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2009年8月の13件の記事

BR-1にバーエンドを装着

 先の土日は休日出勤、出張。総選挙。台風の接近と慌ただしい。幸い昨日の記事について触れたことは、杞憂に終わりそうだ。

 

 おかげでBWV998シリーズは余儀なく中断。自転車散歩、通勤もお預け。
日曜の出張前に、自転車朝駆けもやればできたが、疲れて出張先で居眠りしていびきをかいてはいけないとたまっていた懸案事項を片づけることにした。

リカンベントの駆動系のリニューアルは時間がかかりそうなので後回し。
通勤用のクロスバイクBE-ALL BR-1用に少し前に取りよせたバーエンドの取りつけにトライ。

  スポーティな走りのために特化したロードバイクのドロップハンドルに対して、フラットなハンドルのクロスバイクは、ハンドルやブレーキの操作性がよく、街中を走るのに適している。逆に、リレー競走のバトン(あるいは前へナラエ!)のように手の平を垂直にして自然に握ることができるドロップハンドルに比べ、体操の鉄棒をにぎるように手のひらを水平にハンドルにおくしかないフラットバーは、腕や手に余計な負担がかかってしまうという欠点がある。

 ちなみに愛用のリカンベントのV字形のアンダー仕様のハンドルは前者(ドロップハンドル)と同じく、手のひらを水平にして握り、しかも体は座席に寝そべっているため、上半身の体重はまったくかからず極めて楽ちん。

 また、ドロップハンドルは握る位置を変えることによって腕や上半身にかかるストレスを分散できるが、フラットバーは握り方が固定され長い時間走行するとストレスがたまりやすい。フラットバーハンドルのこれらの欠点を解消するアイテムがこのバーエンドなのである。名前のように、下の写真のような部品をハンドルの両端に取り付ける。

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 色々なメーカーから色々な形状や材質のものが発売されている。ネットでカーボンとアルミ製の「TRIGON CARBON BAR END ERGO」なるものを購入した。軽量さと先端の形状、車体の色に馴染むことが興味をひいたのである。

取りつけるには、まずハンドルのグリップを加工しなければならない。

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 写真のように先端部分をバーエンドの取りつけ部分の幅に合わせてカッターでカットする。後戻りできないので覚悟が必要。(グリップを取り替えればすむだけの話だが…。)

 いったんグリップを引き出しカットした後に元に戻すのだが、グリップの材質によっては滑りにくく苦労する。その場合はマイナスドライバー等で隙間をつくって潤滑剤(後に乾くクリーナーが良いと聞く。オイルだと装着後も滑って具合が悪い)。このグリップは、緩みやすくその手間は省けたが…気づかないうちにずれて、先端の穴をふさいでいたキャップが脱落紛失してしまった。

 お恥ずかしながら、ちょっと急いでいたので切り口が雑。手直しをして、コツを忘れないようにとすかさず反対側もトライ。

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今度は一度で「余は満足じゃ~」の出来。「近こうよれ」と、早速バーエンドを前に突き出すように取り付け、ネジを締めて固定する。

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 30分もかからず作業完了。

 いわゆるエルゴ形状の先端のへこんだ部分に親指を優しくかけられるためとても握りやすい。

 乗りながら快適な角度に調整。ネジをきちんとしめれば取りつけ強度の不安はない。グリップのズレ防止にもなった。

 ブレーキ操作がしにくくなる欠点はあるが、交通量の少ない所を走る際は、握り方を変えることによってストレス解消となり、遠距離走行も楽になる。これだけのアイテムで快適さが得られ、車体のイメチェンができるとは儲け物。

 う~ん、今度は、右側のキャップを無くした先端の穴と、最初から付属していたシルバーのベルが気になりだした。

 調整のつもりが、調子に乗って結構長く走ってしまった。

帰宅後、シャワーを浴びてそそくさと出張に赴いた藤兵衛であった。

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関東に台風迫るも今だ報道無し

出張先から、政局が気になりそそくさと台風の先触れの雨に打たれながら帰って来た。

う~ん、 選挙速報を娯楽番組のように浮かれはしゃぐ民放はともかく善人の献金で運営されている某国営放送ですら午後11時直前の時点で関東地方に接近しつつある台風の情報が一切流れてこない。

   ここのところ思わぬ豪雨で多くの死者が出ている。関東地方でも夏休みを短縮して2学期がすでにはじまっている学校も多いと聞く。

おっと、やっと午後11時に、何ともおざなりな情報が某国営放送から流れた。

台風が来れば来ればで、いつものように台風一辺倒の報道になるのだろうが…。

ともかく 何よりも台風の被害がないことをひたすら祈る藤兵衛であった。

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バッハとリュートあれこれ(15)~BWV998その2

   2. BWV998は断片的な作品なのか?

 このBWV998にいて、バッハの器楽作品に同じ形式がみあたらず、その中途半端な楽曲構成から「組曲(ソナタ)の断片ではないか?」いう説がある。また、バッハのこの曲の唯一現存する資料である自筆譜の『Prelude pour la Luth.ó Cembal. par J.S.Bach( リュートまたはチェンバロのためのプレリュード)』に着目すると、フーガとアレグロが無視されており、寄せ集められものではないか?という疑問がわく。

