« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »

2009年10月の9件の記事

BE-ALL BR-1のフロントサスぺンション化!

ついにやってしまった。

 自転車通勤用にBE-ALL BR-1のフロントサスぺンション化!

きっかけは、通勤途中で状態の悪い舗装道路のくぼみにはまって前輪がパンクしてしまったことによる。埼玉県の行田市から隣接の熊谷市までの10㎞余りの通勤距離だが、途中の郊外の新設の道路は問題ないが、道のりの2/3にあたる住宅地の道路は最悪。ガスやら水道やらの工事の度に掘り返し舗装が継ぎ接ぎだらけ。凸凹、陥没、亀の甲羅上のひび割れの舗装道路とは思えない悪路だらけ。こうした一般市民の利便性を無視した「箱もの行政」のつけとしかいえない…と文句を言ってもしょうがないので自己防衛に走った訳だ。

 発想は休日自転車散歩の趣味のフルサス(前後輪サスぺヘンション)のリカンベントの乗り心地のよさ…。路面から受ける衝撃をサスペンションが緩和しパンクのリスクも軽減してくれる。ただし、スプンリングやタンパーなどの緩衝機構の重量増というデメリットも覚悟しなければならない。といえども、もともと自転車には、「スピード」ではなく「快適さ」を求めていたので、ロードバイク乗りさんのようにストイックにネジ一本の重さにこだわる神経は持ち合わせていない。

 だから、あえて、ディスクブレーキ、ハブダイナモ、そして内装8段変速標準装備といった重量級のこのクロスバイクBR-1を選んだ次第。しかも、フレームサイズも小さめで、トップチューブ(ハンドルとサドルの間を結ぶ上の筒)も水平ではなく、ママチャリみたいにサドル部分が下がった仕様。ともかく通勤の安全性と実用性を最優先…そのためには便利なアイテムを装着することに何のためらいもない…と開き直っている。

 と意を決するもの、素人故に取っかかりを求めたのがBE-All シリーズを扱っているアキコーポレーションから販売されているパーツ。そこに掲載されていたサスペンションフロントフォーク。相性が良かろうとネットショップで注文するも在庫切れ。

そこで手に入れたのがこれ

P1010425

SR SUNTOUR/ SF9-NRX SRLD 700C

 クロスバイクに最適という触れ込み、インナーレッグもブラック、エアーサス仕様でアウターレッグがモノコック軽量マグネシウム製、コラムもアルミ製ということで総重量1600g程…。

 う~ん、スチール製に比べると数倍の値段。まあ軽いというのも利便性につながるしぃ…と身勝手な言い訳をしてゲットした代物。

  我がリカンベントにオプションで装着してもらったフロントの20インチのカーボン製のサスペンションフォークはいったいなんぼしたん?…と興味津々(なにを今更)

…しかし、手にとった瞬間後先を考えない素人の浅はかさが露呈したのであった…。

書きかけ途中で居眠り…(写真以下翌朝の追記)

    …しかし、いつアップしたのか訝る藤兵衛であった。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

バッハとリュートあれこれ(18)~BWV998その5

5.  BWV998第1楽章 Preludeについての考察

  BWV998の終楽章Allegroは、「聖霊」の象徴であり、クリスマスと深く関わっていることは前述の通りである。
  そのことは、「三位一体のソナタ」BWV998の冒頭を飾るPrelude(前奏曲)について重要な示唆を与える。この前奏曲は言うまでもなく「三位一体」における「父」の象徴であり、来るべき「子」であるフーガを生み出し導く存在である。

Bwv998_pr01

ドローンで支えられた12/8拍子のその音楽は、クリスマスに因むパストラーレ(パストラル)そのものである。

  パストラルとは古くから田園的・牧歌的な主題に基づく文学や詩を題材した劇(オペラ)音楽から派生した曲や踊りである。イエスの誕生を祝う羊飼いという牧歌的雰囲気がクリスマスに結びついたのである。

