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2009年9月の8件の記事

保坂晶 油絵展のご案内

保坂晶画伯から今年の個展の案内状をいただいた。Hosaka2009_2

保坂晶 油絵展 ~ときのうつろい

会期 10/8(木)~13(火)  ※最終日午後4時終了

会場 埼玉県熊谷市  八木橋デパート 5階アートサロン

埼玉県美術家協会会員の画伯は、移りゆく"とき"をテーマに描き続け40年。今展はこれまでの仕事を再確認し、新しい創造の始まりの一歩を進める場とのこと。

  画伯の作風の変化が楽しみの藤兵衛である。

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人こそ見えね 秋は来にけり

 先程の、不快な体験。
元はといえば余計な私の一言…私の不徳の至りが原因。きっと自宅で119番して現場に戻られたであろう飼い主の神経を逆撫でしてしまったようだ。
とにかく先の記事で書き捨て…とはいかない。

 放し飼いの犬に罪はない。轢いてしまってはかわいそうだし。
 この私、サイクリングロードですれ違う際、道路脇で犬をしっかりガードして道を譲ってくださる飼い主と「ワンちゃん」にはいつもしっかり頭を下げている。それだけ気づかってくださる方も大勢いらっしゃるのだ。きっと彼も普段はそうしていたに違いない。不測な事態をさけるためにも犬は鎖で繋ぎましょう…とだけは言っておきたい。

 自転車散歩から帰って、早速お墓まいりをすませ帰宅。

 いつもとは違う今年の彼岸…。

 姪っこが「新型インフルエンザ」にかかってしまった。本人が電話に出て大事はなさそうなのだが弟一家は大事をとって(遠慮して)遊びにこない。彼女の通う小学校では学校閉鎖の危機らしい。もう一人の弟は先方の法事、妹も訳あって来られない。

「八重葎 茂れる宿の さびしさに 人こそ見えね 秋は来にけり」恵慶法師

の歌を思い出す。そういえば、定演に招待したあの人の姿も見えなかったな…。

「月見れば ちぢに物こそ 悲しけれ 我が身一つの 秋にはあらねど」大江千里

「寂しさに 宿を立ち出でて 眺むれば いづこも同じ 秋の夕暮れ」良暹法師

の歌のような秋になるのかな~とため息をついていると… 

 奥清秀さんからバロックリュート完成の知らせが届いていたのだ~。happy01ヽ(´▽`)/。欣喜雀躍!

今年の秋は、たっぷりとリュートを堪能できそうとほくそ笑む藤兵衛であった。

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犬の放し飼いによる事故に遭遇。口は災いの門

  今日は昨日のリカンベントでたどった荒川土手のサイクリンロードを通勤用クロスバイクBE-ALL BR-1で初トライ。お彼岸のお墓参り前にと早朝に出発。今朝は久しぶりに蒸し暑さを少し感じる。

 フルサス仕様にしてもらった我がリカンベント(OPTIMA LYNXX)ではまったく気にかけなかった路面の悪さをもろに拾う。先日のパンクの悪夢が頭をよぎる。かたやアルフィーネの内装8段は実に快適。こういう場でもまったくの違和感はない。

  ただ、ロードバイクの面々には、通勤仕様で、色々と安全のためのアイテムが装着されている我が愛車は奇異(陳腐)に映るらしい。そんなこと気にしないも~ん…といつもとは違った道行を楽しむ。
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 復路、前方に見慣れぬ赤い点滅ライトが移動している。荒川の土手に救急車がかけつけたようだ!
近寄ると、土手上のサイクリングロードに70歳に近い男性が落車して仰向けに横たわっていた。

 心配そうに見守る奥さんの話によると夫婦で自転車散歩中、放し飼いの犬の飛び出しが原因とのこと。

 最初は意識もはっきりし「大丈夫」といっていたらしいが段々容体が悪くなってきたらしく通りがかりの方に救急車を呼んでもらったようだ。その前に飼い主は「犬を置いてくる」と言って自宅に戻ってしまったらしい。

  怪我人は救急隊員の呼びかけにもあまり応じなくなってきている。

 傍らに倒れている使い古された年代物のサイクリング自転車は壊れていないし、奥さんの自転車は普通のママチャリなので、たいしてスピードは出ていなかったと思われるものの、当たり所が悪いと心配だ。