BWV998が一つのまとまった曲ならば、オルガンやクラヴィールの「プレリュードとフーガ」のように「プレリュードとフーガとアレグロ」という表題をつけるのが当然と考えるのは自然の理である。

   確かに「プレリュードとフーガ」という言い回しは『平均律クラヴィール曲集』において

      "Das Wohltemperirte Clavier. oder Praeludia,und Fugen durch alle Tone und Semitonia,...." 「平均律(程よく調律された)クラヴィール曲集。またはすべての調…云々…にわたるプレリュードとフーガ集…」

 とバッハ自身が使用している。同様にオルガンのための作品もほとんどが「プレリュードとフーガ」との表題がついている。

 しかし、これらのオルガン曲について調べてみると、意外にも多くのバッハの自筆譜が消失してことが判る。(参考:バッハ叢書[別巻2]『バッハ作品総目録』角倉一朗著(白水社))。つまり、その筆写譜の「プレリュードとフーガ」という表題は元来バッハ自身がつけたものだとは断定できないのである。興味深いことに、自筆譜が現存するBWV541ト長調とBWV544 ロ短調の2曲には、それぞれ

  BWV541: "Praeludium pro Organo con Pedal:obligate:di J.S.Bach"
  BWV544: "Praeludium pro Organo/com Pedale obligato/di/Joh:Seb:Bach"

と「オルガンためのプレリュード」とだけ記されており、フーガについて明記されていない。

  このことは、序曲や幻想曲(ファンタジー)といった曲にもあてはまる。

  例えば、『管弦楽組曲』BWV1067~69は、管弦楽で奏せられるフランス風序曲を冒頭にもつ組曲(舞曲集)なのであるが、実は「組曲」全体が式典やオペラの前に奏される「序曲」なのである。事実、原題は『序曲(Ouverture)』であり、『管弦楽組曲』は単なる通称なのである。逆にクラヴィール練習曲集第2巻の『フランス風序曲ロ短調』BWV831も実質は「組曲」であるが原題『フランス風序曲』で呼び慣らしている。

  同じく、オルガンのための『幻想曲とフーガハ短調』BWV562も自筆筆に
  "Fantagia pro Organo."とあり、即興的な自由な部分(ファンタジー)と対位法的な部分(フーガ)で構成された曲をファンタジーと呼んでいるだけである。同じ理屈がプレリュードにも当てはまる。先に述べたように『平均律クラヴィール曲集』が成立する頃に、「プレリュードとフーガ」という形式が様式化され、この名称が定着したのであり、厳密な区別をするまでもないことかもしれない。

  つまり、BWV998も曲全体を『プレリュード(Praeludium)』と称することは何も特別なことではなく、この表題をもって「寄せ集め」または「断片である」ときめつける根拠にはならない。

 何よりもBWV998が完結した作品であるという確たる証拠を新バッハ全集の『改訂報告』が言及している。まず、自筆譜における訂正の多さが、何かを寄せ集めて再構成したものではなく、四苦八苦しながら書き下したオリジナル版であることを強く物語っている。さらに、アレグロの終結部にオルガンタブラチュアを用いた理由は、足らなくなった紙面に何とか納めて記そうとした苦肉の手段であったことであり、しかもそれが譜面の最終頁の余白だけでは足りず、1頁目の余白をも使って記されていることを有力な根拠としている。アレグロをもって曲が完結させたバッハの涙ぐましい苦労の跡が読みとれる。

上野学園の所蔵のBWV998の自筆譜をコピーでもよいからジックリ拝見してみたいものだ。

それでも、なぜ最後にアレグロが必要であったのか?の疑問が残る。次回、そのことについて触れてみたい。

  このところBWV998に入れ込んで定演の練習がいい加減な藤兵衛である。

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バッハとリュートあれこれ(14)~BWV998の様式について

 1、BWV998の様式(形式)についての考察

 『プレリュード、フーガとアレグロ』という形式に一番近いものは、クラヴィーア(チェンバロ)やオルガンの為の作品に見られる「プレリュード(前 奏曲)とフーガ」であろう。この様式についての由来を述べているときりがないので省略するとして、結論から言えばバッハの『平均律クラヴィーア曲集』に よって不動の様式としての地位を確立したといえる。後のショスタコーヴィッチ(Dmitrii Dmitrievich Shostakovich, 1906-1975)をはじめ多くの作曲家がこれを踏襲した作品を残している。マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ(Mario Castelnuovo-Tedesco, 1895-1968)の2台のギターのための作品もある。

「プレリュードとフーガ」という様式は、オルガニストにとって教会的職務としてのコラール演奏とは別に、即興的な技巧と作曲家としての技量を示す絶好の素 材(形式)といえる。バッハは生涯に渡って多くのこの様式に基づいて作曲している。ところが、『平均律クラヴィーア曲集』、『イギリス組曲』、『フランス 組曲』などのような曲集にしていないのが不思議である。ともかく、プレリュードの代わりにトッカータやファンタジー、パッサカリアを冒頭においた亜種をふ くめ30曲近い作品が伝えられている。
その中に、ヴァイマール時代の1708~17年の間に作曲されたとされる『トッカータ、アダージョとフーガ』BWV564ハ長調の3楽章形式のものが存在する。基本的には即興的なプレリュード(トッカータ)とフーガの間に、以下の美しい緩徐楽章が挿入されたものである。