  有名な例は、コレルリの「クリスマス協奏曲」と知られる合奏協奏曲Op.6の第8曲の第4楽章である。

Corelliop6__8_past_2

  次は、ドミニコ・スカラッティのソナタL.433/K.446。

Scarll_past

更にはヴィヴァルディの『四季』の春の第3楽章にも例があるように、

Viva_past

イタリアの南国風な暖かい雰囲気が凍てつくクリスマスにおいてイエスの生誕を優しく祝福するのに相応しいとドイツなど諸国でも受け入れられていく。

ヘンデルの有名なオラトリオ『メサイア(救世主)』に用いられているそれは

Handel_messia

  上記のイタリアの音楽の系譜を引く典型的な作品である。

バッハにおいては、『クリスマス・オラトリオ』BWV248第2部の冒頭のシンフォニアに

Bwv248_ii_sinfo

その姿を見いだすことができる。遥かに他者のそれを凌駕している作品である。更にバッハは様々な形を借りてパストラルを演出している。

   復活節カンタータ『イスラエルの牧者よ、耳をかたむけたまえ」BWV104には、2つの形が用いられている。

  冒頭合唱には3拍子のパストラル

Bwv104_1

同第5曲アリアにはジーグ風の12/8拍子のもの。

Bwv104_5

  そしてオルガンまたはペダル付きチェンバロのパストラーレへ調BWV590の冒頭楽章は言うまでもなく

Bwv590_past1

『平均律クラヴィーア曲集』第一巻のホ長調のプレリュードBWV854は

Bwv854_pre

典型的な低音のドローンを持つパストラーレである。

イギリス組曲第1番BWV806のプレリュードも、

Bwv806_eng1pre

パストラーレと見なしてもよく、構造は複雑であるがBWV998のプレリュードの雰囲気にかなり近づいている。

  なによりも、平均律クラヴィーア曲集第2巻のBWV998と同じ調性の変ホ長調のプレリュードBWV876は

Bwv876_pre

多くの方がBWV998との類似性を指摘している。 先のイギリス組曲と類似した短い動機を織りなしてゆく手法であるが、より簡素化しリュートをイメージして作曲したと考えられなくもない。最終的にBWV998のプレリュードとしてリュート曲に発展適合させたのはヴァイスとの出会いによるリュート体験であろう。

しかし、バッハをして「三位一体」という精神的なものと結合なさしめたインスピレーションは、クリスマス用に作曲された『マニフィカト』初期稿変ホ長調BWV243aであろう。

その最後の合唱の「父と子と聖霊」を褒めたたえる部分もパストラーレと見なすことができよう。改訂稿では、その事を強調するかのように通奏低音のドローンが書き加えられている。

Bwv243_p

特にその3節の「聖霊」を称えた部分は

Bwv243a_s

前述した通り、BWV998プレリュードのテクスチュアにもっとも近いと私は考える。

  両者を比較してみよう。

Bwv243a_s998p_2

  『マニフィカト』変ホ長調BWV243aで用いた「聖霊に栄光あれ」のインスピレーシションがバッハに宿ってこのプレリュードに昇華させたと思わざるを得ない。それは「聖霊」(BWV243a)が「父」(BWV998のプレリュード)を導きだしたことを意味する。そのことに矛盾はない。マニフィカトのこの「聖霊に栄光あれ」に続く終結分の合唱は、冒頭合唱の音楽を引用し「始にありしごとく今もまた。しかして世々の限りまで永遠に。アーメン」と結んでいるからである…。

  ここで、『マニフィカト』変ホ長調BWV243aに挿入されているクリスマス用の4曲から、ある興味深いことに気がついた。…先に紹介したバッハのオルガンまたはペダル付きチェンバロの『パストラーレ』BWV590についてである。この曲は先に紹介した冒頭のパストラーレに続いて3曲の調性や性格が異なる曲が続いており、未完成または寄せ集めであると考えるのが一般的である。

  『パストラーレ』BWV590 第2曲 は

Bwv590_past2

ドローンの上にミュゼットを思わせる楽しげな雰囲気を醸しだすが、

同3曲目は

Bwv590_past3

一転して悲しげな曲調となる。敬虔な祈りの音楽といって良い。

そして最後は再び歓喜にあふれる。

Bwv590_past4

ブランデンブルク協奏曲第3番の最終楽章を彷彿とさせると多くの人が指摘している。冒頭の下降音型から目まぐるしく無窮動的に駆け巡り、「聖霊」の飛翔が脳裏に浮かぶ。

  そこで、この動機(テーマ)に注目していただきたい。変ホ長調に移調して第一小節の後半以降を反行形に書き直してみると…。(下段矢印以下)

Bwv590_past4a

  驚くことにBWV998のAllegroの冒頭を3度下げた音型とほぼ同じものになるのである。この事は何を意味するのであろうか。

   一つはこの『パストラーレ』はこの第4曲で閉じられた一つの作品群であり、『マニフィカト初期稿』の挿入曲と同じく何らかのクリスマスの行事・式典において場面場面で演奏されたのではないかと考えることができる。例えば第1曲はイエス生誕の予言、第2曲は誕生の喜び、第3曲は神への祈り(受難の予感)、第4曲は聖霊の降誕(祝福)といった具合…。

  何よりもBWV590の最終楽章とBWV998の最終楽章の類似性が、BWV998のパストラーレ的な性格を明確に示しているといえよう。

  構成や技術面においてこのプレリュードはごく一部をのぞいて無理なく自然に演奏にできる美しい曲であるが、この事については別の機会に述べてみたい。

  職場での新型インフ ル流行に戦々恐々する藤兵衛であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

神々の楽器~再誕

ついに出た!

