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2010年4月の7件の記事

やっと人心地…なぜか髭面

ふ~っ。忙しかったこと。
先月末と今月、ただでさえ仕事の切り換え時でてんてこ舞いなのに、泊を伴った2回の出張に振り回された。出張帰りのバテバテ、雨しとしと…桜巡りもままならなかった最悪のコンディションがつづいた。

 やれやれと顎に手をやり、不精髭にふと気づく…。あの憧れの髭の似合う演奏家にあやかりたいと…思っていたところ

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 これは、先々週の休日、雨があがったのを見定めて荒川CRに繰り出した時のスナップ。
ミストたちこめる行く手の荒川上流に一縷の陽がさした瞬間…。

少し踏み出した所に、思わぬシーンにでくわす。

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ガンバ!

Yes, We can!..... I can?  ついに毎日髭面で出勤の藤兵衛であった。

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散らぬ間に

新しい部署に異動して新体制で仕事がスタートして以来の初の休日出勤。

当然ながら今日の勤務は絵に描いたようなてんてこ舞い。半日の予定が午後に食い込む。やりがいはあるのだがここ数日入れ込み過ぎて胸の警告ランプがピコピコしだす。太陽エネルギーも不足気味。本格的な春の陽気をとりもどした今日に、英気を養わねば野暮と決め込み、仕事を見極めて自転車で職場を飛び出す。旧妻沼町を経て利根川づたいに遠回りして隠れた桜を探し回る予定だったが、昨年の今頃たどった熊谷市の荒川土手を南下する。

  熊谷駅より荒川上流方面(西側)は桜も人もこのように盛況。

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この写真は、自転車のサドルをおりてしばらく立ちすくみ、何とか人込みの間隙をぬって撮影できた次第。へたをすれば桜の放つ妖気にとりつかれた人々の波に押されて自転車ごと土手から転落しかねなかった。左側にころり転げたなら花見の宴に乱入することまちがいなし…ははは。
熊谷駅より下流(東側)にいたって状況が一変しホッとする。

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このあたりがさくら並木の南端。東進してきた荒川はここらあたりから一気に南下する。写真の右の上り坂がまさしく峠なのだ。「曲がる」(クマ)と「低地」(ヤ)が熊谷の地名の由来の説に納得する。ここら辺りは、荒川の曲がり角に押し寄せた土砂が積もった名残なのかもしれない。

  前にもふれたがこの先の土手は隣接の行田市にいたるまで対岸の右岸をふくめ未舗装のままで荒川サイクリングロードど直結していない。いろいろと事情があるのだろうが、熊谷市の行政の姿勢に疑問を感じる。
  旧中山道にあたる熊谷市の久下地区を迂回し行田市に入る直前で再び荒川に合流せざるを得ない。
  そこから少し進んで左にそれるとかつての荒川本流の元荒川に合流できる。旧吹上町(現鴻巣市)の中心を貫くこの川沿いも劣らぬ桜の名所。

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ここは、知る人ぞ知るその入り口、さすがに人の姿もまばら。見かける人々は近所の人々らしく親しい挨拶をかわしている。そのためかその先以上に花の種類も豊富で目を楽しませてくれる。ここでも盛りを迎えて散り始めている。う~、もう居ても立ってもいられない。のんびり桜をめでたく、アルコールとささやかな肴をかって家路につく。

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昨日撮影し紹介した我が庭の樹齢10数年の桜花。庭石に腰掛け日が暮れるまでささやかな酒宴。

「久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」の境地の藤兵衛であった。

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それぞれの春。

  ソーラーシステム(太陽光発電)が故障してモジュールが取りはずされてから(なんだか宇宙旅行SFみたい)、月が変わり幾度かの降雨に恵まれた。パネルと屋根の間に10年来積もり積もったホコリはそう簡単には流れない。それでも瓦の地肌が少しずつ現れる。

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  我が家を新築した時にお祝いにもらって植えた桜の苗木も同じ数の年輪を加え段々さまになってきた。う~ん、そういえば、一度もそれといった手入れはしたことないな~(毛虫退治くらいか)。来年にむけて研究してみようかしらん。

  他方、残念なことも…。

  昨年、初めて巣立ちを見届けた我が家の車庫に営巣されたツバメの巣が落下し粉々になってしまったのである。

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  自転車通勤にかまけていたので、巣の残骸を発見したのは最近のこと。先月けっこう揺れた地震に見舞われた際に被害を受けたのかもしれない。数日前、車庫内を飛び回る巣の主らしいツバメを見かけたが消息が気になる。