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この曲は、これまた美しいカンタータ156番『我が片足はすでに墓穴に入りぬ』の冒頭のシンフォニア

Bwv156_1

(『チェンバロ協奏曲ヘ短調』BWV1056にも転用された)に雰囲気が似ている。もしかしたら、BWV564の中間楽章もこのシンフォニアとおなじように元々は何らかの協奏曲の中間楽章であった可能性がある。

 興味深いことに、オルガンのための『プレリュードとフーガハ長調』BWV545の初稿BWV545a(同じくヴァイマール時代の1716年頃)に は、オルガンのための『トリオソナタ第5番ハ長調』BWV529の中間楽章が挿入されている。また、オルガンのための『プレリュードとフーガト長調』 BWV541も『トリオソナタ第4番ホ短調』BWV528の中間楽章を挿入する構想があったとされる。

  また、バッハはクラヴィーア作品として7つのトッカータ(BWV910~916)を残している。そのうちヴァイマール時代の作品である『トッカータト長調』BWV916は、他の作品がバッハに直接影響を与えたブクステフーデの即興部分とフーガ(対位法的)部分が交互に現れる長大で複雑な構造をもつトッカータに由来するのに対して、(Allegro?) - Adagio - Allegro(Fuga)の3楽章形式、すなわち明確にイタリア様式の協奏曲の原理を応用している。

 何が言いたいかというと、この一連の「プレリュード(トッカータ)- 緩徐楽章-フーガ」の3
楽章の形式はバッハがヴァイマール時代にヨーハン・エルンスト公を通じて出会ったイタリアの協奏曲様式の多様な可能性を模索していたことを伺わせる。真っ先にヴィヴァルディやマルチェッロなどの協奏曲をオルガン(BWV592~597)やチェンバロ(BWV972~987他)に編曲し研究していることがその証拠である。

 こうしたヴァイマール時代の試みは、『ブランデンブルク協奏曲』を初めとする後の傑作協奏曲の原形を生み、その後、オルガンのための『6つのトリオ・ソナタ』BWV525~530、1735年のクラヴィーア練習曲集第2巻の『イタリア協奏曲 ヘ長調』BWV971、『ヴィオラ・ダ・ガンバ第3番ト短調』BWV1029などへと昇華されていくのである。クラヴィーアのための『プレリュードとフーガ イ短調』BWV894を元にバッハ自身が、オルガンのための『トリオソナタ第5番ハ長調』BWV527の中間楽章を挿入して、『ヴァイオリン、フルートと チェンバロのための三重協奏曲イ短調』BWV1044に改編するという労作がいわばこの形(プレリュード- 緩徐楽章-フーガ)の究極の姿であろう。

 ちなみにディヴィッド・シューレンバーグはその著作『バッハの鍵盤音楽』佐藤望/木村佐千子共訳(小学館)において、『トッカータト長調』 BWV916の最終楽章のフーガについて「主題は、フランスのジグにある跳ねるようなリズムをもつが、走句的な16分音符をも含み、BWV996の組曲 (通称リュート組曲第1番※筆写補足)で見られるようなタイプのジグに近い主題となっている」と紹介している。

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 確かに、下降する16分音符の音型(特に2小節目)は、まさしくBWV996のジーグの冒頭主題そのものであるが、実はこの「走句的な16分音符」については、本稿(BWV998)にかかわるもっと重要な情報を持っている。それは後日に譲るとする。

こうして整理すると、BWV998の「プレリュード、フーガとアレグロ」といった楽曲配置の特異性があらためて浮かび上がる。中間楽章を挿入して協奏曲様式に発展さ せた例はあっても、フーガを中間楽章においた「プレリュード-フーガ-アレグロ」の例はバッハの他の器楽曲には見当たらない、つまり「プレリュード-フーガ-アレグロ」という特殊な形式はこの曲独自のものだということが判明する。

 ただし、このことはBWV998は、「寄せ集め」または「未完成」の作品ではないかという疑問を生じさせる。

 次は、この作品の表題から、この問題について考えてみたい。

 時間を空けずこの項目をアップしたのには訳ありの藤兵衛であった。

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バッハとリュートあれこれ(13)~究極のリュート曲

バッハの究極のリュート曲をあげるなら、私は迷わず『プレリュード、フーガとアレグロ変ホ長調』BWV998を選ぶ。

  学生の頃からこの曲の成り立ちをあれこれ考えてきたが、自分なりの私見を整理して置こうと思い立ったのが、昨冬の頃から、あれこれ書き溜めだしたのはいいが、あっちこっちと膨らみ過ぎて収拾がつかなくなった矢先に転勤という環境の変化で、まったくのお手あげ状態となってしまった。何とか、夏休みの落ち着いた頃に、再始動のスイッチを入れようと思っても、学生の頃の夏休みの宿題と同じで目先のことに目が眩み先にのばすばかり。この処、急に秋の気配が忍び寄り、これでは「いかんぜよ」と自分に鞭打ち、突破口を開くべく最初の部分を取り繕ってみた。                                  