Baron_lut_3

『リュート~神々の楽器』改訂版  菊池賞 著   水戸茂雄 監修  東京コレギウム 出版

ヴァイスやバッハと同時代に活躍したリュート奏者パロン(Ernst Gottlieb Baron1696~1760)がリュートについて詳しく述べた名著である。

Baron_pt

  2001年に初版が発売されているが、数年前にリュートを再開した時には既に絶版状態であった。その昔、『現代ギター』に高野紀子氏による抄訳が紹介されていたが、当時のリュート事情を知る上で貴重な史料としてその内容の素晴らしさにその全貌を知りたいと常々その再版を待ちこがれていた。

   まさに満を持してすぐさま、出版元の主にチェンバロに関する書籍や楽譜を扱っている東京コレギウムから取り寄せた。

  程なく手元に届いたが、その荷をほどき繙く前に驚愕の事実に遭遇していた。
オンラインで購入後、同社のブログを発見し、そこであのバロック時代の音楽理論家として有名なマッテゾンがリュートの天敵であることの記事を発見

バッハのオルガン演奏や対位法の知識を高く評価しているマッテゾン(Johann Mattheson 1681~1764)

Mattheson

が、ぼろくそにリュートをけなしている!

 「猫なで声のリュート」はまだしも、リュート愛好家にとってここで紹介することもためらう.くらいけんもほろろ…マッテゾンとはかくも了見の狭い人間だったとは…。

    …う~ん。彼は若いころ知り合ったヘンデルに因縁をつけて決闘騒ぎになって殺されかけたことがあったと聞く。さもあらん…。もっともその時、マッテゾンが殺されていたなら、全身全霊を注いでリュートを擁護したバロンのこの名著も生まれなかったであろう…(笑い)。

   傑作の原動力は…悪敵手?…バッハとシャイベとの関係も然り?   ともかくヘンデルとはよりを戻すも、当代一流のヴァイスを始め多くのリュート奏者の恨みを買いながらもマッテゾンは生き長らえた。

ちなみに、謎の技法「Zug」 に関する水戸氏の解釈や付録のマッテゾンに宛てられたS.L.ヴァイス(1687-1750)の彼への反駁の書斡も貴重!

   何よりも、一部の人間にはバイブルにも等しいながら、世間一般にはとてもマイナーな書物を日本語で読めることができることはまさに奇蹟。出版(再版)に携わっていただけた関係者各位に感謝!… リュートに興味のある人是非一読を!

  秋の夜長、ジックリつきあえる書物に出会った藤兵衛であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

私の愛器~奥清秀バロックリュート

お披露目!念願の注文制作楽器!!

奥清秀さんの制作13コース バロック・リュート

P1010435

モデル:Magno dieffopruchar
弦長:710mm
表面板:スプルース
ボディ:リブ11枚継ぎ    bird's-eye(鳥目)のあるメープル

P1010439



P1010444



P1010451

P1010440

P1010443

P1010453_2

下手な余計なコメントはしたくない美しさ…。

  あ~、バーズアイ、トリプル(三つ目)ローズに魅入られる…。

  デコレーションは、私の大まかな要望に応えた奥さんの意匠によるもの…ペグ材も粋なココボロ材を見繕っていただいた。それらネック、ペグボックス等のデコレーション、表面板のハートマーク(スペードかも)の工作技術精度の高さ…トリプルローズの質感の豊かさ…もっと高解像度でお見せしたかった…云々かんぬんと結局惚気てしまった次第…。

  明瞭な響きで、高音から低音もバランスも大変良い。バスライダー型は低音弦がコントロールしやすい。究極のバロックリュート?(後期バロック~ロココスタイル)のジャーマンテオルボ型をメインにしながら、なぜバスライダー、トリプルローズなのか?その理由は後ほど…

ちなみに、我が楽器には双子の片割れが存在…。奥さんのブログで公開。私の楽器をはじめ色々な楽器の制作過程や修復の写真が掲載されているので是非ご訪問の程を…。

  基本にたち帰ってジックリ取り組める楽器に巡り逢ってご満悦の藤兵衛であった。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

帰って来ない酔っぱらい

  先日の金曜日、日帰りで長野まで遠距離出張。

誰に話しても「もったいない。帰りに温泉にでもよって一泊してのんびりしてくればいいのに~」とのお言葉が帰ってくる。それを許さない仕事場と抜けるような秋空と便利になった新幹線がうらやましい。帰りの車中でビールも飲まず、お行儀よくそそくさと帰宅。