  転勤して2年目、4月から希望の部署に転属でき仕事に追いまくられるという嬉しい?悲鳴をあげる毎日が続き、今年は自転車による桜名所巡りが思うようにいかない。明日は早速休日出勤。

この週末そろそろ散りはじめる。あ~気も漫ろ。

  今年もまた 「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」
…の歌にしみじみ感じ入る藤兵衛であった。

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ソーラーシステム崩壊

先月、ついに我が家の太陽光発電システムが壊れてしまった。

 設置してから既に10年を超えているのだが、屋根に設置したソーラーパネル(モジュール)は20~30年はもつはずなので…少し位お金がかかっても絶対直してもらわねば気がすまない。なんせ自動車1台買える位の投資をしているのだから…。

  ということで、先月末にメーカーの修理を受けた。工場での点検修理のため全パネル36枚の取り外しと、発電された直流の電気を交流に変換するパワーコンディショナーの交換作業が行われた。

  パネルの取り外し作業。

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大がかりになるかと思いきや、一人が屋根に登り、パネル取り外しを始める。

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一枚ずつ取り外し、このように吊りおろし、下で待ち受けるもう一人が受取って行く。意外と軽いものなのだ。

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次々と回収されるパネル。裏側は10年の歳月を感じさせないほどきれい。

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さすが手慣れたものだ。てきぱきと作業が進む。

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ついに最後の一枚…。おや? パネルの下に何か見つけたらしいぞ!下に落してもらう。

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正体は「鳥の巣」…しかも二つ! 家主はムクドリのようだ。幸か不幸か、まだ産卵の時期ではないようだ。よくぞこんな狭いところにつくったものだと感心する。

一休みしたところで、不具合箇所を見せてもらった。

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指先の下辺りの縁が焼きただれ変色しているのが判る。それが原因となってこのパネルの強化ガラス全面にヒビがはいってしまったのである。

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角度を変えればはっきり見て取れる。電気的なトラブル(ショート?)で余程の発熱があったのだろう。

この他、6~7枚にも焼けこげの変色が見られるが、ガラスの損傷までには至っていない。

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  「初期製品の不具合」なので、メーカー(K社)が責任もってパネルの交換点検を全て無償で行うと説明をうけた。う~ん…早い話が欠陥品のリコールじゃないか。すでに、同じ事例が発症しており対応を進めているとのこと。
  滋賀県にある工場に運んで点検修理する関係で、再設置するまでに一月半程かかるが、その間の発電については電力会社に申請すれば見込みで買取額を保証してもらえるらしい。しかし、それはぬか喜びに終わった。なんと手数料1万3000円とられた!おいおい、これで元がとれるのかい!

運送トラックが到着する間に室内に設置したパワーコンデションの交換。

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耐用年数が10年の寿命を迎えて交換はやむを得ないらしい。こちらは残念ながら保証外、正価50数万円のところを半額にまけてもらったが思わぬ出費。後10年頑張って元をとってもらうぞ!…でもなんだか心もとない。昨今のエコブーム先取りして気どっていたのはいいが、「エコは金食い虫」という現実を思い知る。

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10年ぶりに日の目を見た屋根。なんともひどくほこりにまみれている。住まいを失った鳥たちは新居探し大変だろうなぁ…と余計な心配している場合ではない。この後一月余り、我が家はこの無残な姿をさらすことになる。普段は自転車通勤の天敵でしかない雨が頼もしく思えるなぁ。

  エコとは耐えることなりと悟った藤兵衛であった。

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Sautscheck事件

  昨日の日曜日は私の○3回目の誕生日。 自分自身へのささやかな贈り物のつもりでもっともこの年になると誕生日はちっとも嬉しくないが…、今日一日、日頃の超過勤務の振り替え代休をとるつもりでいた。しかし、平日の人出の少なさを見越して楽しみにしていた自転車での桜名所廻りが雨で流れてしまったweep。仕方なく午前中職場で一仕事し、午後帰宅する。 

  さてと…それでは昨日の記事の続きをしたためるとするか…。

リュート界を震撼(笑い)させた忌まわしき「Sautscheck事件」とは?

