテオルボが(ソロで)活躍するシーンすらあまりないとある。
  1724年に作曲されたオラトリオ『David』がテオルボを効果的(意図的)に使ったその例外である。
David_cd
   2007年発売   参考ソロテオルポ: Jakob Lindberg

  言うまでもなく旧約聖書のダビデとサウル王にまつわる話を土台にしている。ペリシテ人との戦いで巨人ゴリアテを倒し英雄として迎えられた牧童ダヴィデ、苦悩するサウル王、二人の間にたつ王子ヨナタンらの葛藤を描き出す。神に疎まれ悪霊に憑かれた王の狂気をダビデの竪琴が癒す有名なシーンがある。そこにコンティは竪琴に見立てたテオルボのソロをダヴィデの象徴として用いている。彼は、そのダヴィデのレシタティーボとアリアに先立ってテオルボを駆使したプレリュードを置く。それはテオルボをソロとした小シンフォニアといってもよい。聞き手の誰しもがダヴィデが竪琴を爪弾く姿を想い描く。アリアの切々と語りかけるようなテオルボの繊細に織りなすアルペジオや半音階的な旋律はこの作品中最もナイーブでサウル王のみならず我々のまさしく琴線に触れてくる。これだけでもコンティの演奏家・作曲家としてのなみなみならぬ技量を推し量ることができる。曲全体もスカルラッテイを超える深い感情表現を湛えて味わい深く傑作であり、オペラ的な要素が強い作品である。彼の作品の数々が当時のウィーンで絶大な人気を得ていたことは、大バッハがすでに1716年にコンティのカンタータ "我が魂は病みLanguet anima mea"を筆写し後にオーボエなどを付け加え研究してることからもうかがえる。また、ヘンデルのオラトリオ『Saulサウル』もコンティのこのオラトリオに少なからず影響を受けたという説もある。『David』をウィーンで演じた歌手がロンドンに渡りヘンデルの興行に参加していることから、『Saul』の台本や演出にヒントを与えたと推察できる。度々上演された『Saul』のある機会にヘンデルはテオルボをダヴィデの琴にみたてたアリアを使っている事実があり、非常に興味深い。(下記楽譜 コンティの用法に比ぶべくもない)。
Handel_saul_aria

Saul_cd
  手持ちの1985年アルノンクール実況版~残念ながらテオルボ使用の例のアリアは収録されていない。コンティヌオに用いられているテオルボは西村順治氏制作のセラスモデル。

 近年この『David』などのオラトリオやいくつかのカンタータが再演、録音されコンティの名が蘇りつつあるが、クヴァンツが自伝の中で「風変わり(な男)」として表した彼の実像は依然としてベールに包まれたままである。彼のよく知られたエピソードとしては、マッテゾン(Johann Matteson 1681-1764)の著作『完全なる楽長 Der vollkommene Capellmeister』が記すコンティが1730年に「聖職者に暴行を働いた」といったような一件が知られる。クヴァンツは同じ自伝の中で、コンティの息子と取り違えられた噂話であり彼自身とは無関係であると真相を語り彼の名誉回復につとめ、「創造力に富んだ情熱的な作曲家である」と評価している。この事件の数年後コンティはウィーンでその一生を終える。         
 ちなみにヴァイスとコンティの関係については、1723年にプラハでフックスのオペラでテオルボを共演(ソロをコンティ、コンティヌオをヴァイス)した際、ヴァイスはコンティに一目置いていたのは明らかである。ただしそれ以前、1718年から翌年春にかけての数カ月のヴァイスのウィーン滞在時に、コンティとどのような接点があったのか?…興味のつきない藤兵衛である。     この稿書きかけ