  そして、昨日、『帰って来たヨッパライ』…や『青年は荒野をめざす』など往年のフォークソングの騎手加藤和彦さんの訃報に接した。彼が軽井沢のホテルで死と向き合っている時に、私は新幹線でその近くを通り過ぎたのだ。まこと自殺は残された者にとってはやりきれない。『帰って来たヨッパライ』のようには決してならない。…冥福を祈るばかり(合掌)今も胸に残る歌『悲しくてやりきれない』

  ここ1週間あまり差し迫った仕事にアップアップしていたが、この土日で文字通り一息つけた。懸案事項の一つ、通勤用クロスバイクBE-ALL BR-1のフロントサスペンション化を遂に達成。
   今日は、昔録ったカセットを探し出し加藤氏を偲びたいので、後日改めて紹介したいので、換装果たした雄姿をとりあえず紹介

P1010525_2

  その他の懸案事項…奥清秀さんのバロックリュートのお披露目(先日私の楽器の双子の片割れが奥さんのブログで紹介されている…弦楽フェアに出展販売されるとのこと)、保坂晶画伯の個展のレポート、BWV998の考察の続き、そして何よりも駆動系が遂に根をあげピットイン同様のリカンベントLYNXX…など山積状態。

   とりあえず、明日一番で当面の仕事の準備が整いそう。だが、その仕事の後始末がまた大変。とりあえず、その仕事の段取りが整えば明日はやることが無くなる。

    そのあと有給休暇をとって英気を養おうと目論む藤兵衛であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

バッハとリュートあれこれ(17)~BWV998その4

4.  BWV998第3楽章 Allegroについての考察

BWV998 プレリュード(通称プレリュードとフーガとアレグロ)と題された3楽章のこの曲は「三位一体のソナタ」といってよい。(全回の稿参照)。第3楽章のアレグロ冒頭の下降する音型は「聖霊」の象徴である。

   前回では、バッハの末期の作品である『クラヴィール練習曲集第3集』(1739年9月末刊行)に含まれるオルガンのための「前奏曲とフーガ」BWV552変ホ長調との関連に触れたが、同じくバッハの晩年の作品の一つであるオルガンのための『カノン風変奏曲「髙き御空より我は来たり」』ハ長調BWV769(作曲時期1747年頃~1748年8月)

Bwv769

との意外な接点をいだすことができる。この曲は1738年、L.Ch.ミツラーが創設した「音楽学術交流協会」にバッハが14番目(BACHを表わす数字…アルファベットを順に数字の並びに置き換えた合計した数)の会員となるべく1947年6月に入会した際に提出した作品である。入会の際に肖像画と、入会者の学識技量を示すための作品の提出が義務づけられたのである。そのためにバッハはルターの有名なクリスマス用のコラールに基づく5つのカノン風の変奏を持つこの曲を書き上げた。

   カノンによる対位法技法を駆使し、最後はコラールの各行をストレッタとして重ねて行くという離れ技を演じている。BACHの文字を音符に置換えさりげなく曲中に署名する演出も添えられた、バッハの意気込みが感じられる晩年の隠れた名作である。

  実は、この曲のコラールを飾る冒頭の自由声部の主題が、このBWV998のアレグロの主題と全く同一なのである。判りやすくBWV769の冒頭をBWV998と同じ変ホ長調に移してみる。

Bwv769_es

改めてBWV998の冒頭と比較して見ていただきたい。
 Bwv998_al01a

  しかも、続くパッセージを比べても両者はまるで双子のようだ。

  これは偶然の一致ではなく、バッハがこの主題に、高き御空より「降臨する者」の姿を込めていることがより明確に浮かび上がる。その原型は『トッカータト長調』 BWV916の中に見いだせる。(バッハとリュートあれこれ(15)参照)

Bwv916_3

『トッカータト長調』 BWV916

  「髙き御空より我は来たり」というコラールは、バッハの『クリスマスオラトリオ』BWV248は言うまでもなく、同じくBWV998との関連で触れたクリスマスに演奏されたマニフィカト初期稿BWV243a変ホ長調の挿入曲としても登場する。オルガン・コラール作品も数曲残っているようにバッハお気に入りのコラールの一つでもある。

  BWV998の作曲年代は早くて1735年頃、遅くとも1745年迄には成立したと考えられている。このBWV998の「三位一体」の象徴のイメージが、『カノン風変奏曲』に反映されていると充分考えられる。逆に言えばBWV998はクリスマスに関連して「三位一体」を象徴した作品と類推できる大きな根拠と自分は考えている。この事はプレリュードやフーガの項で述べてみたい。

 このアレグロは、単純でシンプルな2声の構造である。上声部は、一貫して16分音符で目まぐるしく駆け巡り、「降臨する者」の飛翔を表わしている。一見バッハの2声のインヴェンションやヘンデルのクラヴィーア組曲第7番ト短調の第3曲アレグロ