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 バッハのリュートの最後の(究極の)作品は何であろうか?
  現存している7つの作品のうち、楽譜の年代研究から、『プレリュード、フーガとアレグロ変ホ長調』BWV998がバッハの晩年期の1740年代前半に作曲され最も新しいリュート曲と考えられる。そのバッハの自筆譜の原題は『Prelude pour la Luth.ó Cembal. par J.S.Bach』すなわち「リュートまたはチェンバロのためのプレリュード」となっており、確実にバッハがリュートのために書き下ろした唯一のオリジナル曲と断定できると自分は考える。また、この曲の構成からみても究極のリュート曲と見なしている。しかし、この3楽章の形式が、リュート曲のみならずバッハの器楽曲のなかでも特異な構成であり、研究者やリュート奏者を悩ましてきた。そこで、次回から色々な面から考察していきたい。

 何とか一歩踏み出せ安堵する藤兵衛であった。                      

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髭と秋空

数年前から、長期休暇がとれると髭をのばす。

趣味というか単にずぼらというか…。
だいぶ白いものが混じってきたが、自分では満更ではないと思っているのだが
結局休みが終わると剃ってしまう。

新しい職場は髭面が結構多い。お盆に帰省したすぐ下の弟も数年前から髭を携えている。

日常を「チェンジ!」…。その一歩がなかなか踏み出せない。

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玄関を踏み出ると、空に高積雲(羊雲?)がたなびいている。

季節は静かに秋の訪れを告げる。

ふとバロック(音楽)に髭…??…ウ~んと考え込む藤兵衛であった。

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シーボルトと音楽

  シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold,1796-1866)は、

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(左:長崎県立長崎図書館蔵  右:国立国会図書館蔵)

東洋に憧れ1823年長崎出島のオランダ商館医として来日する。日本史でお馴染みの有名人。

  滞在中、日本の文化や動植物を研究し、医者としての能力が買われて出島を出ての診療活動が許され、さらに鳴滝塾にて高野長英をはじめとする門下生に西洋医学を教授するなど日蘭交流に貢献している。また、楠本滝と結婚し娘イネが1827年に生まれている。このイネ(司馬遼太郎の『花神』に重要人物として登場する。1977年NHK大河ドラマ化)が村田蔵六に師事し 日本初の女医として活躍する※。1828年、一時帰国する際、国外持ち出しが禁じられている日本地図を所持していることが発覚し国外追放処分を受けた(シーボルト事件)。

  ※注:ちなみに初の正式の資格をもった女医は、我が勤務地埼玉県熊谷市(旧妻沼町)出身の荻野吟子(1851-1913)である。

  彼が、どれだけ日本を愛していたかは、彼の記録やヨーロッパに持ち帰った膨大な収集品からも判る。事実、帰国後、生まれた息子を連れて再来日し、死去するまでヨーロッパで日本文化の紹介に尽力している。

   シーボルト愛用?のお滝とイネの肖像入りの煙草入れが残っているが(下の写真※右は成人後のイネ)。 残念ながら両人との関係は冷えきってしまったようだそれでも、色々な差別偏見にあいながらも父と同じ医の道を歩んだイネの姿は健気だ。彼女と荻野吟子がもし出会っていればどんなに心強かったことであろう。意外にも両者の関係を述べた論文は少ないような気がする。 

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  近年、シーボルトと音楽について色々紹介されるようになってきた。最近日本に現存するシーボルトのピアノの修復が度重なる困難を経て完成し演奏も披露されている。ネットなどで「日本最古のピアノ」と紹介されているが、明らかに彼が日本に持ち込んだものである。

  手元にある2001年8月21日の毎日新聞の「東京芸大で楽譜を発見 日本初のピアノ曲」という記事(執筆:梅津時比古氏)の切り抜きに、彼が離日する際に交友のあった山口県の商家熊谷(くまや)五右衛門に署名を添えて贈呈したものとある。

 今ピアノというと重く大きなあの姿を思い浮かべ、え~っと思うかもしれないが、実物の写真を見ると納得する。参考:財団法人 熊谷美術館

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英国製のご覧の通りの大きさのターフェルピアノ(卓状ピアノ)である。それでも結構重そうだが…ぜひ実物に触れてみたい。

 「なぜ日本にピアノを持ち込んだのか?」と新聞の記事では「ヨーロッパの最新技術を紹介する説もある。シーボルト著の「江戸参府紀行」のなかに「中津藩の老公を音楽や歌やダンスでもてなし、楽しく過ごした」と言う記述があり、自らの楽しみや社交のためだったと見られる。TV番組の企画でこのピアノを弾いた羽田健太郎さんは、日本の音楽をピアノで弾いて楽譜に再現し、ヨーロッパに伝える目的だったろうという説を立てる。」

 と一般読者のために周りくどく説明をされているが、楽器を嗜むアマチュアにとって答えは以下の一言につきる。先の引用文の要約にもなると思うが…

     「自分が楽しむため」!