  事の発端は1996年頃、ネットにバロックから古典期にかけて活躍した未知の音楽家一族が紹介されたことに始まる。

 Sautscheck(サウチェック/ザウチェック?)なるチェコ系の一族はバッハ家やベンダ家と同じように Georg Anton, Johann Joachim, Joachim Peter, Joachim Peter,  Joachim Peterd ら数世代に渡りリュートを中心とした演奏家・作曲家を輩出した知られざる存在であり、彼らの残した膨大な作品や資料が埋もれたままになっていたという驚くべき内容であった。
このHPは、その証拠となる古文書の写真などとともに彼ら一族の伝記やエピソードをこと細かく紹介していたのだ。

  それを読むと、まさにリュートの歴史の書き換えが必要となる位、彼らが当時の著名な音楽家たちとの広く交流していたことに驚かされる。特にJohann Joachim Sautscheckは一族の中で最も足跡を残した人物とされており、北部及び中央ドイツの各地の宮廷と交流し、ベルリンで活躍していた大バッハの息子C.P.E.Bachの同僚の音楽家の娘Caroline Boehmerと結婚している。(エマヌエルはCarolineの名前を冠した有名なチェンバロの小品を残している)。彼J.J.は、ドレスデン宮廷楽団の活動にも参加し、クバンツやゼレンカそしてヴァイスなどと親しく交わったとされる。その一端は、ドレスデンにて、先にあげた面々が、新進のハッセとその妻でソプラノ歌手ファウスティーナといがみ合うエピソードとして紹介されている。ファウスティーナの傲慢不遜な態度が生々しくいかにも現実味を帯びている。…私は、夫婦揃ってわざわざライプチヒのバッハのつつましやかな自宅を表敬訪問しているハッセ夫妻はそんな悪い人でないと思っているが…。

 何よりも注目を集めたのは、彼らの残したリュート作品が浄書されたタプラチュア譜で紹介されており譜面をダウンロードできたことにあった。特に、前述したJohann Joachim Sautscheckの50曲以上のソナタを中心に大量の作品を閲覧し試聴し演奏できたのであった。いかにもネット時代を象徴するかのように海外のリュート界で話題になり、多くの賛辞がこのHPの掲示板に寄せられた。

 しかし、疑問をいだく人々も少なからずいた。まずはJ.J.Sautscheckのソナタの様式が後期バロックとしても独特のものであり、そのほとんどが短調で作曲されている点が指摘された。そして、記事で紹介されている伝承、エピソードが事実なら、華麗なるSautscheckに対して音楽史に全く登場していない不自然さが批判の大きな根拠となり、海外のリュート愛好家を中心に論争と批判が巻き起こる。逆に言うと、Sautscheckに魅惑された愛好家がかなりいたことを物語っている。

 私がこの記事に気がついたの5、6年程前、最初からうさん臭いと感じていたが…事実、次々と紹介されいた新資料(楽曲)がいかにも眉唾ぽく、特に膨大なトンボー(追悼曲)群…ゼレンカ、ヴァイス(あくまで推定との念の入った思わせぶり!)など著名な音楽に捧げたものが亡霊の如く次々に現れ、呆れ果てた次第…。まさしく墓穴を掘った?(その残滓を覗くことができる…警告:心臓の弱い人は開けない方が身のため)

 結局、HPの掲載者であるRoman Turovskyという人物が全てをでっちあげたということが明らかになりこの騒動の幕はおろされることとなる。

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  1961年、旧ソ連時代のウクライナのキエフに生まれた彼は、画家である父の影響で美術を学び、やがて音楽にも興味を持つようになる。1979年、家族とともにニューヨーク市に移住した彼は、パーソンズ・スクール オブ デザイン(Parsons School of Design)で美術(芸術)の造詣を深めるとともにバロックリュートの歴史的奏法や作曲法を研究し、やがて総合芸術家(クリエーター)として活動し始める。1990年にはじめには本格的に作曲活動を始め現在にいたるまで膨大な作品を生み出している。欧米各地の国際的な音楽祭にも参加し、あのピアンカなど多くの著名な演奏家と競演している。

 そのようなクリエーターとしての彼がネットを使って自己作品を広めようと一捻りしたのが父方の祖母の姓Savchukをドイツ語風にもじったSautscheck一族の創出なのである。もともと悪意はなかったのだろうが、様々な資(史)料までも捏造するなど凝りすぎたのが不幸を招くことになる。確かに彼の生み出したSautscheckの音楽は佳品が少なくない。当然バロック当時の未知のオリジナル曲として愛好家を熱狂させた。しかし、事の真相が暴かれると、多くの愛好家は失望し、彼は誹謗中傷の嵐にさらされることとなった。