Handl_kl7all

などを彷彿とさせるが、下声部は、それらの曲とは違い上声部を模倣せず4分または8分音符で上声部を支えリズムを刻む伴奏役に徹している。そのシンプルな構造はヴァイスのリュート作品に近づいており、リュート曲としても大きな破綻(技巧的困難)は見られないより自然なものになっている。

Jswd25_pre

ヴァイス:   リュートソナタ第25番変ロ長調よりプレスト~テレマン『忠実な楽長』にも掲載

   同じ下降音型を持つバッハのリュートのためとされる組曲ホ短調BWV996のジーグと比べてみると、構造の違いが明瞭になる。

Bwv996_gig1

以下は同後半冒頭

Bwv996_gig2_4

    声部の模倣が頻繁におこなわれ、16分音符の急速な3度の連続などの構造は、リュートでの自然な流れの演奏を拒む。初期の作品と言われるBWV996の組曲は基本的にはクラヴィーア曲の性格が強いことが読みとれる。2声がほぼ対等に絡み合うブーレ然り。晩年のリュート奏者ヴァイスとの交流が、バッハのリュート曲に対する理解を深めたことはいうまでない。

仕事でのある原稿が仕上がらずあせりまくりの藤兵衛であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

L'Infidèle は「不実な女」が面白い

先日のBWV998と「三位一体」の考察の記事の中で、バッハのマニフィカトをの一節を紹介していたら、話が脱線してしまったので改めてその部分をここに抜き出して紹介したい。

バッハのマニフィカトBWV243の第8曲「権威ある者を座位から下し、卑しき者を高うし」のには「権威ある者」、「卑しき者」を象徴するフレーズがある。

Bwv243a_8

上の「卑しき者」のフレーズの冒頭部分に続いて「権威ある者」を表わす次の部分が続く。

Bwv243a_8a

力強いがいかにも高慢で乱暴な印象を与える。その音型は、ヴァイスのリュートソナタ(組曲)『L'Infidèle』(不実な女) の第6曲(最終楽章)のペザンヌ(Paysanne)のそれと酷似する。ここでは、まさしく高飛車で傲慢な「不実な女」そのものを表現している。

Jsw_infpay_4

 最近風潮されている『L'Infidèle』=「異教徒」という訳は穿ちすぎであろう。ヴァイスが生まれる前の1683年のトルコを第2次ウィーン包囲を根拠にすること自体はなはだ疑問である。

  メヌエットの第2小節目の短調の下降音は

Jsvinf_men1

いかにも妖しげに響くものの全体的にはこれといったトルコ(異教徒)の風情を見いだすことができない。後半分の上声部と低音部の応答(ディアローグ)は未練がましく言い寄る男とそれをもて遊ぶ女を表わす。

Jsvinf_men2

バロック音楽において、ある音型(フレーズ)で感情や情景を表現するというこうした用法は一種のお約束ごとである。バッハにも「涙」や「ため息」を表わす音型がある。歌舞伎の役者の仕種を見て通はその意味をくみ取る。同じく音楽の心得があっても無くても2声の応答は、誰しもが、それが器楽曲であっても、(オペラの)ディアローグ(対話)を連想するのである。そのデュエットは大抵は男女の恋の囁き、バッハはイエスと信者の問答といった具合。

   そもそも、トルコ風を表わすにしては、この曲はフランス風の匂いが強い。その反面、アントレ(入場)-クーラント-メヌエット-サラバンド-ミュゼット-ペザンヌ といった具合に、この組曲は型破りである。佐藤豊彦氏は、「この組曲自体を女と見なしてInfidèleをかけている」というような粋な解釈をなされている。確かにフランス趣味を装いながらも(ヴァイス好みのイタリア趣味の)クーラント、サラバンドは「不実な女」に振り回される男の恨み(嘆き)節(アリア)そのものといった意味ありげな趣向は、バロック音楽の一つの傾向でもある。そこに暗喩、エピソードを読み取る必要がある。それは、(トルコ風などという突飛な物ではなく)お定まりのものでなくてはならない。

  田舎舞曲であるペザンヌの前に、これまた野卑なミュゼットを配置したのも意味がある。聴衆は鄙びたフランス舞曲をたて続けに聴かされることによって、「身なりはフランス風で気取っていても中身は田舎女!」との揶揄を読みとるのである。