 普段から鎖に繋がれていない放し飼いの犬(飼い主!)に迷惑していた自分(関連記事:→その1→その2)も人ごとではないので、しばらく付き添っていた。動揺する奥さんに対して、周りから「警察を呼んで被害届けを出した方が良い」との声があがる。ごもっとも、放し飼いは条例違反であり飼い主に責任があるからだ。心配して現場を見に来られた近所の人の話によれば、似たような事故が度々あるらしい。

…としているうちに、飼い主が現場に戻ってきた。

  私の「犬をつないでもらわないと危ないですよ」の一言が災いをもたらした。

 歳の頃60歳位とおぼしきその男性に「野次馬はだまっていろ!お前には関係ない!」などと物凄い剣幕で怒鳴られた。確かに通りすがりの一介の野次馬かも知れないが…被害者や犬の放し飼いに悩む人々の代弁者として当然の発露だ。

  私に近寄りあれこれ捲くし立てる。呆れ果て返す言葉も無く聞いていたが、彼の後ろで一刻も早く彼から事情を聞きたく苛立つ救急隊員に目が留まった。なかなか怪我人の受け入れ先も見つからないようだ。

  被害者の容体も気になる。こういう手合いにかまけていてもしょうもないので、この場を発った。どうかご無事で…。

   最近、このように年甲斐もなく理不尽な振る舞いにおよぶ輩が増えたと新聞記事で紹介されていたことを思い出した。確か、「駅員に注意され逆上して暴言・暴行に及ぶ御年配」といった内容だったかしらん。

  「世も末だねぇ~」と苦笑するうちに、吉見町「さくら堤公園」にさしかかる。
 彼岸花が今日に合わせたかのように咲きほこっている。

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 春は桜、秋は彼岸花とこの場所は実に楽しませてくれる。

 ロードバイクが目もくれず猛スピードで通り抜けてゆく中、カメラを構える私のためにわざわざ停車して「写真を撮ってください」と声をかけてくださる方がおられ、先程の不快感が一気に洗い流された。

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 彼岸花が花を落とすと一気に秋が深まる。

明日から仕事もまた忙しくなる。

連休を名残惜しく思う藤兵衛であった。

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定演終わる。指のつりまくり

今年の定演が一昨日終わった。

 今回は、独奏はバロックリュートとヴィオラ・ダ・ガンバそれぞれ一曲(一楽章)にしぼったこともあって、練習もここ数年来うちこめた。特に本番前の一週間は気合が入り、夜はふと気づくと近所に迷惑になりそうな時間を過ぎることが続いた。弦の張替えはゆとりをもって早く手を付けたが、フレットの張替えのタイミングを逸してしまい、ガンバは2日前の深夜に決行する羽目となった。

 リュートとは違うダブルフレットとネットの形状故、どうしても緩めとなってしまう。両端(ネック側と緒止め側)のフレットはどうしてもネックの含み具合の関係で難しい。緒止め(テールピース)側は思い切って3フレット上で結んでみた。定位置までずり下げるのに両手の指が悲鳴をあげる。ウ~!両手の指が思い切りつった。

 思い返せばその伏線があったのだ。

 その朝、自転車通勤で初めてのパンク。舗装道路(熊谷市の道路は最悪。ガス、水道工事の継ぎ接ぎだらけがやたら多い)の陥没にはまってしまい、瞬間で「あ~あ、やったな~」 とチューブの損傷を感じる。間もなく走行不能になるも職場の近くだったので、転がして程なくたどりつけた。

 始業までタップリ時間があるので、携帯しているスペアチューブと交換作業。 初めての700Cの細身のチューブ交換に四苦八苦。 特に最期のタイヤのリムのはめ込みに悪戦苦闘。結局新品のチューブを潰し、元のチューブの補修と相成って、悪戦苦闘の第2ラウンド。第3ラウンドで何とかタイヤをはめ込んでみたものの。第4ラウンドは携帯ポンプと取っ組みあい。噂にはきいていたが高圧を出すのが如何に労力を要するかを体感する。始業前に何とか間に合うが、慣れない作業による酷使のため指が思い切りつって しまったのだ!