 聞くところによると、ドイツでは「芸術的なペテン」を表わす「Sautscheckerei」なる造語ができたらしい。もっともであろう…大半の善良なるリュート及び古楽愛好家は、何よりもオリジナル性つまり歴史的価値を尊ぶ。そして未知の作曲家、楽曲を発掘することに喜びを感じている。 彼のやったことは明らかにそうした愛好家に対する裏切り行為であり、古楽を冒涜したとしか映らないからだ。大発見に心ときめかされて、それが全てウソでしたと言われたときの落胆ぶりは「悪魔に惑わされた」的な怒りを招くのは当然の理だ。何の予備知識がない一般人ならいざ知らず、アルビノーニのアダージョやカッシーニもといカッチーニ(ありゃ土星に飛んでしまった)のアヴェマリアを聴いて単に「美しい音楽」として済ます訳にはいかないのである。

  かくして誠実なる善男善女の大方は、リュート奏者中川祥治さんのブロク『リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」』恒例の「エイプリルフールねた」記事を読んだみたいに笑いころげることができなかったのであった。

♡私藤兵衛は中川氏のこのジョークを毎年楽しみにしています。。

  今年も「マッテゾン杯争奪リュート調弦競技会」開催…とやってくれました。
 …まさに抱腹絶倒…絶妙な楽屋落ちに笑い転げました。中でも

   2007年の「ヴァイスの不実な女は実は異教徒トルコ人
  2005年の「バッハの未知のリュート曲大量発見
 …のネタは秀逸!

  中には本気にとった人も少なからずいるようで、まことしやかにネット上に流布しているのは困ったもんでが、(面識はないのですが)したり顔した中川氏の姿が目に浮かびます(笑い)。

   「その手は桑名の焼き蛤」…私の住む行田市と桑名市は姉妹都市…。

 …閑話休題。

   しかし、結構この一件でRoman Turovskyの名前が売れたのには間違いない。形は変えて彼の実名Roman Turovsky-Savchuk(あの祖母の姓もつけて)で堂々とHPは存続しているまた、彼のクリエータとして芸術活動も紹介されている

    新作の発表は自粛しているようだが、多くの作品や彼の演奏がアップされている。You Tubeでも彼自身や彼のファンが作品演奏をアップしている。興味のある方は検索なさるがよろし。目論み通り、彼は芸術家として後世に名前を残せることは間違いない。その証拠にちゃんとその名はWikipediaに記されている。そのしたたかさがなせる技…。  

ちなみに、私は彼を否定も肯定もしない。なぜなら…

バロック当時の曲や作曲家を探求するので精一杯(その他好きな音楽てんこ盛り)の藤兵衛なのである…故あしからず 

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ヴァイラウフのプレリュードは贋作?

ピアンカとバルキのつながりから、あることに気がついた。

以前、このブログで、バッハの身近で彼のリュート作品に大きく関わったヴァイラウフ(Johann Christian Weyrauch 1694~1771)について述べたことがある。バッハのリュート作品のパルティータ(ファンタジア)ハ短調BWV997とフーガト短調BWV1000の2曲をタブラチュアに書き直したリュート愛好家として知られ、作品も残しているらしいが、その実態は知られていない。ところが、YouTubeに、そのヴァイラウフ作曲のプレリュードがアップされていることを紹介した

改めてその動画を紹介する。

  あまりの美しさと意外性に衝撃を受け、その曲の正体を知りたく色々調べても、杳としてその実態をつかめないでいた。しばらく忘れていたが、最近久しぶりに覗いたところ、アップされていたコメントに唖然とした。

"The prelude is NOT by Weyrauch, but by Michele Barchi. Please, correct" (このプレリュードの作曲者はヴァイラウフでなくミケーレ・バルキ氏なので訂正よろしく…)

う~ん…。

  このコメンテーター「bersa888」氏 のチャンネルをたどってみて納得する。彼は G. Bersanetti なる架空のバロック音楽家の名前で自ら作曲したバロック音楽風の曲をYou Tubeにアップしているのである。そこにBersanetti作曲のチェンバロ曲を演奏するバルキ氏の動画がいくつかアップされているではないか!楽譜もダウンロードできる…。

しかもバロック音楽の手法様式を用いて作曲した曲を紹介するVox Saeculorum」なるHPも紹介されている。バルキ氏は参加していないが、交遊関係からしてこのような創作活動に携わっている可能性は高い。

彼が指摘する通り、このプレリュードはピアンカがヴァルキの創作した曲をヴァイラウフの名前を附して演奏したものであろう。

こうした偽作は今に始まったことではない。

  カッチーニのアヴェマリア(実はウラディーミル・ヴァヴィロフの作曲)、アルビノーニのアダージョ(実はジャゾットの全くの創作)、ギター曲で有名なヴァイスの組曲イ短調・同ニ長調・バレット・前奏曲(実はセゴヴィアに請われたポンセの作曲)など枚挙にいとまない。