 そもそも、彼はバイエルン州ヴュルツブルク (Wurzburg)の名門貴族に生まれたドイツ人である。当時の良家の子女の嗜みとして同地出身の音楽家ヨーゼフ・キュフナー(Joseph Kuffner,1776-1856)…ギターの易しい小品も残している~ホマドリームの菅原潤さんの記事が詳しいからピアノの手ほどきを受けたらしい。

 新聞記事で紹介されていた「シーボルトのピアノ曲」の楽譜…。

Kappore

 どうやら、シーボルトが日本で耳にした旋律を音符におこして持ち帰り、帰国後ピアノ曲(歌曲)に編曲され、1836年にオランダのライデンで7曲の「日本のメロディー」として初版が出版されたものである。芸大で発見されたものは1784年にウィーンで再版されたものをシーボルトの息子が来日した時に持ち込んだものいうことだ。「坊主にかっぽれ、あの子見たさにヤレコレ」云々とある歌詞(かっぽれ)から全くかけ離れた西洋的なものになっている。私は、シーボルトの了解をとって、一般大衆に馴染みやすいよう興業的に誰か(キュフナー?)が手を加えたものであると推論する。事実、「ワシントン(議会博物館)のものだけ表紙にキュフナー編曲と印刷されている。」と新聞記事は紹介している。しかし、それでも「(シーボルトが)作曲するにあたってキュフナーが手助けした」と懐疑的である。果たしてそうであろうか?

 まず、シーボルトの他の音楽作品や音楽家としての業績(記録)が知られていないというだけではなく、真摯な研究者であるシーボルトが日本の音楽を歪めて伝える訳がないと私自身は思っている。西洋の価値観(視点)で東洋の文化を改編書き直すのは冒瀆行為に他ならない。このことはシーボルトの本意ではあるまい。もっとも日本の曲をそのまま単旋律で出版しても買うのは余程のマニアックな人々であろう。だからこそ、エキゾチックな雰囲気だけを求める大衆向けに出版社がキュフナーに全てを委ねたのだろう。それが事実ならキュフナー編曲というよりもキュフナー作曲といっても良いのではないかしらん。

 最近、明治大学法学部加藤徹教授のHPで興味深い資料を見つけた。(教授はアコーディオンの愛好家でもあられる)

Sanmeisiebold

 シーボルトが、日本滞在中、月琴の中国(明清楽)の小品「 Ein chinesisches Liedchen auf die Gekkin」を五線譜におこした直筆譜の一部である。

 音価があわない部分もあるが細かいリズムなどを正確に聞き取ろうとしていたことがうかがえる貴重な資料である。まさしく研究者としての面目躍如と言ったところか…。むしろ、先に紹介した新聞の羽田氏の説は、ピアノ無しには採譜できないとしたら音楽家としてのシーボルトの能力の低さを証明することになるのだが…。

  日本の音楽採集を「訪日プロジェクト」のミッションの一つとパトロン(阿蘭陀政府)に言い包めて大型の楽器の運搬費を肩代わりさせることをもくろんだのなら、シーボルト=スパイ説も頷けよう。とにかく、したたか(笑い)

 次に、昔、仕事で長崎に出張し、訪れた出島で手に入れたイラストマップ「シーボルト1826江戸に行く」(シーボルト記念館板(版?))の「出島に帰る編」に興味深いシーンがある。彼の『江戸参府紀行』の記録から松尾龍之介さんが書きおこしたものだが…。とにかく当時の様子がありありと浮かび見ていて楽しい。

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 大坂では「歌舞伎を見て感動する。帰国してからオペラにしようと試みた。」の場面もあるが、オペラ創作に挑んだのが自分自身なのか、脚本家や作曲家に委嘱したのかは読みとれない。これこそキュフナーに相談したことは充分推測できるが…オペラを生業としていないキュフナーがどう応えたことやら…。

 この「シーボルト事件の発端を物語る場面」、「お滝さんへの愛情を物語る場面」もさることながら「ギターやピアノの伴奏」で島津重豪とのダンスの場面がなんといっても微笑ましい。

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 しまづしげひで1745-1833…あの有名な斉彬の曾祖父。名君ではあるが異常な程の阿蘭陀びいきで有名。シーボルトは80歳余りの彼をどう見ても60代にしか見えないと評している。そうでなければダンスはできまい。先の新聞記事では「中津藩の老公を音楽や歌やダンスでもてなし、楽しく過ごした」となっているが、その時の中津藩の当主は、1786年、中津藩奥平家の当主が急逝したことにより同家の末期養子として跡を継いだ島津重豪の次男の奥平昌高(1741-1755)である。彼は、直前に江戸で父にシーボルトに紹介されており、この日も父と同席していたと思われ錯綜したのであろう。この昌高も以後シーボルトと交友を重ね、実父に劣らない蘭癖となっていくのである。また、重豪は曾孫の幼い斉彬をシーボルトに引き合わせている。この重豪の「蘭癖」無くして、のちに明治維新のキーパーソンの一人となった島津斉彬(…さらに宮崎あおい演ずる篤姫も)も存在しなかったのである。

 その時のピアノは長崎から運んだ彼のピアノなのだろうか?江戸の長崎屋にもピアノがあったのだろうか?ギターはいわゆる19世紀ギターなのか?前段階の5弦複弦ギターなのか?製作された国や時期は?…などと興味はつきない。できれば本格的にシーボルトの史料(資料)や論文をいろいろあたってみたいのだが…時間がない…これだけでも書けたのが奇蹟だ。