   まとめ…この曲の藤兵衛流解釈…。

  1. 冒頭の堂々たるフランス序曲風のアントレが、お高くとまる女の御成りを告げる。
  2. その女に、ドキドキと胸をたかならした(心ときめかした)伊達者を気取る勘違い(イタリア)男が秋波を送る姿を描くクーラント。
  3. アリアのごとく男の悶々とした心情を吐露するサラバンド。
  4. 続くメヌエット…意を決した男は、最初はたどたどしくも、やがて我を忘れ、ねちねちと女に言い寄る、女は男に気を持たせるも最期はそれを軽くいなす。
  5. そして、ブーブーと不平をならす野暮な男は、未練がましくミュゼットを地団駄踏むがごとく踊り、がっくり肩を落とす。
  6. それをオホホホと勝ち誇ったようにせせら笑う悪女(田舎娘)の踊りのペザンヌで物語を終える。

  いかにもありふれた話。でもそのお決まりの物語を連想して楽しむのもバロック音楽の醍醐味。

   ふと自分を顧みて、プルプルと首を激しくふる藤兵衛であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

バッハとリュートあれこれ(16)~BWV998その3

       3. 『 三位一体のソナタ』BWV998

 多くの人々が、BWV998の「プレリュード、フーガとアレグロ」の3楽章構成の3という数字に着目して、「父と子と聖霊」を一体と見なすキリスト教の正統的教義である「三位一体」の象徴と指摘している。

 このことについて、少し自分でも掘り下げてみた。

 イタリア様式の協奏曲も、「急-緩-急」で構成された3楽章形式であるが、単にそれだけで「三位一体」を象徴している訳ではない。しかし、その根底には、日本人が四や九といった数字を忌み嫌うのと同じように、キリスト教社会において誰もが認める数字にまつわる慣習(迷信)的な潜在意識が働いているのは間違いない。そのような例は、バッハの管弦楽組曲の4つの序曲(4=四大福音書)、ブランデンブルク協奏曲や無伴奏チェロ組曲の6曲構成(6=天地創造に要した日数)、コレルリやヘンデルの12曲セットの協奏曲集(12=十二使徒)などにも見受けられる。また、バッハの無伴奏ヴァイオリン曲集(3つのパルティータ、3つのソナタ)のように、6や12の数字は、キリスト教神学に基づく「神と人」「生と死」という二元論(×2)によって高められた数字でもある。

 バッハの場合、BWV998でも用いられている変ホ長調という♭3つを持つ調によって、意図的に「三位一体」を象徴することが多い。その代表的な作品例として、オルガンのための「前奏曲とフーガ」BWV552変ホ長調が知られる。それぞれ『クラヴィール練習曲集第3集』(1739年9月末刊行)~通称『ドイツオルガンミサ』~の冒頭と巻末に置かれたものであるが、両者は明らかに有機的な繋がりを持っており、バッハの同種の作品(プレリュードとフーガ)として独立して演奏されることが多い。この曲集は、このプレリュードとフーガにはさまれて、ルター派教会典礼用(ドイツ語による)キリエとグローリアの第1群9曲(BWV 669-677)、続いて教理問答コラールの第2群12曲(BWV678-689)、そして第3群の4つのデュエット(BWV802-805)を配しており、雑多な集合体に見える。しかし、プレリュードとフーガの間の曲は3つのグループに大別され、驚くべき秩序に支配されている。第1グループ9曲は、3曲1セットが3組(3×3)という構成をなしており、第2グループ12曲は3の4倍(3+3+3+3)、そしてプレリュードとフーガを含めた全体の27という曲数は3の3乗(3×3×3)であり、数学的にも「三位一体」との概念と深く関わっている。ただし、最期のグループ4曲のデュエットは、最終的に全体を27曲にするためバッハが出版直前に追加した形跡がある。クラヴィーア用のインベンションを思わせる純粋な器楽曲は、他のグループとは異質であり、いかにも数合わせではないかと思われがちだが、前述した4という数字のもつ意味と、第2グループが4という数字で高められたと理解できなくもない。全くの私見なのだが、変ホ長調の調号フラット3を(3×1)と見なすと、全体は(3×1)、(3×3)、(3×3×3)、(3+3+3+3)→4とみなすことができる。

  また、A.Clementによると、この4曲のデュエットは「それぞれ、"神の御言葉"、"十字架"、"死"、"天国"を描写している」としている。また 『小教理問答書』中のルターの四つの教えを象徴しているという説もある。確かに2曲目のヘ長調BWV803は明確なダ・カーポ形式のA-B-Aを持ってお り、「十字架」の象徴でもある。十字架は「子」イエスそのものであり、ダ・カーポ形式(A-B-A)のBWV998のフーガはまさしく「子」を表わしている。

 閑話休題、話をプレリュードとフーガBWV552変ホ長調について戻す。

 バッハ研究者ケラーが著書『バッハのオルガン作品』の中で「伝統的にも3部からなるフーガは「三位一体」の象徴として理解されてきた」と述べているように「三位一体のフーガ」と呼ばれることも多い。

