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バッハとリュートあれこれ(16)~BWV998その3

       3. 『 三位一体のソナタ』BWV998

 多くの人々が、BWV998の「プレリュード、フーガとアレグロ」の3楽章構成の3という数字に着目して、「父と子と聖霊」を一体と見なすキリスト教の正統的教義である「三位一体」の象徴と指摘している。

 このことについて、少し自分でも掘り下げてみた。

 イタリア様式の協奏曲も、「急-緩-急」で構成された3楽章形式であるが、単にそれだけで「三位一体」を象徴している訳ではない。しかし、その根底には、日本人が四や九といった数字を忌み嫌うのと同じように、キリスト教社会において誰もが認める数字にまつわる慣習(迷信)的な潜在意識が働いているのは間違いない。そのような例は、バッハの管弦楽組曲の4つの序曲(4=四大福音書)、ブランデンブルク協奏曲や無伴奏チェロ組曲の6曲構成(6=天地創造に要した日数)、コレルリやヘンデルの12曲セットの協奏曲集(12=十二使徒)などにも見受けられる。また、バッハの無伴奏ヴァイオリン曲集(3つのパルティータ、3つのソナタ)のように、6や12の数字は、キリスト教神学に基づく「神と人」「生と死」という二元論(×2)によって高められた数字でもある。

 バッハの場合、BWV998でも用いられている変ホ長調という♭3つを持つ調によって、意図的に「三位一体」を象徴することが多い。その代表的な作品例として、オルガンのための「前奏曲とフーガ」BWV552変ホ長調が知られる。それぞれ『クラヴィール練習曲集第3集』(1739年9月末刊行)~通称『ドイツオルガンミサ』~の冒頭と巻末に置かれたものであるが、両者は明らかに有機的な繋がりを持っており、バッハの同種の作品(プレリュードとフーガ)として独立して演奏されることが多い。この曲集は、このプレリュードとフーガにはさまれて、ルター派教会典礼用(ドイツ語による)キリエとグローリアの第1群9曲(BWV 669-677)、続いて教理問答コラールの第2群12曲(BWV678-689)、そして第3群の4つのデュエット(BWV802-805)を配しており、雑多な集合体に見える。しかし、プレリュードとフーガの間の曲は3つのグループに大別され、驚くべき秩序に支配されている。第1グループ9曲は、3曲1セットが3組(3×3)という構成をなしており、第2グループ12曲は3の4倍(3+3+3+3)、そしてプレリュードとフーガを含めた全体の27という曲数は3の3乗(3×3×3)であり、数学的にも「三位一体」との概念と深く関わっている。ただし、最期のグループ4曲のデュエットは、最終的に全体を27曲にするためバッハが出版直前に追加した形跡がある。クラヴィーア用のインベンションを思わせる純粋な器楽曲は、他のグループとは異質であり、いかにも数合わせではないかと思われがちだが、前述した4という数字のもつ意味と、第2グループが4という数字で高められたと理解できなくもない。全くの私見なのだが、変ホ長調の調号フラット3を(3×1)と見なすと、全体は(3×1)、(3×3)、(3×3×3)、(3+3+3+3)→4とみなすことができる。

  また、A.Clementによると、この4曲のデュエットは「それぞれ、"神の御言葉"、"十字架"、"死"、"天国"を描写している」としている。また 『小教理問答書』中のルターの四つの教えを象徴しているという説もある。確かに2曲目のヘ長調BWV803は明確なダ・カーポ形式のA-B-Aを持ってお り、「十字架」の象徴でもある。十字架は「子」イエスそのものであり、ダ・カーポ形式(A-B-A)のBWV998のフーガはまさしく「子」を表わしている。

 閑話休題、話をプレリュードとフーガBWV552変ホ長調について戻す。

 バッハ研究者ケラーが著書『バッハのオルガン作品』の中で「伝統的にも3部からなるフーガは「三位一体」の象徴として理解されてきた」と述べているように「三位一体のフーガ」と呼ばれることも多い。

Bwv552f_1

     フーガ第1主題

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     同 第2主題

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     同 第3主題
 

  更に彼は、同書で、壮大なフランス風序曲を思わせる冒頭のプレリュードについても、「三位一体の象徴」であるというシュテークリヒ(Rudolf Steglich)の以下の見解を紹介している。

 「あらゆるものを包括する三位一体の神の力を表している。序曲風の壮大でどうどうたるこのプレリュードは、いわばこの神の力のこの世に及ぼす働きへの洞察を与えるものである。プレリュードは、深く刻まれ明確な構造を示す三つの主題をもっている。すなわち,正格の第1主題は支配者の実在を、変格の第2主題は人間に降り給うた神の子と、また人間に生まれ給うた救世主としてのキリストの二重の姿を、第3主題は聖霊の降下と広がりを示している。」

Bwv552p_1

      プレリュード冒頭(第1主題)

Bwv552p_2

      同 第2主題

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      同 第3主題 

 すなわち、主題の姿からも「三位一体」の象徴を読み解くことができるのである。BWV998の場合もこの観点から、プレリュードは「父」、「フーガ」は「子」、アレグロは「聖霊」と各々当てはめることができる。詳細は各曲の考察において述べるとして、これによってプレリュードとフーガのあとになぜ異例のアレグロが付加されたのかの説明がつく。BWV998のアレグロの下降する冒頭主題はまさしく「聖霊の降下」そのものである。

