バッハとリュートあれこれ(14)~BWV998の様式について
1、BWV998の様式(形式)についての考察
『プレリュード、フーガとアレグロ』という形式に一番近いものは、クラヴィーア(チェンバロ)やオルガンの為の作品に見られる「プレリュード(前 奏曲)とフーガ」であろう。この様式についての由来を述べているときりがないので省略するとして、結論から言えばバッハの『平均律クラヴィーア曲集』に よって不動の様式としての地位を確立したといえる。後のショスタコーヴィッチ(Dmitrii Dmitrievich Shostakovich, 1906-1975)をはじめ多くの作曲家がこれを踏襲した作品を残している。マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ(Mario Castelnuovo-Tedesco, 1895-1968)の2台のギターのための作品もある。
「プレリュードとフーガ」という様式は、オルガニストにとって教会的職務としてのコラール演奏とは別に、即興的な技巧と作曲家としての技量を示す絶好の素
材(形式)といえる。バッハは生涯に渡って多くのこの様式に基づいて作曲している。ところが、『平均律クラヴィーア曲集』、『イギリス組曲』、『フランス
組曲』などのような曲集にしていないのが不思議である。ともかく、プレリュードの代わりにトッカータやファンタジー、パッサカリアを冒頭においた亜種をふ
くめ30曲近い作品が伝えられている。
その中に、ヴァイマール時代の1708~17年の間に作曲されたとされる『トッカータ、アダージョとフーガ』BWV564ハ長調の3楽章形式のものが存在する。基本的には即興的なプレリュード(トッカータ)とフーガの間に、以下の美しい緩徐楽章が挿入されたものである。
この曲は、これまた美しいカンタータ156番『我が片足はすでに墓穴に入りぬ』の冒頭のシンフォニア
(『チェンバロ協奏曲ヘ短調』BWV1056にも転用された)に雰囲気が似ている。もしかしたら、BWV564の中間楽章もこのシンフォニアとおなじように元々は何らかの協奏曲の中間楽章であった可能性がある。
興味深いことに、オルガンのための『プレリュードとフーガハ長調』BWV545の初稿BWV545a(同じくヴァイマール時代の1716年頃)に は、オルガンのための『トリオソナタ第5番ハ長調』BWV529の中間楽章が挿入されている。また、オルガンのための『プレリュードとフーガト長調』 BWV541も『トリオソナタ第4番ホ短調』BWV528の中間楽章を挿入する構想があったとされる。
また、バッハはクラヴィーア作品として7つのトッカータ(BWV910~916)を残している。そのうちヴァイマール時代の作品である『トッカータト長調』BWV916は、他の作品がバッハに直接影響を与えたブクステフーデの即興部分とフーガ(対位法的)部分が交互に現れる長大で複雑な構造をもつトッカータに由来するのに対して、(Allegro?) - Adagio - Allegro(Fuga)の3楽章形式、すなわち明確にイタリア様式の協奏曲の原理を応用している。
何が言いたいかというと、この一連の「プレリュード(トッカータ)- 緩徐楽章-フーガ」の3
楽章の形式はバッハがヴァイマール時代にヨーハン・エルンスト公を通じて出会ったイタリアの協奏曲様式の多様な可能性を模索していたことを伺わせる。真っ先にヴィヴァルディやマルチェッロなどの協奏曲をオルガン(BWV592~597)やチェンバロ(BWV972~987他)に編曲し研究していることがその証拠である。
こうしたヴァイマール時代の試みは、『ブランデンブルク協奏曲』を初めとする後の傑作協奏曲の原形を生み、その後、オルガンのための『6つのトリオ・ソナタ』BWV525~530、1735年のクラヴィーア練習曲集第2巻の『イタリア協奏曲 ヘ長調』BWV971、『ヴィオラ・ダ・ガンバ第3番ト短調』BWV1029などへと昇華されていくのである。クラヴィーアのための『プレリュードとフーガ イ短調』BWV894を元にバッハ自身が、オルガンのための『トリオソナタ第5番ハ長調』BWV527の中間楽章を挿入して、『ヴァイオリン、フルートと チェンバロのための三重協奏曲イ短調』BWV1044に改編するという労作がいわばこの形(プレリュード- 緩徐楽章-フーガ)の究極の姿であろう。
ちなみにディヴィッド・シューレンバーグはその著作『バッハの鍵盤音楽』佐藤望/木村佐千子共訳(小学館)において、『トッカータト長調』 BWV916の最終楽章のフーガについて「主題は、フランスのジグにある跳ねるようなリズムをもつが、走句的な16分音符をも含み、BWV996の組曲 (通称リュート組曲第1番※筆写補足)で見られるようなタイプのジグに近い主題となっている」と紹介している。
確かに、下降する16分音符の音型(特に2小節目)は、まさしくBWV996のジーグの冒頭主題そのものであるが、実はこの「走句的な16分音符」については、本稿(BWV998)にかかわるもっと重要な情報を持っている。それは後日に譲るとする。
こうして整理すると、BWV998の「プレリュード、フーガとアレグロ」といった楽曲配置の特異性があらためて浮かび上がる。中間楽章を挿入して協奏曲様式に発展さ せた例はあっても、フーガを中間楽章においた「プレリュード-フーガ-アレグロ」の例はバッハの他の器楽曲には見当たらない、つまり「プレリュード-フーガ-アレグロ」という特殊な形式はこの曲独自のものだということが判明する。
ただし、このことはBWV998は、「寄せ集め」または「未完成」の作品ではないかという疑問を生じさせる。
次は、この作品の表題から、この問題について考えてみたい。
時間を空けずこの項目をアップしたのには訳ありの藤兵衛であった。
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