 案の定、痛恨の本番。

 ヴィオラ・ダ・ガンバのテレマンのヴィヴァーチェの(一夜前必死で練習した)「C」の部分

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で右指がつる!弓を落とさなかったのは奇蹟。何とか踏ん張って最期まで弾きとおせた。リュートだったらお手上げだったであろう。

 テレマンのリコーダーソナタの通奏低音は無事にクリアーと思いきや、全体合奏の最期でうけもったリコーダー(パーカッションとの持ちかえ)ではダ・カーポで左指が悲鳴をあげた。これまた楽器を落とさずすんだが、親指がコントロールできずオクターブ音がすっかり飛んでしまった。

打ち上げでは、メンバーと楽しく盛り上がり意識は飛ばずに無事に帰宅するも、翌日(昨日)は二日酔いで苦しむ。

あ~あ舞台に穴があったら飛び込んでしまいたい藤兵衛であった。

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『忠実な楽長(音楽の師)』~定演の解説

 今週の土曜日の定期演奏会の自分の独奏演奏用の解説がやっと出来上がった。数年前からプログラムとは別刷で自前で用意している。

 その内容を、定演を前に紹介いたしたい。(実際はA3見開きのリーフレット。レイアウトその他実際のものとは一部異なる)

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古楽器の世界     
    テレマン『忠実な楽長(音楽の師)』解説  

 ゲオルク・フィリップ・テレマン(Georg Philipp Telemann 1681-1767)

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  ドイツでバッハ(1685-1750)と同じ時代に活躍した後期バロック音楽の作曲家である。バッハよりも5歳年長で22年ほど長く人生を送っている。12歳で既にオペラを作曲しており、単純に考えても彼はバッハよりも多くの作品を残している。協奏曲・管弦楽曲200数十曲、室内楽曲200曲余、オペラ20数曲、受難曲46曲、教会カンタータは実1000曲を下らない。ちなみにバッハの作品番号は1100台に留まる。

 ところが、バッハに比べその全容が整理出版されておらず、これいった伝記も見かけない。バッハの深い精神性や緻密な構造と比較され蔑ろにされてきた感は否めないが、当時は遥にバッハを凌ぐ名声をテレマンは得ていた。38歳でライプチヒのトーマス教会のカントルに就任し、そこで教会音楽家と学校教師として生涯を送り、保守的な市当局や学校、教会との絶え間ない軋轢なかで創作を行ったバッハに対し、テレマンはまったく対照的な自由な創作活動の場を得た。

 テレマンはバッハと同様宮廷や教会の楽長を経験したのち、31歳で就任した自由都市フランクフルト(アム・マイン)の教会楽長を足掛かりに、40歳には自由ハンザ都市ハンブルクに移り住み、46年間に渡り都市音楽監督と教会カントールを勤めあげている。自由都市と いう環境の中で、裕福な市民や周辺の王侯貴族を相手にのびのびと作曲をすることをテレマンは許されたのである。ライプチヒ市当局が、当初はライプチヒ大学で学んだこともあるテレマンをカントルとして呼ぼうとしたが断られ、しかたなく二流のバッハで我慢したという経緯は何とも皮肉なことである。
 テレマンは、大衆受けをねらった軽い内容作品ばかりでなく、『ターフェル・ムジーク(食卓の音楽)』や 『四重奏集』などの創意工夫にあふれ時代を切り開く作品や、『ブロッケス受難曲』などの深い表現に満ちた傑作も数多く残している。

   そんな彼が、音楽好きな市民向けに彼が企画したのがこの『忠実な楽長(音楽の師)』なる様々な楽器に(声楽も含む)による楽譜集の出版である。1728年より25回(レッスン/章程)に渡り隔週で、自作の新作を中心に他の音楽家の作品などを4ページのリーフレットで紹介している。事実上、世界初の定期的な音楽誌出版といえる画期的なものである。

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第1章程(レッスン)の表紙

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同第1章程の冒頭のFlauto dolce(リコーダー)ソナタ冒頭

