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Sautscheck事件

  昨日の日曜日は私の○3回目の誕生日。 自分自身へのささやかな贈り物のつもりでもっともこの年になると誕生日はちっとも嬉しくないが…、今日一日、日頃の超過勤務の振り替え代休をとるつもりでいた。しかし、平日の人出の少なさを見越して楽しみにしていた自転車での桜名所廻りが雨で流れてしまった。仕方なく午前中職場で一仕事し、午後帰宅する。 

  さてと…それでは昨日の記事の続きをしたためるとするか…。

リュート界を震撼(笑い)させた忌まわしき「Sautscheck事件」とは?

  事の発端は1996年頃、ネットにバロックから古典期にかけて活躍した未知の音楽家一族が紹介されたことに始まる。

 Sautscheck(サウチェック/ザウチェック?)なるチェコ系の一族はバッハ家やベンダ家と同じように Georg Anton, Johann Joachim, Joachim Peter, Joachim Peter,  Joachim Peterd ら数世代に渡りリュートを中心とした演奏家・作曲家を輩出した知られざる存在であり、彼らの残した膨大な作品や資料が埋もれたままになっていたという驚くべき内容であった。
このHPは、その証拠となる古文書の写真などとともに彼ら一族の伝記やエピソードをこと細かく紹介していたのだ。

  それを読むと、まさにリュートの歴史の書き換えが必要となる位、彼らが当時の著名な音楽家たちとの広く交流していたことに驚かされる。特にJohann Joachim Sautscheckは一族の中で最も足跡を残した人物とされており、北部及び中央ドイツの各地の宮廷と交流し、ベルリンで活躍していた大バッハの息子C.P.E.Bachの同僚の音楽家の娘Caroline Boehmerと結婚している。(エマヌエルはCarolineの名前を冠した有名なチェンバロの小品を残している)。彼J.J.は、ドレスデン宮廷楽団の活動にも参加し、クバンツやゼレンカそしてヴァイスなどと親しく交わったとされる。その一端は、ドレスデンにて、先にあげた面々が、新進のハッセとその妻でソプラノ歌手ファウスティーナといがみ合うエピソードとして紹介されている。ファウスティーナの傲慢不遜な態度が生々しくいかにも現実味を帯びている。…私は、夫婦揃ってわざわざライプチヒのバッハのつつましやかな自宅を表敬訪問しているハッセ夫妻はそんな悪い人でないと思っているが…。

 何よりも注目を集めたのは、彼らの残したリュート作品が浄書されたタプラチュア譜で紹介されており譜面をダウンロードできたことにあった。特に、前述したJohann Joachim Sautscheckの50曲以上のソナタを中心に大量の作品を閲覧し試聴し演奏できたのであった。いかにもネット時代を象徴するかのように海外のリュート界で話題になり、多くの賛辞がこのHPの掲示板に寄せられた。

 しかし、疑問をいだく人々も少なからずいた。まずはJ.J.Sautscheckのソナタの様式が後期バロックとしても独特のものであり、そのほとんどが短調で作曲されている点が指摘された。そして、記事で紹介されている伝承、エピソードが事実なら、華麗なるSautscheckに対して音楽史に全く登場していない不自然さが批判の大きな根拠となり、海外のリュート愛好家を中心に論争と批判が巻き起こる。逆に言うと、Sautscheckに魅惑された愛好家がかなりいたことを物語っている。

 私がこの記事に気がついたの5、6年程前、最初からうさん臭いと感じていたが…事実、次々と紹介されいた新資料(楽曲)がいかにも眉唾ぽく、特に膨大なトンボー(追悼曲)群…ゼレンカ、ヴァイス(あくまで推定との念の入った思わせぶり!)など著名な音楽に捧げたものが亡霊の如く次々に現れ、呆れ果てた次第…。まさしく墓穴を掘った?(その残滓を覗くことができる…警告:心臓の弱い人は開けない方が身のため)