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バッハのリュートソナタ

発掘途中で忘却の彼方にあった興味深いLPをいくつか再発見。

その一   
   ブリーム/バッハ= ヴィヴァルディ・リュート・ソナタ集
Breamsonatalute_2

同じくブリームのリュートもの。ジョージ・マルコムとのハープシコードとの共演。
録音や販売の年の記載は解説にはないが、ブリームのお姿から察すべし…
写真からはっきりと金属フレット、サドル付きというリュートもどきの構造がみてとれる。(先の記事の楽器は別ものだが本質は同じであろう…)、ハープシコードもおそらく歴史的なものとは一線を画するものかもしれない。ぺダルで色々操作できる当時最先端?!の楽器を演奏するマルコムの姿をテレビで見た記憶がある。

曲目
   J.S. バッハ(ブリーム編)
       トリオ・ソナタ 第1番 変ホ長調   同  第5番 ハ長調
   ヴィバルディ(マルコム編)
      リュート・ソナタ ト短調

  バッハの原曲はオルガンためのトリオソナタ BWV525~530からの2曲
歴史的にはリュートとチェンバロのトリオソナタのような編成は存在しないと眉をひそめられるかたもおられるであろうが、(楽器の問題はひとまずおいといて)個人的には拍手喝采

 何しろオルガンのためのトリオソナタ自体が斬新で奇抜な存在。この曲をヴァイオリン、オーボエ、フルート、リコーダーなど種々の編成で再構成したCDや楽譜が巷には色々と出回っている。(私も結構好きでこの種のCDを目にするたび手に入れてきた。)バッハ自身も第4番のソナタBWV528の一つの楽章をオーボエ・ダ・モーレとヴィオラ・ダ・ガンバというこれまた特殊な編成に再構成してカンタータBWV76のシンフォニアに流用している。
 トリオソナタの一つの旋律パートと通奏低音パートをチェンバロの右手左手にそれぞれ割り振り、残りの旋律パートをしてヴァイオリンやフルートの(ソロ)ソナタとする手法もバッハの得意とするところである。BWV1039の2つのフルートのためのトリオソナタは、まさしくその手法でヴィオラ・ダ・ガンバソナタBWV1027に移しかえられている:※。また、バッハ自身の編曲かどうか定かでないがその第4楽章はオルガン用のトリオソナタBWV1027aにも編曲されてもいる。

 ※両者とも消失した原曲から編曲されたという説もある

 何がいいたいかというと、色々な楽器を持った人が集まれば、その楽器でその場にある曲を自分の楽器に合わせて弾くのはごく自然の成り行きであるということだ。そのいい例が最近よく話題になるヴァイオリンソナタBWV1025である。バッハとヴァイスとの戯れから生まれた作品というのがすっかり通説となったが(ほろ酔い気分のヴァイスが調子のよいリュートソナタを弾きはじめると、これまた出来上がったバッハがヴァイオリンを手に即興で乱入という場面を想像してしまうが…)、その音楽の戯れの集いにおいてオルガンとチェンバロの達人バッハが自宅の自慢のチェンバロでヴァイスのリュートと競演しないはずはない。バッハが自分のトリオソナタを紹介がてらヴァイスと演奏した可能性は高い。アンサンブルにたけているヴァイスはタブラチュアに書き換える必要はないからお手軽に競演に興じられるわけだ。その場合リュート用のパート譜をつくる必要もないので演奏の証拠は当然残らない。 逆にバッハ側で先のヴァイオリンとリュートのセッションを「面白かったぞ~」と記録にとどめようとしたなら大変だ。翌日二日酔いに苦しむ両巨匠の「勝手にしろ~」との了承のもと、ヴァイスから借り受けたタブラチュアを、リュートに心得のある弟子がチェンバロ譜に置き換え、競演に居合わせたバッハの弟子やら息子が(総手で?)記憶をたよりに酔っぱらいのヴァイオリンをけなげに音符に起こしたといったところが真相であろう。その証がBWV1025ということだ。  

 というわけで(内輪で楽しむ分には)無理に常識や形式にあてはめようとすると何の発展や発見もないしつまらないだけと改めておもいしらされた。常識と思われる知識もえてして思い込み、勘違い、思い上がりであるということがままあるからだ。まずは何より先達に敬意を払い、知識は柔軟に幅広く吸収せねば…と自戒する藤兵衛である。

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