 その内容はチェンバロ独奏やリコーダー、フルート、ヴァイオリンのソロソナタやデュオをはじめオペラのアリアなど家庭で手軽に楽しめる構成の曲が中心である。彼がいかに商売上手であったかは、多楽章のソナタを細切れにして、続きはまた次号でというスタイルを取っていたことからも伺える。手軽で心地よい素人受けする作品や、公演され話題を呼んだオペラ※のアリアの魅力に誘われた読者(愛好家)は、つい続刊を買ってしまわざるをえなくなるのである。その一方、高度なテクニックを要する難しい曲や、リュートとかヴィオラ・ダ・ガンバなどの珍しいマイナーな楽器のための作品、謎解き(展開)を要するカノンをさりげなく散りばめ、フーガの主題だけ用意し後はおまかせ…と、マニア(通)の心もくすぐる技も心得ている。

 バッハやゼレンカといった対位法の大家、当世一流のドレスデン宮廷で活躍するヴァイオリン、リュートの名手であるピゼンデルとヴァイスの作品などがその演出に花を添える。彼らは、音楽を愛する人々のために無償で曲を提供して欲しいというテレマンの要請に協力した(まんまとおだてに乗った)のである。
     ※注:おそらくテレマン作曲の複数のオペラから抜粋されているが原曲(全容)はどれも伝わっていない。
           
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古楽器の世界  曲目紹介 テレマン『忠実な楽長(音楽の師)』より

1. S.L.ヴァイス作曲   リュートのためのプレス

   ヴィオラ・ダ・ガンバやリュートは、テレマンやバッハの頃の頃に最後の時代を迎えている。それでも、ヴァイスやバロン、ファルケンハーゲンといった名人が宮廷などで活躍し、王侯貴族や、富裕な市民の中でもリュートを嗜む人々が少なからずいた。例をあげれば、フリードリッヒ大王の姉でヴァイロイトに嫁いだヴィルヘルミーネ(Wilhelmine 1709-1758)や、バッハのカンタータ等の台本を書いたクリスティアーネ・マリーア・フォン・ツィーグラー女史や文人ゴトシェートの夫人ルイーゼなど教養ある女性のリュート愛好 家も見られる。バッハ自身もリュートのためにいくつかの作品を残しており、自宅を訪問したヴァイスとのリュートと競演を物語る作品BWV1025(ヴァイスのリュート曲をチェンバロに置換え、バッハがヴァイオリン  のパートを新たに付けている)も残している。しかし、彼らの次の世代でリュートは姿を消していく。
   テレマン自身のリュートの作品は現在知られていないが、『忠実な楽長』の第12章程にはそのヴァイスの単独の作品、そして第13~16章に渡ってバロンの組曲が紹介されている。いずれも、タブラチュア譜で掲載されており、愛好家以外は解読不能な専門的なものである。(下はその冒頭部分)              

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 比較的簡素なバロンの作品に比べて、かなりのテクニックを要したこの作品は、ヴァイスの名人芸を自分の手で味わえ、さぞかしマニアの目を惹きつけたことであろう。
   もともとは、ドレスデンの手稿譜に残る ~アルマンド-クーラント-ブーレ-サラバンド-プレスト~の舞曲で構成されたソナタ(組曲)の最終楽章である。(下はその冒頭部分)

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 おそらくはテレマンのリクエストに応じてヴァイスが厳選して送ったものであろう。低音部もヴァイスの作品の中では目まぐるしく動き、ギャサラントな様式に一層の華やかを添えている。また、バッハが随所で使った「涙のモチーフ」と呼ばれる滴り落ちるような音型と、8分音譜の持続低音上で奏でられる長短短の歯切れ良いフレーズの対比が印象的である。

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バッハ『マタイ受難曲』 第65曲アリア「我が心清くあれ」

 使用楽器:Brian Cohen 1975 London 13コースバロックリュート(スワンネック/ジャーマンテオルボ型Hoffmannモデル)

2. テレマン作曲 無伴奏ヴィオラ・ダ・ガンバのためのヴィヴァーチェ

 チェロと形は似ているが、音も小さく、弓のもち方や、弦の数、指板にはられたフレットといった昔から の伝統を色濃く残すヴィオラ・ダ・ガンバも消えつつある楽器ではあった。しかし、バッハもテレマンもこの楽器のために作品を残しており、愛好家も少なからずいたようだ。バッハの息子のC.F.エマヌエルやバッハとケーテン宮廷時代同僚であったこの楽器の名人アーベルの息子カール・フリードリヒが最期の時代 を飾る傑作を残している。