 シーボルトは決闘好きと聞いて結構驚いた藤兵衛であった。

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永遠のしぇんしぇい~大原麗子さんを偲んで

お盆にちなんで故人を偲ぶ。

 女優の大原麗子さんの孤独死の報道にはショックを受けた。
高校生の時見た『雑居時代』というドラマでたちどころにファンになった記録がある。子供ながら初めて憧れの大人(年上)の女性タレントとなった。ちなみ、大学生になって『クイズダービー』に出演されていた竹下景子さんが加わった…。その後、我が母校の大先輩と御結婚されたと知って衝撃(嬉しくもあり悲しくもあり)を受けた…)

  大原さんの印象が一番残るのが翌年NHK大河ドラマ『勝海舟』、主人公
海舟の渡哲也(以下敬称省略)が病気で降板し松方弘樹がひきつぎ戸惑ったが、米倉斉加年、大谷直子演じる佐久間象山夫婦(妻は海舟の妹)の怪演、これまた憧れの坂本龍馬(藤岡弘)といった個性的な脇役の存在が飽きずに最後まで惹きつけた。幕末の血なまぐさい展開の中、一服の清涼剤となったのが、大原麗子さん演じた海舟の長崎での愛人梶久こと小谷野クマなのであった。あのハスキーな声で、海舟を長崎弁で「しぇんしぇい(先生)」と呼びかけるセリフが今でも耳に残っている。

 とにかく理屈抜き…これ以上のコメントは書けないが、
今から思えば、このドラマが私をして、日本史を学ぶべく大学進学先を決定せしめたといえる。

 実際には、高校を卒業してもギターにのめり込んで大分遠回りをしてしまうし、ドラマの全体の展開そのものはすっかり失念し、一時期、彼女の役は、同時期を描いた村田蔵六(大村益次郎)を中心に幕末の群像を描いた大河ドラマ『花神』の主人公(蔵六)の想われ人シーボルトの娘イネ(実は浅丘ルリ子)だと勘違いもしていた。当時は何で無粋でいけすかない男がもてるのだろうと不思議だったが…我が道を行く男をさりげなく支える麗人。う~んうらやましい。昔、食せなかった冥加の味がわかる年になったということか…。

  …と書いている内に色々なことが頭の中から浮かび上がり、「いや待て、本当はこちらかも…」と段々あやしくなる。sweat01

う~ん、月琴を爪弾いていたような姿も朧げに…。イネなのかクマなのか別人(あるいは他のドラマ?)なのか…。ともかく、こぬ人を待ちわびて奏でるチロン、チロンと寂しく響く月琴?の音が頭の片隅で蘇る。確か、それに刺激されて家に転がっていた丸いビスケットの缶のような奈良漬けの木製の桶(なぜか埼玉県行田市には老舗の奈良漬け屋が何軒かあり、お歳暮などの定番として近在の住民から重宝され繁盛していた。今でも知る人ぞ知る行田名物である。)で月琴に似せた怪しげなもの作りかけ途中で投げ出した記憶も蘇ったので裏付けになるかも

そういえば、いつの間にかに、 リュート奏者の永田斉子さんが月琴奏者として活躍されている。

 
大原麗子さんに関する真相を確かめるべくもう一度あの声が聞きたいが、残念ながら、当時の番組の録画は故あって公開(販売)されていない。『花神』の方はDVDが発売されているらしいが…やめておこう。せめて誰かに長崎弁で「しぇんしぇい」と呼んでもらいたのだが…これまたやめておこう(笑い)。

 たとえ妄想のなせる思い込みの産物だとしても、耳に残る「しぇんしぇい」は大原麗子さんであったと信じて、そっとこのまま頭の中に残しておこう。

  追記:テレビで大原さんを最後に見たのは、たまたま途中から目にした題名も全体の展開も判らぬドラマであった。水商売に身をやつした己の不幸を飲酒で紛らわし過度のアルコール中毒に陥った薄幸の女性を演じていた。その彼女がうらぶれた安アパートで、恋人との想いをとげられぬまま大量の吐血で息絶える場面であった。今思えば…。

…余計なコメントは要るまい…改めて彼女の冥福を祈りたい。(合掌)

  おっと、これからお寺に施餓鬼におもむかねばならない。

 いい加減な記憶の罪滅ぼしにシーボルトにも触れてみたいと思う藤兵衛であった。

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藤兵衛の由来

お盆である。

  この時期は親の代から旅行なぞしたためしがない。お盆中唯一しかも家族もろとも家を空けたのは、皮肉にも突然の病で入院した父親の最後を看取った時だけである。長男としてご先祖様と、一族郎党の帰省のお迎えに追われるからである。それに父親の命日も加わった訳である。今日も、弟たちとたんと酒をつきあった。貴重な夏休みが他人のために取られてしまうということが恨めしいが、1年に一度ご先祖様を迎えると神妙な気持ちになる。

 そこで、ご先祖様を偲びがてら、「藤兵衛の由来」をあかしたい。

 私の「藤兵衛」というハンドルネーム…。実は私の10代前のご先祖様のご尊名を拝し奉っているのである。

 我が家に伝わる先祖代々の位牌から作成したと思われる略系図によると、判明できる一番古い我が家のご先祖様は寛保二年(1742)に没した七左衛門であり、その跡取り息子が藤兵衛であった。その没年は宝暦六年(1756)なので世継ぎを残さぬまま早世したことがうかがえる。系図では養子が「藤兵衛」を襲名し天寿をまっとうしている。