Bwv552f_1

     フーガ第1主題

Bwv552f_2

     同 第2主題

Bwv552f_3_2

     同 第3主題
 

  更に彼は、同書で、壮大なフランス風序曲を思わせる冒頭のプレリュードについても、「三位一体の象徴」であるというシュテークリヒ(Rudolf Steglich)の以下の見解を紹介している。

 「あらゆるものを包括する三位一体の神の力を表している。序曲風の壮大でどうどうたるこのプレリュードは、いわばこの神の力のこの世に及ぼす働きへの洞察を与えるものである。プレリュードは、深く刻まれ明確な構造を示す三つの主題をもっている。すなわち,正格の第1主題は支配者の実在を、変格の第2主題は人間に降り給うた神の子と、また人間に生まれ給うた救世主としてのキリストの二重の姿を、第3主題は聖霊の降下と広がりを示している。」

Bwv552p_1

      プレリュード冒頭(第1主題)

Bwv552p_2

      同 第2主題

Bwv552p_3

      同 第3主題 

 すなわち、主題の姿からも「三位一体」の象徴を読み解くことができるのである。BWV998の場合もこの観点から、プレリュードは「父」、「フーガ」は「子」、アレグロは「聖霊」と各々当てはめることができる。詳細は各曲の考察において述べるとして、これによってプレリュードとフーガのあとになぜ異例のアレグロが付加されたのかの説明がつく。BWV998のアレグロの下降する冒頭主題はまさしく「聖霊の降下」そのものである。

Bwv998_al01_2

     BWV998 Allegro 冒頭

  また、生母マリアを讃えるラテン語の歌詞を持つマニフィカトニ長調にも注目してみよう。各曲は短いながらも小粒の真珠の首飾りのような隠れた佳品である。特に冒頭と巻末のマリアや神を讃えた合唱は華麗なトランペットの響きで彩られ、ロ短調ミサ曲におけるグローリアを始めとする一連の華やかなニ長調の合唱曲を彷彿とさせる。興味深いことに、このマニフィカトには変ホ長調による初稿譜が存在している(BWV243a)。ニ長調版にはない4曲のクリスマス用の曲が挿入されており、バッハが着任して間もない1723年のライプチヒでのクリスマスの典礼用に演奏されたものである。しかし、なぜ変ホ長調というトランペットにとってまことに吹きにくい調を採用したのであろうか?最後の合唱曲について、バッハ研究者スメントの説を紹介する。但し、彼は最終原稿のニ長調版について述べているで括弧つきで変ホ長調における調性を示しておく。

  「…形は異なるが冒頭に立ち帰る第三部(アップゲサング)がつづくのである。だがオーケストラは「われらの父祖に……告げられしごとく」の合唱でもまだ沈黙していて、バッハはその使用を全曲の終楽章のためにとっておいた。
 典礼上からいうと、マニフィカト(マリアの讃歌)は詩篇の一種なので、三位一体の「グローリア」が最後につけ加えられる。木管と弦とオルガンに伴奏されて、この合唱は
ニ長調(変ホ長調)フーガ〔第二曲〕が終止した直後にイ長調(変ロ長調)の和音で入ってくる。調性だけからしても、われわれは高められる。だが、本当の上昇はここからようやくはじまり、「グローリア」は父と子に向かって二度舞いあがる。しかしそのあと、讃美は天上からわれわれのもとに帰り下ってくる。ここで讃えられるのは、父と子から発した聖霊なのだ。終曲のこの頂点で再びトランベットとティンパニが響きわたり、名状し難い歓喜の叫びに参加する。そのあと、冒頭合唱の響きが圧縮された形で再現し、それによって全曲を、考えうる限り最も完全な終結へともたらすのである。」

Bwv243a_p_2

マニフィカトBWV243a 最終合唱(第12曲)冒頭「父に栄光あれ」

Bwv243a_f_3

   

 同 「子に栄光あれ」

 

Bwv243a_s_4

    同 「聖霊に栄光あれ」

 ここでもBWV552変ホ長調の第3主題と同様、下降音型をもって「聖霊」を象徴している。
また、この音型はBWV998のプレリュードの冒頭を彷彿させる。 

Bwv998_pr01  

     BWV998 Prelude 冒頭             

 クリスマスにおいて、イエス生誕に因み「三位一体」を高らかに称えたバッハの意気込みが感じられる作品であるが、へ短長の楽曲もふくみ演奏効果の問題を抱えており、バッハ自身、その後、挿入曲を取り除いて、より華やかなニ長調の最終稿を仕上げ1733年の7月2日の「マリアのエリザベト訪問の祝日」に演奏した。一説にはドレスデンでも演奏されたともいう。

