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バッハとリュートあれこれ(10)~バッハとタブラチュア

 バッハは実際リュートを演奏したのか?…バッハのリュート曲を考える場合、おのずとわいてくる疑問である。

 リュートは、アンサンブルやFilippo Dalla Casaのフランス式アーチリュートのための曲集(18世紀後半)などに五線譜の使用例はあるが、独奏曲においてはタブラチュア譜で記され演奏されるのが通例である。

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F.D.Casa "Suonate di celebri auttori per l'arcileuto francese"

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同曲集より、Casa の肖像画およびフレンチ・アーチリュート

 彼の楽器や作曲スタイルやロココ様式の作風と、かなり特殊であり当のバッハが知るよしもなかろう。

 つまり、バッハが自ら演奏するためにドイツで普及した一般的なバロックリュートために作曲したのなら当然自筆のタブラチュア譜が残って然るべきである。また、少なくともリュートを嗜むことができたのなら、当時のリュート奏者の作品を演奏(研究)すべく彼らの作品のタブラチュア譜(出版譜または手稿譜)を所有しているはずである。残念ながらそれらのタブラチュア及びそれを示す資料や記録も伝わっていない。

参考:全作品解説辞典『バッハ辞典』
磯山雅/小林義武/鳴海史生
編集  東京書籍 
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P.439~「J.S.Bachの所蔵楽譜目録」                                                        Ⅰ.バッハの所蔵楽譜にふくまれていたことが資料的に立証できる作品 

 そこにはバッハが生涯に写譜または購入した大勢の作曲家の100曲以上の作品のリストが掲載されている。その中にはヴァイスのリュート組曲を原曲としたヴァイオリンとチェンバロのための組曲BWV1025が含まれる。

 たまたまそれらが未発見であると反論する向きもあろう。バッハ自身のものではないが、幸いにも
ファルケンハーゲンの筆と推定されるBWV995組曲ト短調Bwv995_t

ヴァイラウホによるBWV997パルティータハ短調
Bwv997_t

およびBWV1000フーガト短調
Bwv1000_t
のタブラチュア譜が現存している。

 これらは、五線譜による別稿(BWV995:自筆譜・チェロ版、WV997:鍵盤二段譜による複数の筆写譜、BWV1000:無伴奏ヴァイオリン版およびオルガン版)と比較研究されてきた。その結果、『校訂報告』をはじめ大概のリュート奏者や研究者は、音の変更が多いことから、別の資料(原典?)から彼ら筆記者によってタブラチュアに書き起された2次的資料であると結論付けてその価値を低く見ている。また、バッハ自身の手ではないという理由で端から無視する人々も少なくない。

 しかし、バッハ自身がタブラチュア譜を書き起こしたかということを考える場合、これらの他者の手になるタブラチュアの存在は重要である。もし、バッハ自身のオリジナルのタブラチュア譜が存在したのなら、演奏者はそれをそのまま利用するか忠実に写譜して利用すればよいのであって、わざわざ改編する必要性はないのである。要するに、これらのタブラチュア譜はオリジナルが存在しなかったことを無言で証明しているのである。ただ、バッハ自身がタブラチュア譜を書き起こす際にオリジナルに書き損じが生じたという可能性も無くはない。また、それがあまりにも拙かったため、筆記者の手直しが入った際に混乱が生じたとも考えられなくもないが…。

 結論を言えば、バッハ自らタブラチュア譜を書き起こした可能性はほとんどないと割り切るべきである

参考:『バッハ辞典』門倉一朗監修 音楽之友社

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 P.127「記譜法」の項において、「リュート・タブラチュアー(指板上の位置による文字盤)は全く使われず、リュート曲はすべて鍵盤楽器用の2段譜表で書かれている。(江端伸昭)」と一刀両断である。