多くの善男善女を惑わし、専門家さえ手玉にとってきた。 無邪気に褒めたたえたコメントを読むと胸が痛む。

こうした行為は、ポンセのように真相が暴かれかえって作曲家の力量を称える場合もあるが、名もない作曲家の場合、自作を世に問う一つの手段という好意的な見方はされず、その多くは愛好家の激しい誹謗を受けることになる。

このVox Saeculorum」を覗いてみるとかつてリュート界を炎上させた有名な事件の当事者が名前を連ねている。これは、その典型的な例であろう。

毎日が4月1日ではいかんぜよと思う藤兵衛であった。

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ピアンカとバルキ

ルカ ピアンカ(Luca Pianca)

  彼は、スイスに生まれ、古楽の大御所アーノンクールに師事しWCA(ウィーン・コンツェント・ムジクス)にも参加し、1985年にミラノにてジョヴァンニ・アントニーニとともにイル・ジャルディーノ (Il Giardino Armonico「調和の庭」の意)を結成した古楽の精鋭といえる存在である。

このイル・ジャルディーノの伝説的な録音がこれ

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1993年に録音されたヴィヴァルディの「四季」(前列右り3番目がピアンカ)
 激しく大胆な表現と常識(イ・ムジチに代表されるオーソドックスな演奏)をくつがえす斬新な解釈で古楽界に新風を巻き起こした。鮮明なリズム音色の対比、大胆な楽器奏法が散りばめられた演奏の中でピアンカのテオルボによる通奏低音がこれまた異才(彩)を放っている。

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また、この録音に先立ってヴィヴァルディのリュート及びマンドリンのための協奏曲集も行っている。自らアーチリュートを用いソロを演じている。もっとも有名なニ長調の協奏曲RV93では通奏低音は先に紹介したガンバ奏者ギエルミの兄弟と思われるロレンツォがチェンバロを担当している。こうした縁が先のCDの競演となったのかも…。

また、ピアンカは、バッハのリュート曲を録音している。
バッハ没後250周年と西暦2000年を記念して発売されたバッハCD全集の中に収録されている。(アーノンクールを中心としたカンタータ全集を含む)

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以下曲目~同全集解説より引用
第121巻
 組曲ト短調 BWV995(リュートのための)
 組曲ホ短調 BWV996(ラウテンヴェルクのための)
 組曲ハ短調 BWV996(ラウテンヴェルク[Fuga,Double]&
                     リュート[Prelude,Sarabande,Gigue]ための)

第122巻
 プレリュード、フーガとアレグロ変ホ長調 BWV998(チェンバロのための)
 プレリュード ハ短調 BWB999 (リュートのための)
 フーガト短調 BWV1000(リュートのための)
  組曲ホ長調 BWV1006a(リュートのための)

  以上をご覧いただくとお判りの様にピアンカ一人による録音ではない。ピアンカはおそらく単弦仕様のアーチリュートを使用しているのも一興だが、いくつかの曲をイタリアのチェンバロ奏者のミケーレ バルキ(Michele Barchi)が担当している。
  BWV996は最も鍵盤音楽に近い構造をもっておりこの選択は妥当であり、バルキ自身がに復原制作に関わったバッハが考案したとされるガット弦を張ってリュートの音を発する鍵盤楽器「ララウテンヴェルク」(E.Lorenzoni, Corvione di Gambara 1998, after Z.Hidebrandt and J.Chr.Fleischer)を用いており貴重な録音でもある。「リュートまたはチェンバロのため」とバッハ自身による指定のBWV998も選択の一つとして納得できる。演奏も律儀にラウテンベェルクではなくチェンバロを使用している。
  面白いのはBWV997であろう。ヴァイラウフがタブラチュア化したプレリュード、サラバンド、ジーグをピアンカのリュートで演奏し、それに含まれないフーガと(ジーグの)ドゥーブルをラウテンヴェルクと弾き分けている。
  しかし、実際には、フーガの一声部をリュートが部分的に受け持ち、ドゥーブルもリュートのジーグの前半、後半の繰り返し部分をラウテンヴェルクによるドゥーブルを差し挟む形で演奏されてピアンカとバルキのアンサンブルの妙を見せる。

そこで改めてある疑問の解決の糸口にたどり着くことができた。

  仕事に追われ、4月になったこと(明日誕生日!)に今頃気がついた藤兵衛であった。

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