 結局、HPの掲載者であるRoman Turovskyという人物が全てをでっちあげたということが明らかになりこの騒動の幕はおろされることとなる。

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  1961年、旧ソ連時代のウクライナのキエフに生まれた彼は、画家である父の影響で美術を学び、やがて音楽にも興味を持つようになる。1979年、家族とともにニューヨーク市に移住した彼は、パーソンズ・スクール オブ デザイン(Parsons School of Design)で美術(芸術)の造詣を深めるとともにバロックリュートの歴史的奏法や作曲法を研究し、やがて総合芸術家(クリエーター)として活動し始める。1990年にはじめには本格的に作曲活動を始め現在にいたるまで膨大な作品を生み出している。欧米各地の国際的な音楽祭にも参加し、あのピアンカなど多くの著名な演奏家と競演している。

 そのようなクリエーターとしての彼がネットを使って自己作品を広めようと一捻りしたのが父方の祖母の姓Savchukをドイツ語風にもじったSautscheck一族の創出なのである。もともと悪意はなかったのだろうが、様々な資(史)料までも捏造するなど凝りすぎたのが不幸を招くことになる。確かに彼の生み出したSautscheckの音楽は佳品が少なくない。当然バロック当時の未知のオリジナル曲として愛好家を熱狂させた。しかし、事の真相が暴かれると、多くの愛好家は失望し、彼は誹謗中傷の嵐にさらされることとなった。

 聞くところによると、ドイツでは「芸術的なペテン」を表わす「Sautscheckerei」なる造語ができたらしい。もっともであろう…大半の善良なるリュート及び古楽愛好家は、何よりもオリジナル性つまり歴史的価値を尊ぶ。そして未知の作曲家、楽曲を発掘することに喜びを感じている。 彼のやったことは明らかにそうした愛好家に対する裏切り行為であり、古楽を冒涜したとしか映らないからだ。大発見に心ときめかされて、それが全てウソでしたと言われたときの落胆ぶりは「悪魔に惑わされた」的な怒りを招くのは当然の理だ。何の予備知識がない一般人ならいざ知らず、アルビノーニのアダージョやカッシーニもといカッチーニ(ありゃ土星に飛んでしまった)のアヴェマリアを聴いて単に「美しい音楽」として済ます訳にはいかないのである。

  かくして誠実なる善男善女の大方は、リュート奏者中川祥治さんのブロク『リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」』恒例の「エイプリルフールねた」記事を読んだみたいに笑いころげることができなかったのであった。

♡私藤兵衛は中川氏のこのジョークを毎年楽しみにしています。。

  今年も「マッテゾン杯争奪リュート調弦競技会」開催…とやってくれました。
 …まさに抱腹絶倒…絶妙な楽屋落ちに笑い転げました。中でも

   2007年の「ヴァイスの不実な女は実は異教徒トルコ人
  2005年の「バッハの未知のリュート曲大量発見
 …のネタは秀逸!

  中には本気にとった人も少なからずいるようで、まことしやかにネット上に流布しているのは困ったもんでが、(面識はないのですが)したり顔した中川氏の姿が目に浮かびます(笑い)。

   「その手は桑名の焼き蛤」…私の住む行田市と桑名市は姉妹都市…。

 …閑話休題。

   しかし、結構この一件でRoman Turovskyの名前が売れたのには間違いない。形は変えて彼の実名Roman Turovsky-Savchuk(あの祖母の姓もつけて)で堂々とHPは存続しているまた、彼のクリエータとして芸術活動も紹介されている

    新作の発表は自粛しているようだが、多くの作品や彼の演奏がアップされている。You Tubeでも彼自身や彼のファンが作品演奏をアップしている。興味のある方は検索なさるがよろし。目論み通り、彼は芸術家として後世に名前を残せることは間違いない。その証拠にちゃんとその名はWikipediaに記されている。そのしたたかさがなせる技…。  

ちなみに、私は彼を否定も肯定もしない。なぜなら…

バロック当時の曲や作曲家を探求するので精一杯(その他好きな音楽てんこ盛り)の藤兵衛なのである…故あしからず 

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