 バッハが「リュートを所有していた」ことや、弟子クレープスなどの能力証明書に「リュート演奏に秀でているとの太鼓判を押した」との理由でバッハはリュートを弾けたと述べている論者も見受けられるが、あまりにも短絡的である。楽器を所有しているから演奏ができるというわけではない。私の例をあげるのもおこがましいが、知人からもらったり、物珍しさの余り手にしたものの持て余しそのままお蔵入りとなった楽器は恥ずかしながら数知れない。(一例を紹介すると、オーボエ…スケールが何とかこなせる頃にはリード削りに辟易し楽器庫の肥やしになりかける。幸か不幸か、近所の女子高生が借り受けブラスバンドで活躍中…新たな?古楽器(または新車)の購入資金にと売り飛ばしたいのだが、気に入られてなかなか返してくれないsweat01…それでも周囲には「自分はオーボエが吹けると吹聴しているオーボエ吹きならぬ大ぼら吹きの藤兵衛…coldsweats01) それに、ある楽器に堪能であると証明するのに、その楽器のプロである必要はなくカントールや宮廷楽長といった肩書があればそれで十分なのである。ましてやオルガニスト、宮廷作曲家、教会カントール及び教師、そして善良なる父親(再婚、子育て!)などの多忙で勤勉な人生を歩んだバッハが、「人生の半分を調弦に費やす」ようなリュート(しかも13コースバロックリュート)をマスターしたとは現実離れした話である。完璧主義のバッハの粘着気質からして、多くの楽器を究めたのだと言わればそれまでだが(笑い)。おそれ多くもかしこくもバッハにおかされましてはすべての楽器に堪能であらせられます…という滑稽なほどの妄信が眼を曇らせている。

 バッハは、あくまでも普通の宮廷または教会音楽作曲家なのであり、リュートに関して専門的な知識や技量は持っていないが、何らかのインスピレーションまたは機会や注文を受け五線譜で「リュートのために」と作曲または編曲し、タブラチュア譜の作成つまり演奏はリュートを弾く者の手に委ねたのである。

 BWV995は「(出版業者)シュースター氏のために」という献辞から出版を意図したもの(出版された形跡はない)であることを窺い知ることができるが、ヴァイラウホによるタブラチュアは、彼自身が弾くためなのか、出版を含め第三者に依頼されたものなのか、その伝承の由来は判っていない。少なくともバッハが自分でリュートを弾くためにヴァイラウホにタブラチュアに起させた可能性はまずないだろう。なぜなら、BWV997における音の変更はまだしも、冒頭の「Prelude」を「Fantasia」とした題名の変更は僣越な行為と言えるからだ。裏返せばそのことは、ヴァイラウホの私家版との可能性を裏付けるか、フーガやジーグのドゥーブルを省略した際に「バッハの示唆があってのこと」との推測も成り立たせる。そして、いずれにせよ、ヴァイラウホがリュートでバッハにこれらの曲を自身で演奏披露した可能性は高いだろう。

 そのヴァイラウホのタブラチュア譜を「バッハ自身の手ではない」という理由で端から無視する姿勢に対して、私は強く疑問を感じている。完結したリュート作品であるヴァイスのタブラチュアを自分流に改編して演奏することは冒瀆行為に他ならない。一方、タブラチュア譜が残っていないバッハの作品はリュート曲としては不完全なものであり、現代のリュート奏者は、自分自身で実用譜としてのタブラチュアを起すという一種の編曲という作業を行わなければならないのである。それは、バッハをリュートで演奏する者にとっては避けて通れない宿命なのである。たとえ五線譜のまま弾いても、リュートは鍵盤楽器と違って使用する弦やポジション、スラーの使用などによって表現するニュアンスが劇的に変化する楽器なので、ヴァイスなどのタブラチュア譜のように作曲者の意図する本質には決して迫れないのである。それ故、バッハの意図を汲んだはずの当時のリュート奏者たちが残した資料にもっと謙虚に接し敬意をはらわなければバッハには近づけないと思う。彼らの残したタブラチュアを徹底的に研究批評して「(のだめheart01千明君のように)俺様のタブラチュアの方が上手いだろう」との気概を示すことこそ、リュートを愛しバッハを敬愛する者の使命であろう。

 「バッハはリュート音楽の最高峰」とのうたい文句が一人歩きして、先達のリュート奏者達の功績がないがしろにされるのが忍びない藤兵衛である。         

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