 ここで、日本史の時間…。この頃は8代将軍徳川吉宗の治世(享保の改革)の末期。1742年は、公事方御定書が発布され、吉宗は1745年に将軍職を退き、1751年に没している。ちなみに吉宗の生年は1684年であるからして、バッハやヴァイスとほぼ同世代。地球上で同じ空気を吸っていたことになる。

 その後、明治に至るまで当主はおそらく「七左衛門」と「藤兵衛」を踏まえて「藤左衛門」を字(あざな)として踏襲している。明治最初の当主「藤吉」以降、当世風の名前になり、「藤」の字すら受け継がなくなったが、世が世なら私は歌舞伎役者みたいに8代目藤左衛門をなのっていたことになる。

 しかし、養子であった2代目藤兵衛は略系図に「本家中興之祖」と記されており、それなりの地位(役職)を確立したと思われ本家にとっては重要なご先祖様といえる。また、先代の七左衛門をふくめ両名が存命していた時期はバッハやヴァイスの活躍していた後期バロック時代と重なるのである。ちなみに初代藤兵衛の没年はモーツァルトが生まれた年でもある。

  その様なことを意識して3代目「藤兵衛」を僣称した次第である。

 明日、墓前で正式な襲名のお許しを願うつもりの藤兵衛である。

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何が何だか…2

オーマイカー!

   今日は、かねてより夏休みの計画をにらみ仕事の合間を縫いかつまた万難を排し予約した人間ドック。少しでも充実した夏休みを満喫すべく、はやい順番をとるため朝一番に病院に赴いた。

  ところが愛車SAAB93がエンジントラブル。そういえば数日前からエンジンの回転が不安定。

  新しい恋人(出勤用クロスバイク)との浮気(自転車通勤)や長期出張のご無沙汰でヘソを曲げた(バッテリートラブル)かな?…と高をくくっていたのだが、病院に赴く途中、エンジントラブルの警告が表示され、走行中あ~だこ~だとむずかしがる。

   不安を抱えたまま人間ドックを済まし(おかげ?で血圧高めの診断)、慌てて近くのディーラーに駆け込む。ナントカという部品の破損らしい。部品の在庫が無い場合、国外から取り寄せと聞き汗が吹き出す。破綻したSAAB社のその後の消息は、かつての親分GM以上に聞こえてこない。

  自転車と違い自分ではどうしようもないので修理を依頼する。お盆休み直前のこの時期、代車が出払ってしまい夏休みドライブの予定も消滅。しかも今夜の定演の合同練習も欠席。せっかくの夏休みなのに…。

   一体なんなの~と叫ぶ藤兵衛であった 。   

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何が何だか…。

あれこれ考えるまでもなく自転車朝駆けは最優先。

何とか雨も上がり、嬉々として愛車をガレージからもちだす。
ところが…。

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悲惨な事故!…では無いのでご安心を

空気が少し抜けてるようなので確認するため後輪を外した次第。

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  原因は不明だがピンホールによる空気漏れと判り、チューブ交換と相成った。リカンベントでは初めての交換作業…自分でも感心するくらい要領よく交換終了。取り外したチューブもスペア用にと補修する。サイクリング途中でなかったのが幸いだが、出端をくじかれ、出発するタイミングもすっかり逸してしまった。空模様も少し怪しそうなので、途中で降られるかもしれない。

  そこで 、懸案の庭の芝刈りに予定を変更。手押しの芝刈機(経験上一番きれいに刈れ、なによりも安価で堅牢)で、長雨で伸び放題の芝生とやぶ蚊と格闘しながら汗びっしょり…雨が降りだす前に片づけんとあせったこともあって結構いい運動となった。

  刈り終えて、タイヤの修理ついでに駆動系のメンテナンスとディレイラー、チェーンの交換をやってしまえば良かったのに~と気づき地団駄を踏む。

    詮方なくシャワーを浴び一休みしてバロックリュートで定演に向けて練習に勤しむ。しばらくするとネックとボディーの接合部分あたりの第9ガットフレットが切れるというかはずれてしまった。

   その場で張り替える気力もなく、気分直しにと、宿泊出張から帰って以来久しぶりにヴィオラ・ダ・ガンバをケースから出しスタンドに立てかけて、書棚で楽譜を物色する。その私の背後で「ピキッ」という音がする。ガンバかリュートのペグが緩んだのかな?と思っていたら、今度は「パシン」と鋭い音。振り向くとガンバの第1弦が見事に切れていた。えっ! 出張前に張り替えたばかりなのに…「うそ~信じられな~い」と一昔前の女子高生みたいに叫びたかった位だ。 ガンバのガット弦では初めての経験。こちらがきれてしまいそう…。弦についた小さい傷(こちらもチューブと同じで覚えがない)が最初の部分的な切断の原因となり、それが最終的な切断を誘発したらしいことが下の写真が物語っている。

P1010227

何やら弦、もとい験の悪い日…。

  練習をあきらめ録りためていたWOWWOWの番組を見て過ごすことにする。

  ありゃ、『CSI:8科学捜査班 』の主要メンバー「褐色の貴公子」が銃撃されて今シーズン最終回。う~ん後味悪い。そういえば、別シリーズのホレイショはどうなったのだろうか?クリミナル・マインドの最後の車の爆発シーンも気がかりだ…。新シーズン再開は大分先…。「つれづれなるままに、そこはかとなくあやしうものぐるほしけれ」状態となりかける。