 そのことを踏まえれば、BWV998を実際リュートで演奏する際、ニ長調またはヘ長調に移調して演奏効果があがるならば、「三位一体」の変ホ長調の元調にこだわる必要は無いのかも知れない。それはリュート奏者が判断すればよいのだが、是非マニフィカトの両方の版を聴き見比べていただきたい。特に、初稿版の第8曲のヘ長調のアリアのリコーダーの美しい響きは何物にも替えがたい。改訂によってフルート・トラヴェルソ(ホ長調)に置き換えられてより華やかにはなっているが…。また、第8曲「権威ある者を座位から下し、卑しき者を高うし」の改訂版では、移調したことにより、ヴァイオリンパートの一部をオクターブ高くせぜるを得なくなり、「卑しき者」の象徴である最低音Gを失ってしまっている。バッハの苦渋の選択を見て取れる。

Bwv243a_8

        BWV234a マニフィカト初稿 第8曲冒頭

Bwv243_8

     BWV234 マニフィカト改訂稿 同部分

 私は、BWV998の演奏においては迷わずオリジナルの変ホ長調を選択する。実は「三位一体」の象徴だけでなくBWV998はマニフィカートの初期稿同様「クリスマス」と大いに関係しているのである。その事については各曲の考察で触れてみたい。      

 いずれにせよ、例に上げたバッハの他の作品よりもよりシンプルな「プレリュード、フーガとアレグロ変ホ長調」BWV998は、明確な3楽章構成によって「三位一体」を象徴を鮮明に描き出した意義深い作品として理解できる。
 

 個人的には BWV998は「三位一体のソナタ」と呼んでも差し支えないと思っている。次回からは個々の楽章から裏付けしていきたい。 

  参考:・富田庸のパーソナル・ウェブスペース(http://www.music.qub.ac.uk/tomita/essay/cu3j.html)  ・バッハ叢書第6巻『バッハのカンタータ』スメント他(白水社)その他

久しぶりのバッハに本日の特別休暇の半分を費やしてしまった藤兵衛であった。

続きを読む "バッハとリュートあれこれ(16)~BWV998その3"

| | コメント (2) | トラックバック (0)

懸案事項に埋没

  久しぶりのブログ更新。実は訳ありと言い訳。いいわけないか…全くとこりない。

  先日の土曜日、姪っ子の新型インフルが全治し彼岸に来られなかった弟一家が遊びに来る。久しぶりの楽しいアルコールにつきあっていたら、未明、ふと気づくと書斎で一人白河夜船を漕いでいた。しかし、こういう酒は残らないものだ。

  貴重な晴れ間の日曜日。本当は昨晩、中秋の名月に照らされての妖しげな自転車散歩を決め込みたかったのだが、予期せぬ酒宴と、雲間の光しか拝めず断念した経緯もあって、満を持しての朝駆けと相成った。

   折り返し地点でアクシデント。リペアを怠っていた愛車リカンベントLYNXXのチェーンチューブが外れ、フロントディレーラーや、チェーンのテンション調整プーリー?(正式な名称不明)に食い込み走行不能となった。

   応急修理をしていたところ、これからリカンベントを購入したいという熱心な年配の男性と話がはずみ油売りに変身。ここの所ご無沙汰のS17の話題でももりあがる…何と!GIANT社がReviveにかわるセミリカンベントを発売するとの情報を得た…興味津々。

  油まみれの手で悲鳴をあげるパーツをなだめつつ一時間ほど予定をオーバーして無事に帰着できた。

   今の愛車に乗りだして、一年を待たずにチェーンやリアディレーラーの駆動系の消耗が気になり部品は手元に取り寄せても今だ果たせぬ中に思わぬアクシデント。思わぬチェーンチューブのトラブルに早急な対応を迫られる。

  通勤用クロスバイクBE-ALL BR-1も、先のパンク以来、通勤コースの悪路(舗装の悪さ)に辟易し リアフォークのサスペンション化の妄想が頭をもたげ手を付け始める。

  一週間前、引き取った奥清秀さんのバロックリュートが夜毎、新妻のごとく抱いて(弾いて)くれと秋波を送ってくるlovely。 お披露目する暇もない。…とおのろけ。

  仕事も一つの大きな山が待ち受けている。

 そういえば、BWV998の記事も中断…。その他もろもろ(ここで書きあらわせないほどの難物)もたまっている…。

  それらにかまけていたら職場でへまを連発。朝、警備セキュリティーのロックを外し忘れわて仕事部屋に入り警備会社に迷惑をかけ、コーヒーを沸かす際ポットをセットし忘れ、辺り一面に味の保障できない(粉を何杯入れたかさえも記憶がない)コーヒーを振る舞うという失態を演じる。

暇を飽かすに飽かせない…懸案事項(煩悩?)山積みの藤兵衛であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »