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2009年4月の6件の記事

長い4月が終わった!

 転勤して以来一月がたつ。新しい環境に戸惑い、休日出勤や出張もあったりで、この一月はとてもとても長く感じられ心身とも疲労困憊の一歩手前。久しぶりの立て続けの飲み会も追い打ちをかける。(そういえば明日は職場の歓送迎会)

 楽器演奏、自転車散歩、ブログ更新も沈滞気味、気がついたら書斎も散らかり放題。
気分転換になるかとここ数日かけて大掃除ついでに部屋の模様替えに挑んだ…。

 

やたらに大きいだけの木製パソコン机を片づけ、本棚を移動しただけなのだが、それだけでも書斎が広くなった。おかげで楽器ケースを立てかけて収納できるスペースができ、本棚からも楽譜がとりだしやすくなって、以前よりも気軽に楽器を演奏することができるようになった。

 転勤や生活に大きな転機…例えば失恋(笑い)…があった時、新しい楽器を手に入れると決めている。今回は、前々から欲していたものが絶妙のタイミングで手に入る。手元に届くまで時間がかかるので、それは何かはその時に…。
    連休中は取りあえず手持ちの楽器たちと自転車散歩でリフレッシュ…できるかな?

   ただし、その物入りで旅行は当分お預けと相成った。

   せめて、のんびり温泉宿にしけこみたいと思う藤兵衛であった。

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春の夜は夢のごとし

  転勤して以来、多忙な毎日。先週土曜日は初の出張。本来、この用務は出席者との地域に密着したコミュニケーションが必要なので、自分の居住地に近い地区を担当するのが望ましいのだが、前任者の担当していた遠方の地区を任されてしまい、小一時間かけ自動車で赴くことと相成った。

  用務終了後、関係者で懇親会の席が設けられたが、運転の都合上、しかもこのところ酒を我慢していた上戸の身にとって、酒が飲めない宴会はまさに地獄の責め苦。愛想笑いにもつかれ、頃合いを見計らって、すっかり出来上がった面々を尻目にそそくさと家路についた。結局、「やってられるか~」とコンビニで安ウィスキーを買ってやけ酒と相成った。

  久しぶりのアルコール…翌日曜日の自転車散歩は少々つらかった。桜の花は夢の彼方へと消えさり、菜の花が荒川土手に咲き誇っている。

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川幅が日本一とされる地点あたりの荒川右岸の吉見町側の河川敷…黄色い湖に新緑の島々が浮かぶ風景に心身を癒す。

  明けて月曜日は職場で、とある部署の懇親会。熊谷市での飲み会は演奏会の打ち上げ以来ほぼ半年ぶり。熊谷の市街地を散策をかねて徒歩で会場にむかう。前の職場以前に務めていた古巣の横を通り会場にたどり着く。途中で懐かしい方にもお会いする。実は昼間所用で外出した折り、八木橋デパートの近くで保坂晶画伯(→2008/7/12の記事)御夫妻とも偶然出会い懐かしさにすでに酔いしれていた。

  今回は例の折りたたみ自転車で通勤したため心置きなく飲め、二次会もつきあい同僚たちとすっかり打ち解けることができた。自転車でも飲酒運転になるので、自転車は職場に置いて、帰りはこれまた半年ぶりに高崎線に乗り吹上駅で下車。酔っぱらって駅を間違えたのかと大いに戸惑う。駅前が一変していたのだ。

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鴻巣市と合併する以前から北口の整備計画が進行していたのだが、ご無沙汰していた自分にとっては浦島太郎になったような気分。行田市民御用達同然のバスの乗り場の位置も変わってしまった。もっとも私の利用する系統の終バスは疾うに出てしまったのであわてる必要もなかったのだが、あのバスの方向転換用の回転台は姿を消してしまっていた。春の夜は夢のごとし…しばらく人通りのない駅前に一人たたずみ、この数日間の出来事に思い巡らす。

  今度の金曜日は、前任地での事務引き継ぎと歓送迎会、土日は出勤や出張やらで自転車散歩はお預けになりそうだ。あ~あ忙しい。

飲むこと抜きで自転車通勤せねばと思い巡らす藤兵衛であった。

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散ればこそいとど桜はめでたけれ

  転勤後、初の土曜日出勤、どうせならと自転車通勤を初体験。高校時代に自転車で今の勤務地に通学していたこともあって血が騒いだのだ。

  周囲の目を慮ってノン-リカンベント車(笑い) でうってでる。30分程で職場に到着…ほどよい汗…。用意した服に着替え身なりを整え仕事に臨む。大分新しい環境に慣れてきた。

  勤務終了後、逃げるように帰途につく。訪ねそびれていた勤務地にある桜並木を眺めるためだ。ちょっと遠回りをして桜の花吹雪を堪能。

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熊谷市の荒川土手の桜並木

すでに盛りを過ぎ、人出もまばら…。明日の日曜日が見納めであろう…。

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  上の写真は、先週末訪れた埼玉県吉見町の荒川サイクリングロードの「さくら堤公園」…。初公開の藤兵衛像…桜見物にあわせていつもと違ってちょっとカジュアルな出で立ち(笑い)

  今年は、開花後、結構長く咲いたようだ。もっとも転勤の忙しさで、個人的にはじっくり楽しむゆとりもなかったが…。

     「散ればこそいとど桜はめでたけれ
           憂き世になにか久しかるべき」
惟喬親王

…とこの歌を思い出し、早く日常に戻らんと心落ちつかせようとする。

  それにしても、自転車通勤ていいな~。

    今回利用した小径の折りたたみ自転車はこぎ出しが俊敏で、交通量の多い街中の職場に通うには、小回りがきき重宝する。アフター5で飲み会があれば職場に置いて、後日自転車で通勤した際に折り畳んで持ち帰れるのも魅力だ…今度の職場は飲み会が好きらしい。

  ただし、転勤の疲れがたまったこともあって「行きはよいよい帰りがこわい」の不安が胸をよぎった。今回は寄り道したせいもあるが、長距離を頻繁に通勤するには厳しいかも…お尻が痛くなるのもつらい。そういった欠点がないリカンベントは、逆に町中では、その長めのサイズに相まってこぎだしの不安定さや小回りが苦手など取り扱いが難しく、趣味の世界に留めておきたい(でも、いつかやりかねないかも…)。

趣味と実益を兼ねるなら…。

あ~あ、快適なクロスバイクが欲しいとな~と思う藤兵衛であった。

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続シェンクとヴァイス~つながり

 先日、シェンクの『シャコンヌ』とバッハの『ゴルトベルク変奏曲』の低音主題(旋律)が同一であることや「シェンクとヴァイスの接点」についても触れてみた。

 今回は、シェンクとヴァイスの関係を再び先の低音主題から眺めてみたい。ヴァイスのシャコンヌやパッサカリアを聴くと何となくとと同じ香りがすると感じていた。そこで、改めてヴァイスのこれらの曲を調べてみた。

 何と、あのシェンクの『シャコンヌ』の低音主題がヴァイスの『シャコンヌ』にも用いられていたのである!

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S.L..Weiss  Sonata12 A-dur(S-C7)ロンドン手稿譜より第6曲『シャコンヌ』冒頭 

この曲はAllemande-Courante-Bourree-Sarabande-Menuet-Ciaconna-Gigue の7曲からなるイ長調のソナタ(組曲)であり、ドレスデン手稿譜にも同一曲が存在する。その第6曲の『シャコンヌ』の冒頭を五線譜で次に示す。

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その主題の低音旋律をオクターブ挙げて移調してシェンクの『シャコンヌ』のそれと比較してみよう。

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   ヴァイスの『シャコンヌ』主題の低音旋律

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   シェンクの『シャコンヌ』の低音旋律

 ヴァイスの方は経過音により装飾されているが、マーカーを付した音に着目すればシェンクのものと同一な音型であることがわかる。

さらに、このヴァイスの『シャコンヌ』の第6変奏になると輪郭が明確になる。

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     矢印以下がヴァイスの『シャコンヌ』の第6変奏

 同じく低音部を移調して抜き出して示す。

Weiss12_cia_ver6bas

 まさしくシェンクの『シャコンヌ』の低音旋律(主題)と同一であることが明確になる。この一致は単なる偶然の産物なのであろう?ヴァイスがシェンクから影響を受けた根拠の一つといったら言い過ぎであろうか。バッハにも見られるこの低音旋律の普遍性(由来)に起因するのだろうか?いや、シェンクとバッハにも何らかの接点があったのだろうか?

 もう少しその答えを調べてみたいが、転勤したら隔週で土曜日出勤ということになってしまった。あ~あ時間とれない。自転車に乗れない。どうしよう。

慣れない新しい職場でミーアキャット状態の藤兵衛である。

この稿、編集中

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シェンクの伝記、そしてヴァイスとの関係

  先日触れた ヨハン・シェンク (Johann Schenck1660~1716以降)はバロック音楽好きな人でもヴィオラ・ダ・ガンバ(ヴィオール)に興味がない人には全くなじみのない存在である。そんな彼に少しでも光を当てるべく数少ないCDや楽譜の解説やネットを調べて自分なりにまとめてみた。

                                                                            彼はドイツ系の両親の間にオランダのアムステルダムで生まれ、1660年6月3日に改革派の教会で洗礼を受けている。彼のアムステルダム時代の音楽の修行や活躍については定かではないが、17~18歳の頃にはオペラ(ジングシュピーゲル)やヴィオールの作品を出版するという才能の持ち主である。この時期の作品の献辞からアムステルダムの行政長官及び市民団体に関わっていたことが伺える。イギリス人からヴィオールの高い演奏技法を身につけたと思われる。

   その腕と、アムステルダムの経歴を買われ1696年に30代半ばでドイツ西部ライン川沿いのプファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘルム(Johann Wilhelm)のデュッセルドルフ宮廷のヴィオール奏者(おそらく兼侍従)として雇用された。そして選帝侯が死去する1716年までこの地で勤務し以下の作品を残している。(尚、オランダ語の辞書もなく、何となく判るop8及び9(後の本文で訳出)を除き表題はそのまま記述する…特にOeffeningenとはなんぞや?杉田玄白の『蘭学事始』で述懐した『ターヘル・アナトミア(解体新書)』の翻訳の苦労話は気が遠くなる…。)

アムステルダム時代

  • op.1 オランダ語オペラ"Eenige Gezangen uit de Opera van Bacchus, Ceres en Venus" 1687
  • op.2 "Tyd en Konst-Oeffeningen"1688  独奏ヴィオールと通奏低音のための15のソナタ
  • op.3 トリオソナタ集"Il Giardino Armonico"1691
  • op.4  宗教音楽"Psalm settings C.van Eekes Koninklyke Harpliederen"1694

デュッセルドルフ時代 

  • op.5   ZangWyze "Gargons Uitbreiding over't Hooglied Salomons"1697
  • op.6   "Scherzi Musicali" ヴィオールを含む室内楽作品
  • op.7   "Suonate a Violino o Cimbalo" 
  • op.8  "Le Nymphe di Rheno" 2つのヴィオールのための12のソナタ
  • op.9  "L'Echo di Danube" 1706  独奏ヴィオールと通奏低音の為の6つのソナタ 
  • op.10  "Les Fantaisies Bisarres De La Goutte"(通奏低音パートのみ現存) 
  • その他 ヴィオール独奏ソナタ(ヴェネチア手稿譜)などが存在

  彼の雇い主プファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘルム(1658~1716)

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は、青年期ヴィーン、パリ、ローマ、ロンドンなどヨーロッパ各地を遊学し教養を高めデュッセルドルフに高水準の芸術をもたらす。音楽に関しては各地から名手が集められ宮廷音楽と宮廷オペラの華が咲く。コレルリの作品6のコンチェルトグロッソの選帝侯への献呈やヘンデルのデュッセルドルフ訪問はその最たる例である。市民は選帝侯を「ヤン・ヴェレム」と親しみをこめて称えたという。

 彼の在任中の最盛期には60人規模の楽師を宮廷で抱えていたといわれる。中心的なメンバーに格別バロック音楽史に足跡を残す重要人物は見当たらないが、後にドレスデン宮廷で活躍するヴァイオリンの名手(かのタルティーニも一目置いた)フランチェスコ・マリア・ヴェラチーニが1715年身を寄せていたように、ヨーロッパ各地の名手たちが客員として招かれていた。リュートの名手ヴァイスもその一人であろう。

 選帝侯の弟カール・フィリップ伯(Karl Philipp1661~1742)
兄の死後カール3世・フィリップとして選帝侯を継承

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に当時仕えていたヴァイスは

Weiss

彼に命じられて(あるいは随行して)デュッセルドルフ宮廷を訪問したのは間違いない。ドレスデン手稿譜のソナタハ短調第31番(S-C7)の冒頭にデュッセルドルフで1706年に作曲したとの記述(""Von anno 6. in Düsseldorf. ergo Nostra giuventu comparisce.")があるからである。ただし、ヴァイスが選帝侯の宮廷に正式に仕えた証拠はない。

 一方、彼の父及び弟が1709年この地でリュート奏者として雇われたとの記録がある。もし、それが事実なら、カール・フィリップが当時居住していたポーランドのブレスラウ(ヴァイスの出身地に近い)を活動拠点とするヴァイスが自分の代わりに彼らをデュッセルドルフ宮廷に周旋したとも考えられなくはない。 

  また、デュッセルドルフ宮廷では「侍従でも才能があれば演奏に加わった」という話が伝わっているが、その代表がこのシェンクであろう。アムステルダムの行政当局とのコネを持ち、デュッセルドルフに仕えた後もアムステルダムの出版社から作品を発表し当地との関係を保っている外交的手腕を買われ選帝侯の侍従の立場にシェンクはあった。事実、1710年、彼は王室のチェンバレン(執事卿)に昇進し、翌年この立場でフランクフルトにて皇帝カール6世の戴冠式に参列するなど、侍従としシェンクはウィーンやヴェネツィアなど各地を選帝侯に随行している。ちなみに、彼のヴィオールのための2つの曲集…「ライン川の妖精」op.8と「ドナウ川のこだま」op.9はそれぞれプファルツ選帝侯とハプスブルグ皇帝に因む双子のような外交的・政略的な意味合いが強い。

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正装し台座に楽器をたてポーズをとるシェンク
ペータ・シェンクPieter Schenc画(弟とされていたが少なくとも実弟ではないという)
楽器はドイツで普及したサウンドホールが備わった6弦バスヴィオール

 これらのことを考慮するとデュッセルドルフ宮廷内外で選帝侯兄弟を通じてヴァイスとシェンクとの交流した可能性は充分ある。穿った見方をするならば弟伯としては兄選帝侯に新進気鋭のヴァイスの名人業をひけらかして鼻を明したかったのだろう。返す刀で兄は、ヴァイスより年長で海千山千の侍従のシェンクをして音楽を通じてやんわりと往なさせた様子が目にうかぶ。 

  1716年、選帝侯が亡くなるとデュッセルドルフの宮廷楽団は解散する。団員の多くは選帝侯を継いだカール3世フィリップの新宮廷マンハイムに移り、その後一世を風靡するマイマインム楽派のオーケストラの基礎をつくる。その間、東ドイツではヴァイスやヴェラチーニが雇われたザクセン選帝侯のドレスデン宮廷楽団が隆盛を誇る。

  残念ながら、1716年以降のシェンクの消息は判っていない。間もなくデュッセルドルフにて亡くなったかアムステルダムに帰り隠遁生活を送ったのか定かではない。

  オランダ製の自転車に乗っているくせにオランダ語がちんぷんかんぷんな藤兵衛であった。
(デュッセルドルフも訪問したことがあるのに当時はシェンクのことはちっとも気にかけていなかった迂闊者でもある。)

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シェンクのシャコンヌ=バッハのゴルトベルク変奏曲!?

前日の記事のシェンクのソナタの続き…。

 このCDの最後のSonata XV, F-Dur …Adagio-Allemande-Ciaconeのたった3曲というつつましさ。といっても終曲の『シャコンヌ』はバッハのシャコンヌにはとても及ばないがそれなりに長大。この曲集自体の最後の作品でもある。定型通りに同一の低音主題を26回繰り返しながら多彩な変奏を織りなして行く。春の訪れのような「ときめき.や萌え(本来の意味!)」を感じさせるヴィオラ・ダ・ガンバの名曲の一つである。

 

 ちなみにシェンクの同曲集のSonata X a-moll の『シャコンヌ』も肩を並べる佳曲である。両者ともあの有名なパッヘルベルのカノンに相通じる典雅さがある。これはリュートの大家ヴァイスのシャコンヌやパッサカリアにも同じ香りがすると以前から感じていたことだが、実はシェンクとヴァイスは短期間だが同僚だったことがある。おそらくシェンクからヴァイスが影響を受けたことは彼らの曲が発する匂いからうかがえる。(シェンクは1660年生まれで1716以降に没している。)…このことについてはまた後日…う~ん。「また後日」があっちこっち大分たまっているな~ぁ。

                   閑話休題…。

  実は、このSonata XV, F-Durの『シャコンヌ』は自分でも楽譜を手に入れてヴィオラ・ダ・ガンバで弾いたり、GhielmiとPiancaのガンバとアーチリュートのデュオの名演奏のCDでかなり慣れ親しんではいたのだ。

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Sonata XV シャコンヌヴィオラ・ダ・ガンバのソロパート冒頭部

 ところが、先のCDにおいて、この『シャコンヌ』の冒頭で「Hackbrett(ダルシマー)」が単独でこの低音主題をしっかりと奏でてくれたお蔭で、ある途轍もない?事実に気づき腰が抜けるほど驚いた次第である。

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同『シャコンヌ』のコンティヌオのバスパート、※点線内が低音主題

 そうなのだ。調こそ違うがバッハの『14のカノン』BWV1087の冒頭の単純カノンの主題そのものである。(下記、バッハ自筆譜より)

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 作品番号が示すようにこのカノン集は1974年に新発見されたもので、バッハのあの大作『ゴルトベルク変奏曲』BWV998の初版の自家本発見というだけでもバッハ研究に衝撃を与えたのだが、付録として『ゴルトベルク変奏曲』の冒頭の主題アリア

Bwv988

『ゴールトベルク変奏曲』の冒頭の主題アリア

の前半部の低音主題の最初の8つの音を主題として複雑に展開構成したカノン14曲が添えられていたのである。晩年のバッハの創作の深い精神性をさらに掘り下げることとなった。かのカノン集の冒頭には『先のアリアの最初の8つの基礎低音に基づく種々のカノン』との表題がついている。

 つまり、このシェンクの『シャコンヌ』の低音主題はバッハの『ゴルトベルク変奏曲』の低音主題(の一部)と全く同一なのである。

Baseline

 あわてて手元のバッハ関連の本を調べてみた。

『バッハ事典』(東京書籍)…

 「曲(冒頭アリア)は典雅なフランス風サラバンドであるが、作曲者がバッハ自身であるという確証は、存在しない。注意を要するのは、この典雅な旋律それ自体が主題であるのではなく、これを支えるバスの動きが各変奏の基礎になっている、ということである。」

  とだけであってこの低音主題の由来について言及されていない。

『バッハの鍵盤音楽』D.シューレンバーグ著~佐藤望/木村佐千子共訳(小学館)…

 『ゴルトベルク変奏』は、こうした一定のバス旋律に基づいている。この旋律のはじめの4つの音は、ヨーハン・クリストフ・バッハ---アイゼナッハで活躍したこの名の作曲家(1642~1703)のことであると考えられている---の曲とされている『12の変奏曲』の原曲となったサラバンドで基礎ともなっている。

…やや類似したバス旋律はラインケンの『組曲ハ長調』(MM,No.15)のはじめの3楽章にも見られる。

 とやや詳しく解説している。

『J.S.バッハ14のカノン ゴールトベルグ変奏曲のアリアによるBWV1087』ベーレンライター原典版21(全音楽譜出版社)序文…

 最初にくるのは4つの単純なカノンで主題だけを素材として、標準形、反行形逆行形で取り扱う(ふしぎなことに、17世紀のはじめにすでにつかわれていたこの主題のカノン的可能性を認めたり、利用したものはバッハ以前には誰もいない。)

 と、(ルネサンス期に見られたような)広く親しまれた低音旋律の一つであること示唆しているが、この旋律を引用した音楽家を具体的にあげていない。

 いずれにせよ、シェンクの『シャコンヌ』とバッハの『ゴルトベルク変奏曲』の関連を指摘したものは見つからなかった。これ見よがしに「Hackbrett(ダルシマー)」でその低音主題を奏でている演奏者たちはこの事実を知るか知らぬかはともかく、先のCDの解説には、この事には一言も触れていない。知る人ゾ知る世界かもしれないが、シェンクの知名度があがるネタなのに、あ~もったいない。

バッハとシェンク、ヴァイスとの意外な繋がりを垣間見るも…

 何故か歯がゆさだけが残った藤兵衛であった。

 

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