バッハとリュートあれこれ(18)~BWV998その5
5. BWV998第1楽章 Preludeについての考察
BWV998の終楽章Allegroは、「聖霊」の象徴であり、クリスマスと深く関わっていることは前述の通りである。
そのことは、「三位一体のソナタ」BWV998の冒頭を飾るPrelude(前奏曲)について重要な示唆を与える。この前奏曲は言うまでもなく「三位一体」における「父」の象徴であり、来るべき「子」であるフーガを生み出し導く存在である。
ドローンで支えられた12/8拍子のその音楽は、クリスマスに因むパストラーレ(パストラル)そのものである。
パストラルとは古くから田園的・牧歌的な主題に基づく文学や詩を題材した劇(オペラ)音楽から派生した曲や踊りである。イエスの誕生を祝う羊飼いという牧歌的雰囲気がクリスマスに結びついたのである。
有名な例は、コレルリの「クリスマス協奏曲」と知られる合奏協奏曲Op.6の第8曲の第4楽章である。
次は、ドミニコ・スカラッティのソナタL.433/K.446。
更にはヴィヴァルディの『四季』の春の第3楽章にも例があるように、
イタリアの南国風な暖かい雰囲気が凍てつくクリスマスにおいてイエスの生誕を優しく祝福するのに相応しいとドイツなど諸国でも受け入れられていく。
ヘンデルの有名なオラトリオ『メサイア(救世主)』に用いられているそれは
上記のイタリアの音楽の系譜を引く典型的な作品である。
バッハにおいては、『クリスマス・オラトリオ』BWV248第2部の冒頭のシンフォニアに
その姿を見いだすことができる。遥かに他者のそれを凌駕している作品である。更にバッハは様々な形を借りてパストラルを演出している。
復活節カンタータ『イスラエルの牧者よ、耳をかたむけたまえ」BWV104には、2つの形が用いられている。
冒頭合唱には3拍子のパストラル
同第5曲アリアにはジーグ風の12/8拍子のもの。
そしてオルガンまたはペダル付きチェンバロのパストラーレへ調BWV590の冒頭楽章は言うまでもなく
『平均律クラヴィーア曲集』第一巻のホ長調のプレリュードBWV854は
典型的な低音のドローンを持つパストラーレである。
イギリス組曲第1番BWV806のプレリュードも、
パストラーレと見なしてもよく、構造は複雑であるがBWV998のプレリュードの雰囲気にかなり近づいている。
なによりも、平均律クラヴィーア曲集第2巻のBWV998と同じ調性の変ホ長調のプレリュードBWV876は
多くの方がBWV998との類似性を指摘している。 先のイギリス組曲と類似した短い動機を織りなしてゆく手法であるが、より簡素化しリュートをイメージして作曲したと考えられなくもない。最終的にBWV998のプレリュードとしてリュート曲に発展適合させたのはヴァイスとの出会いによるリュート体験であろう。
しかし、バッハをして「三位一体」という精神的なものと結合なさしめたインスピレーションは、クリスマス用に作曲された『マニフィカト』初期稿変ホ長調BWV243aであろう。
その最後の合唱の「父と子と聖霊」を褒めたたえる部分もパストラーレと見なすことができよう。改訂稿では、その事を強調するかのように通奏低音のドローンが書き加えられている。
特にその3節の「聖霊」を称えた部分は
前述した通り、BWV998プレリュードのテクスチュアにもっとも近いと私は考える。
両者を比較してみよう。
『マニフィカト』変ホ長調BWV243aで用いた「聖霊に栄光あれ」のインスピレーシションがバッハに宿ってこのプレリュードに昇華させたと思わざるを得ない。それは「聖霊」(BWV243a)が「父」(BWV998のプレリュード)を導きだしたことを意味する。そのことに矛盾はない。マニフィカトのこの「聖霊に栄光あれ」に続く終結分の合唱は、冒頭合唱の音楽を引用し「始にありしごとく今もまた。しかして世々の限りまで永遠に。アーメン」と結んでいるからである…。
ここで、『マニフィカト』変ホ長調BWV243aに挿入されているクリスマス用の4曲から、ある興味深いことに気がついた。…先に紹介したバッハのオルガンまたはペダル付きチェンバロの『パストラーレ』BWV590についてである。この曲は先に紹介した冒頭のパストラーレに続いて3曲の調性や性格が異なる曲が続いており、未完成または寄せ集めであると考えるのが一般的である。
『パストラーレ』BWV590 第2曲 は
ドローンの上にミュゼットを思わせる楽しげな雰囲気を醸しだすが、
同3曲目は
一転して悲しげな曲調となる。敬虔な祈りの音楽といって良い。
そして最後は再び歓喜にあふれる。
ブランデンブルク協奏曲第3番の最終楽章を彷彿とさせると多くの人が指摘している。冒頭の下降音型から目まぐるしく無窮動的に駆け巡り、「聖霊」の飛翔が脳裏に浮かぶ。
そこで、この動機(テーマ)に注目していただきたい。変ホ長調に移調して第一小節の後半以降を反行形に書き直してみると…。(下段矢印以下)
驚くことにBWV998のAllegroの冒頭を3度下げた音型とほぼ同じものになるのである。この事は何を意味するのであろうか。
一つはこの『パストラーレ』はこの第4曲で閉じられた一つの作品群であり、『マニフィカト初期稿』の挿入曲と同じく何らかのクリスマスの行事・式典において場面場面で演奏されたのではないかと考えることができる。例えば第1曲はイエス生誕の予言、第2曲は誕生の喜び、第3曲は神への祈り(受難の予感)、第4曲は聖霊の降誕(祝福)といった具合…。
何よりもBWV590の最終楽章とBWV998の最終楽章の類似性が、BWV998のパストラーレ的な性格を明確に示しているといえよう。
構成や技術面においてこのプレリュードはごく一部をのぞいて無理なく自然に演奏にできる美しい曲であるが、この事については別の機会に述べてみたい。
職場での新型インフ ル流行に戦々恐々する藤兵衛であった。
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