  そこで験直しに同じく録り溜めていたNHKの教養番組プレミアム8「世界史発掘!」シリーズを見る事にする。内容よりも、司会の小郷知子アナウンサーがお目当て(ニュースの時と感じが違う…)なのだが、ふっと気がつくと、え~っもうこんな時間…!という位コクリコクリと舟をこいでしまったのだ。

これでは、いかんぜよと、夕食後、書きかけの音楽記事とにらめっこするも、再び泥のように意識が飛ぶ。結構大きな地震ですっかり目が覚める。再びワープロソフト(OASYS)とにらめっこ。

行き詰まり気分転換に楽器を弾こうと手を伸ばすが、ガンバは弦は切れ、リュートはフレットが一本無い。

 切れたガンバのガット弦をリュートのフレットに再利用することを思いついたのはつい先程。

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この位置に取り付けるには結構コツがいる。あ~もういやだ!ブログに書き捨て憂さをはらすしかない。今日は一体なんだったんだ~!

ただただ唖然とするしかない藤兵衛であった。

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今日から夏休…なの?

 昨日の出張で、気忙しい仕事が一通り片づいた。

   

やっと今日から自分にとっての夏休みヽ(´▽`)/

 ゆっくり休みたいところだが、この間に来月の定演に向けて自分の曲目を決定しなければ…。ヴァイス一曲は候補としてあがっているが、もう一つが決まらない。

 う~ん。この休み中ご先祖様と一族を向かえなければならない。

人間ドックもこの間に入れざるをえなかった自分が情けない。

 この前のなれない3泊4日の出張の気疲れで旅行する気もうせたが、気晴らしに遠出(ドライブ)したい。自転車にしようか、自動車にしようか悩んでいる。自転車だと乗りなれたリカンベント?新参のクロスバイクBR-1?

 その我がリカンベント山猫君も大幅なメンテナンスをすべく必要なパーツ(駆動系)は既に揃えてあるが…手がつかない。

 先日スワンネックのバロックリュートの一部の弦を張り替えたものの低音弦をガットにするかどうか踏み切れない…。

 ガンバのフレットも取り替え時…。

 音楽の記事の原稿も書きかけのが大分たまっている。

 岡沢道彦さんに刺激されたバッハのリュート曲のタブラチュア化も1曲手がけたまま、それっきり…。

 パソコンの調子が悪いのでOSリカバリーしなければ…。

 庭の芝刈りと…。

 何か3つ4つ忘れている…。

あ~っ。煩わしい。考えているだけで夏休みが終わってしまいそう。

とりあえず今晩は優先事項を整理しようとする藤兵衛であった。

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出張から帰る

 3泊4日の出張から夕べ帰着。いつの間にか8月になっていた。

 転勤の人事の補充という関係で、自分の専門とは全く無縁な部署の仕事を受け持つ羽目になった。全く勝手がわからないままの出張と相成る。この仕事ではチーフの領分を犯すことは最大のタブーであると、自分も以前その立場であったから痛いほど認識してきた。何よりも自分の経験の無さが実働もためらわせた。せっせと体を動かす周囲を尻目に、自分はただぼ~とするしかない。 自分の経験から察して、さぞかしチーフも新参者で門外漢の自分に余計な気を使ったことであろう。

とは言えども所在無しという状況を託っていても詮方ないので、あれこれと雑用を見つけ存在感を示し憂さをはらす。:来年は自分も何らかのチーフとなるのだが、まあいい経験だ。

 …という訳で一番のお土産は「気疲れ」。

現地の天候不順がスケジュールを大きく乱しストレスに輪をかけた。

 それでも久しぶりの目もくらむ青空を一時拝めた。

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 空には右を向いた動物(カンガルー?もしかしてカモシカかも?coldsweats01)の頭ような雲。あ~あ、自分も獣のように走りまくりたい!

…てなわけで、満を持して今朝、自転車の朝駆けを決行する。 

気持ちが張っているせいか午前5時半に討って出ることができたのにもかかわらず、疲労と霧雨に祟られペースがあがらない。意地になって復路は巡航30㎞/hで頑張りノルマの60㎞を何とかこなす。

  途中、荒川土手のサイクリングロードに体を寄せ合う2匹の子猫を発見。自分の姿を見て駆け寄ってきた。かわいい~。ちょっと大きく毛並み良く、明らかに飼い主の悪質な遺棄行為の仕業と見てとれる。情が移るが自分も雨に打たれゆとりが無いのですり抜ける。ずっと気にかけ、復路で少し離れた場所で、霧雨の中暖をとるため重なりあう姿を確認する。その震える姿を見ても、お待ち帰りするわけにもいかない。猫を飼いたいのはやまやまなのだが…鬼になる。

後ろ髪引かれ肉体的にも精神的にもクタクタになり帰宅する。

帰宅後はご想像通り…爆睡sleepy。昔かっていた猫の夢を見た。

うぁ~。明日も別の部署での出張だぁ。昼間寝た分寝られない…大丈夫?

楽器に嫉妬されそうな藤兵衛であった。

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