 このVivaceは、第15から16章程に渡って掲載されたテレマン自身による「チェンバロ無しの(無伴奏)ヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタ」の最終楽章である。全体はAndante-Vivace-Recitativo-Arioso-Vivaceで構成されており、重音奏法やアルペジォなどのテクニックばかりでなく、RecitativoとAriosoといった語り歌うような人間の声に近いヴィオラ・ダ・ガンバの特性を意識して作曲されている。この終楽章は、3拍子のパスピエあるいは軽快なメヌエットで全体の中で一番馴染みやすい曲である。

使用楽器:Karl Roy 1966 Mittenwald 7弦バス・ヴィオラ・ダ・ガンバ(Bertranモデル)
                                             
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以上、本日やっと形ができた。

他に、ヴィオラ・ダ・ガンバで以前紹介したテレマンのリコーダーソナタの通奏低音、メンバー全員(フルート、オーボエ、ギター、尺八!、エレキベース、ピアノ/チェンバロ)という珍妙なアンサンブル)によるヴィヴァルディ「四季」冬の第2・第3楽章、そしてリコーダーやパーカッション(フォルクローレのボンゴ?)で参加する。あとは練習あるのみ…。

   ストレス解消に太鼓にはまりそうな藤兵衛であった。

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久しぶりのリカンベント…ど根性コスモスにあやかる

  昨日の土曜日も休日出勤。

 午後の休みを有効活用したくそそくさと帰る。やり残した仕事もあるのだが過労死したくないので、御免こうむった次第。明日やれることは明日にまわそう。

  夜は定演一週間前の最後の合同練習、色々な方々の消息(なによりも気がかりなのはリュート奏者永田斉子さん…)も気になる今日この頃といった状況も言い訳にする。

 ここ数日、さわやかな秋空に誘われてクロスバイク通勤が続いた。 帰宅後、ご無沙汰の愛車SAAB93が気になり締め切ったガレージに眼をやる。

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  すっかり忘れていたあの「ど根性タチアオイ」の消息を確認!往時の面影は無いが、どっこい生きていた。

それどころか、隣に思いがけないものを発見!

「ど根性コスモス」!

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 どうして、タチアオイよりも過酷なこんな所に?その直上にはツバメの巣があり糞が落ちて栄養分になったとは言え…。

 再び頑張ろうと、元気をもらう。 明日(実は今日)の貴重な日曜日…疲れたとはいえ、うだうだしていてもしょうがない。これまた、ご無沙汰のリカンベント散歩に乗り打算と決意する。

 …といえども、愛車OPTIMA LINXX、購入後1年を待たずに駆動系(チェーン、ディレイラー)にかなりガタがきている。部品はすでに手元にあるのだが、夏休み以来仕事や疲れに追われ、メンテナンス(換装)の時間がまったく取れない。それは次週の大型連休に決行するとして、最後のご奉公ということで現状の部品たちにお願いして頑張ってもらうことにし、万全の準備をし翌日に備えた。 

 …そのつもりが、案の定疲労のため寝過ごす。出発したのは朝7時を回る。かえって、朝霧が晴れるころに荒川に達したのはそのおかげと感謝する。

 あ~。通勤用クロスバイクよりも、リカンベントはなんて快適。実に3週間ぶり…。朝霧がほんのりたなびく荒川を順調に折り返す。先日赴いた利根川を見ると荒川中流は何とも野趣味があることか!

 復路の桶川エアポートにさしかかり車体の異音が気になる。

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 たちどまりチェックをいれる。やはり、チェーンとディレイラーが悲鳴をあげている。それでも致命傷ではないので一安心。向きを反対方向にむけて、飛行船を背景に写真をパチリ。

 う~ん。阿蘭陀製のこのフォルム。何とも美し~と、みとれてしまう。

 再び漕ぎだし、調子に乗る。まるでストレスを発散するがごとく、いったん抜かされたロードバイク3台をぶっ千切る。初めての体験。

「ピッピッ」と警告音。

 装着したSHIMANOのサイクルコンピューター「Cyclink (サイクリンク)SC-FT50」が心拍数がオーバーフローを告げる。吉見の「桜堤」手前の幹線道路横断でペースダウン。