Bwv998_al01_2

     BWV998 Allegro 冒頭

  また、生母マリアを讃えるラテン語の歌詞を持つマニフィカトニ長調にも注目してみよう。各曲は短いながらも小粒の真珠の首飾りのような隠れた佳品である。特に冒頭と巻末のマリアや神を讃えた合唱は華麗なトランペットの響きで彩られ、ロ短調ミサ曲におけるグローリアを始めとする一連の華やかなニ長調の合唱曲を彷彿とさせる。興味深いことに、このマニフィカトには変ホ長調による初稿譜が存在している(BWV243a)。ニ長調版にはない4曲のクリスマス用の曲が挿入されており、バッハが着任して間もない1723年のライプチヒでのクリスマスの典礼用に演奏されたものである。しかし、なぜ変ホ長調というトランペットにとってまことに吹きにくい調を採用したのであろうか?最後の合唱曲について、バッハ研究者スメントの説を紹介する。但し、彼は最終原稿のニ長調版について述べているで括弧つきで変ホ長調における調性を示しておく。

  「…形は異なるが冒頭に立ち帰る第三部(アップゲサング)がつづくのである。だがオーケストラは「われらの父祖に……告げられしごとく」の合唱でもまだ沈黙していて、バッハはその使用を全曲の終楽章のためにとっておいた。
 典礼上からいうと、マニフィカト(マリアの讃歌)は詩篇の一種なので、三位一体の「グローリア」が最後につけ加えられる。木管と弦とオルガンに伴奏されて、この合唱は
ニ長調(変ホ長調)フーガ〔第二曲〕が終止した直後にイ長調(変ロ長調)の和音で入ってくる。調性だけからしても、われわれは高められる。だが、本当の上昇はここからようやくはじまり、「グローリア」は父と子に向かって二度舞いあがる。しかしそのあと、讃美は天上からわれわれのもとに帰り下ってくる。ここで讃えられるのは、父と子から発した聖霊なのだ。終曲のこの頂点で再びトランベットとティンパニが響きわたり、名状し難い歓喜の叫びに参加する。そのあと、冒頭合唱の響きが圧縮された形で再現し、それによって全曲を、考えうる限り最も完全な終結へともたらすのである。」

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マニフィカトBWV243a 最終合唱(第12曲)冒頭「父に栄光あれ」

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 同 「子に栄光あれ」

 

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    同 「聖霊に栄光あれ」

 ここでもBWV552変ホ長調の第3主題と同様、下降音型をもって「聖霊」を象徴している。
また、この音型はBWV998のプレリュードの冒頭を彷彿させる。 

Bwv998_pr01  

     BWV998 Prelude 冒頭             

 クリスマスにおいて、イエス生誕に因み「三位一体」を高らかに称えたバッハの意気込みが感じられる作品であるが、へ短長の楽曲もふくみ演奏効果の問題を抱えており、バッハ自身、その後、挿入曲を取り除いて、より華やかなニ長調の最終稿を仕上げ1733年の7月2日の「マリアのエリザベト訪問の祝日」に演奏した。一説にはドレスデンでも演奏されたともいう。

 そのことを踏まえれば、BWV998を実際リュートで演奏する際、ニ長調またはヘ長調に移調して演奏効果があがるならば、「三位一体」の変ホ長調の元調にこだわる必要は無いのかも知れない。それはリュート奏者が判断すればよいのだが、是非マニフィカトの両方の版を聴き見比べていただきたい。特に、初稿版の第8曲のヘ長調のアリアのリコーダーの美しい響きは何物にも替えがたい。改訂によってフルート・トラヴェルソ(ホ長調)に置き換えられてより華やかにはなっているが…。また、第8曲「権威ある者を座位から下し、卑しき者を高うし」の改訂版では、移調したことにより、ヴァイオリンパートの一部をオクターブ高くせぜるを得なくなり、「卑しき者」の象徴である最低音Gを失ってしまっている。バッハの苦渋の選択を見て取れる。

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        BWV234a マニフィカト初稿 第8曲冒頭

Bwv243_8

     BWV234 マニフィカト改訂稿 同部分

 私は、BWV998の演奏においては迷わずオリジナルの変ホ長調を選択する。実は「三位一体」の象徴だけでなくBWV998はマニフィカートの初期稿同様「クリスマス」と大いに関係しているのである。その事については各曲の考察で触れてみたい。      

 いずれにせよ、例に上げたバッハの他の作品よりもよりシンプルな「プレリュード、フーガとアレグロ変ホ長調」BWV998は、明確な3楽章構成によって「三位一体」を象徴を鮮明に描き出した意義深い作品として理解できる。
 

 個人的には BWV998は「三位一体のソナタ」と呼んでも差し支えないと思っている。次回からは個々の楽章から裏付けしていきたい。 

  参考:・富田庸のパーソナル・ウェブスペース(http://www.music.qub.ac.uk/tomita/essay/cu3j.html)  ・バッハ叢書第6巻『バッハのカンタータ』スメント他(白水社)その他

久しぶりのバッハに本日の特別休暇の半分を費やしてしまった藤兵衛であった。


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コメント

はじめまして、10弦ギターを弾いておりますかーくんと申します。
今BWV998に取り組んでおり、大変参考になります。
アレグロに関する考え方が変わってきました、三位一体、聖霊の降下。今は音をひろうことで精一杯ですが、この曲の存在意義、演奏の心構えなどを見直す必要がありそうです。今後も曲の分析を楽しみにしております。

投稿: かーくん | 2009年10月25日 (日) 09時01分

初めまして
コメントありがとうございます。

バッハの曲の中で、これほど判りやすく「三位一体」をあらわした曲がなぜリュートのために書かれたのか?ということが一番関心のあるところです。次はプレリュードについて述べる予定です。

投稿: 藤兵衛 | 2009年10月25日 (日) 21時20分

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