 その堤上…。

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 立ち止まり目をやると、土手には彼岸花が蕾を膨らませ、あちらこちら怪しげな赤い色が…。桜も葉を落しはじめ、すっかり秋めく。 荒川左岸の鴻巣市の堤では大勢の人々がコスモスの手入れに精を出す。

 50数㎞こなして帰宅後、さわやかな汗が冷や汗にかわる。

  さぼりまくっていた定演の練習の昨夜の成果を思い出たしたからだ。いそがしさに託つけたとはいえBWV998の記事も中断したままだし…。

 午後は、練習に没頭の藤兵衛であった。

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利根川にトライ。妻沼で迷子

 出張から今帰宅…。二週続けて出勤やら出張で土日の休日返上。その分の振り替え(代休)の一部が昨日と今日だったのだが、冒頭で述べた通りこれまた返上。うちの職場じゃ当たり前のこと…。過労死寸前の労働環境の下、私以上に同僚たちは頑張っている。

 本当はバテバテなのに、昨日の貴重な代休に、夏休み果たせなかった利根川リカンベント下りに挑まんと繰り出した。と言えども、その下見。普段乗り回してる荒川は、自宅からは容易にリカンベントで乗り出しやすい距離と交通量の少ないルートがいくつかあるのだが、利根川に出るのはルートが限られている。

 一般的で最短なルートは、行田市北端の利根大堰にたどり着く武蔵水路沿いの道である。小中学の頃、よく自転車で遊びに行った馴染みの道でもある。今は遥に交通量も多く、歩道もない道との記憶があり、いきなりリカンベントで乗りだすのはいささか不安なので、下見を兼ねて通勤で利用しているクロスバイクの初遠乗り散歩というになった次第。

 出発前にクロスバイクに手を入れる。キャップを紛失したハンドル右側にバックミラーを装着。

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「ゼファール SPIN バーエンドミラー」なるものをネットで探したのだが、先に回取り付けたバーエントとデザイン的にマッチしているだけではなく、充分後方を視認でき、折り畳みやすく機能的にも満足できる代物。

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 ついでにブラックの車体でやらた浮いていたシルバーのベルもブラックに交換した。リカンベントでも使っているブレーキレバーのグリップに装着できるタイプ。ブレーキを操作しながらベルを鳴らせる優れもの。安全のためなら自転車の重量増なんか気にせず何でも取り付けるぞ~…といってもささやかなアイテム。

 などとやっているうちに時間がだいぶたった。そそくさと武蔵水路にむかう。

 ひ~。恐ろしい。

 二車線の路肩にまったくゆとりのない狭い道。大型車両に追い越される度に死の恐怖を味わう。そして、追い越される度にドライバーの「邪魔だ~」という怒りというか殺気も伝わってくる。こりゃ~リカンベントなぞ漕いでいたなら命はないと確信する。

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冷や汗をタップリかいて、利根大堰の袂に到着。東京都民の多くの方は、このお水のお世話になっているそうだ。

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 土手上に「海まで154.0㎞」の看板を発見。ところがその道は、サイクリングとは思えない砂利道(簡易舗装?)。それじゃ~しかたあるまいと、群馬県側の左岸のルートがあるのではないかと淡い期待を抱いてうん十年ぶりに自転車で利根川を渡ろうする。

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すっかり忘れていたが、利根大堰の歩道は人一人がやっと通れるくらいの狭い通路。自転車同士がとてもすれ違えない。といっても自動車道はとても怖くて通れない。

と悩んでいるひまもなく大堰に阻まれて満々と水をたたえた利根川をパシャ。荒川に比べて実に雄大。

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 幸い人と遭遇することなく群馬県側にたどりつく。特に表示はないがきれいに舗装されたサイクリングロードがあった。

 今回は下見なのでとりあえず下流の次の橋を渡って折り返した。右岸の土手の上の道は砂利道に近い簡易舗装で四苦八苦。ふと下を見ると舗装された狭い道を発見。あちらがサイクリングロードかと悟るも、そこへ下る道がない。とうとう利根大堰付近まで、パンクの心配のあまり泣きべそをかくはめに…。

大堰手前でやっと合流。その先に「行田サイクリングセンター」なる施設を発見。

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 ものすごく分かりにくい場所に埋没している。というか、まるでかくれんぼしているとしか言いようが無い。自転車のレンタルをしているものの、中に入っても椅子に座って休憩する程度の設備しかない。余りにも情けなくなり、予定にはなかった上流を目指すことで憂さをはらさんとする。

 う~。そこから、土手上のサイクリングロードに出るまで、これまた案内表示が不親切。途中にトンネルがあるものの何のルートの案内も無いので通り過ぎる。これがルートなのと思えるくらいの急傾斜を駆け上ったら、もと来た大堰の麓の一般道の交差点に踊り出でた。何の案内板も無い。ひょっとしたらと思い逆戻りしてトンネルを潜るも、右折して土手に向かうと雪隠詰め。結局そこを左折して、一般道を迂回して何とか再び土手のうえにたどり着く。

しばらく進むと、土手脇に廃墟がたたずむ。

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 確か赤い顔料「ベンガラ」を生産していた工場だ。子供の頃通った時は近所一帯が赤く染まっていたような記録がある。敷地にかつてのその面影がのこる。

上流の空に白い大きなものが飛び交う。

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グライダーの機影。葛和田(利根川の渡し船がある所でも知られる)という所に大学などの発着場(滑走路)があると聞く。とりあえずそこをめざそうとする。こんな平日に思いつきでグライダーを見に行こうとする暇人は私ぐらいだー…と言っている場合ではなかった。いつもの行き当たりばったりの悪いパタ~ンになりかけていることにその時点では気づいていない。

 あ~思わぬものを発見してしまった。先日シーボルトの記事で、ちらっと触れた「荻野吟子」の記念館の案内板が目に飛び込む。吸い込まれるように自転車を担いで土手から急な階段をおりる。

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噂には聞いていたがまさか、こんなところで「日本初の公許女医第1号」の荻野女史にお会いできるとは…。生家の跡地に記念碑、銅像、記念館が整備されていたのである。いつの間にかに旧妻沼町(現熊谷市)に入りこんでいたのであった。そんなことはお構いなく、写真を撮りまくり、こじんまりとした記念館を一人貸し切り状態で時間を忘れ堪能する。

 疲労を感じ、自転車を担いで土手にあがる気力もうせたので一般道路で葛和田をめざすことにする。自転車は軽いに限ると前言を翻す。

 ちょっと気まぐれに、横目で気になっていた利根川を並走する支流の福川に登ってみたら結構いい舗装道路。ずんずん走っているうちに「ここは何処?」の状態。地図は無くどちらかといえば方向音痴!のこの藤兵衛。すっかり混乱し、再び一般道路に降りてみたところ、まったく見知らぬ所を徘徊するはめに…。早い話が迷子。

 そのうち勤務地の「熊谷市街方面」の看板に遭遇するだろうとタカをくくっていたが出会うは「深谷、本庄方面」の標識。 「ここは誰?、私は何処?」とますますパニック状態。

  …とするうち長慶(慶長?)寺とかいう結構荘厳なたたずまいの寺にたどり着く。駐車場で気を落ち着かせようとぼ~っとたたずんでいると、「帰れ~。戻れ~。」という声が頭の中で響いたので、それに従う。冷静に考えれば、勤務地の「熊谷方面」よりも自宅のある「行田方面」を探す方が賢明…。まさに天の声。お寺のご利益か?ありがたや…。

 元来た道を戻りだす。といってもその道すら忘れかけている。仕方がないので見当をつけるしかない。とりあえずは福川沿いの一般道を下る。お昼までには帰らなければという予定が大分おしているので利根川までたどるゆとりは無い。あせりながらも、少し落ち着きを取り戻したころ、道に沿うひときわこんもりした木立が気になり、たち止まりのぞいてみる。

お~。平安時代、源頼義が奥州に赴く途中立ち寄ったという由緒正しき長井神社を発見。そういえば行田市には平泉の藤原秀衡が馬を繋ぎとめた松が残る寺院があると聞く。

また、長井という名は長井別当と賞された『平家物語』で名前を残す老将斉藤実盛の縁があるかもしれない。

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 長居は無用とは畏れ多いが、後ろ髪ひかれつつ慌ただしく神前を後にする。
先のお寺といいこの神社といい由緒正しき神社仏閣に巡り逢えた。ここが何処なのかは(少なくとも旧妻沼町のどこかに違いないが)あとで地図で確認し、また改めてリカンベントでジックリと訪問しよう。お賽銭もあげていないし。

 利根川といい福川のコースもなかなか洒落ている。行き当たりばったりの悪い癖が時には福をもたらす。

 やっと「行田方面」という標識を発見し安堵。おかげで交通量の少ないルートを経て帰着することができた。たかが40数㎞程度の走行距離なのだが筋肉痛というお土産付き。

  リカンベントを乗り慣れるとクロスバイクは結構疲れることを発見した藤兵衛であった。

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バロックリュート、ついにガット弦に張り替える

先日ドイツのKüerschner社からリュートの弦が届いた。

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 かねてよりガット弦にしようか迷っていた愛器Brian Cohen のバロックリュート 用にと、ついに意を決して注文したものである。

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 以前から気になっていたのだが、袋のデザインにヴァリエーションがある。ガンバのガット弦を注文した時も混在していたが、弦の種類(ガット/ナイロンなど)で区別している訳でもなさそうだ。

  低音用の巻弦ガット(ガットに銅線をまいたもの)のVDシリーズは既にガンバに張っていてお馴染みだが、この度リュート用と銘打ったVDLシリーズはどんなものかと試しに取り寄せてみた。

  百聞は一見にしかず、写真のように先端部分にループが施されており、これに弦の先端を潜らせるだけで出来上がり(次の次の写真参考)。う~ん、これはガンバにも使えそう。こちらは、ただ通すだけで済むこと請け合い。めんどくさがり屋には重宝…といってもガンバは多くて も弦はフレンチで7本、片や13コースのバロックリュートは24本の弦と格闘しなければならない。たとえ数本でも、この便利な仕様の恩恵にあずかれるだけでも大変うれしい。

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とりあえず指板外の拡張低音弦だけでも張り替えてみようと、一番太い最低音弦からトライ…。

  …楽勝と思いきや、いきなりつまずく。ブリッジに空けられた弦を通す穴が小さくて最初からこのように通らなかったのである。つまり元のナイロンの巻弦よりもガットのそれは幾分太いのであった。

結局、針やすりでシコシコと穴を拡張するはめに…。上の写真は術後の姿。

当然ペグの穴の方もそれを要求する。

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  念には念を入れて複弦の細い(オクターブ高い)方の片割れにも手術を施す。羹に懲りて膾を吹くとはまさにこのこと?。それらに普通のガットであるDシリーズ…いわゆる素ガット(プレーンガット)を用意した。

  黙々とただひたすら穴を広げ、次から次へと弦を張り替えていく。気がつくと予定外の指板上の弦までやっていた。

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  その間、ちょっと手をすべらしたら針やすりの先端が折れてしまった…。根元の部分だけでも結構けずれ、むしろ具合がよくなった。

   上の写真をご覧になって「おやっ」とお気づきになった御方もいらっしると思うので…補足。

   ヤスリを挿入している箇所の左の大きな穴は、この楽器の前オーナーが単弦仕様で弦を張っていた時の名残りと推測する。おそらく前オーナーのうち誰か(英国人?)はギター弾きに違いない。

  続補  その前オーナーはヘビースモーカーでもあったらしく楽器から脂の匂いが今だ抜けない。タバコを吸わない自分にとって結構つらい。普段愛用する楽器として注文した奥さんのリュートの完成が待ち遠しい。長いスワンネックも狭い部屋ではもてあますというのも理由の一つ。

  う~ん。ともかくリュートの弦替えはとてつもなく大変。高音弦は、とりあえずすでに何本張ってあるナイルガット(ナイロン?製のガットもどき弦)で、全体の響きのバランスをみることにする。…というより、細いガット弦の耐久性と安定性を間近にせまった定演で実験する勇気がないというのが本音。

   あ~調弦がしんど…。慣れぬ加工作業で指が痛い。今日はこれで店じまい。どんな音がするのか…楽しみは後に取っておこう。

 先週に引き続き今週も土日の休日返上の仕事が待っている。しかも虎の子のその代休も出張で取られるというおまけ付き…weep

  試奏はおろかこの文章推敲する精根気力尽き果てんとする藤兵衛であった。

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