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2008年9月の13件の記事

のぼうの城~丸墓山登場!

 そういえば、今週号の『BIG COMIC スピリッツ』(小学館)の『のぼうの城』についに丸墓山登場!石田三成と「のぼう様」こと成田長親がいよいよ対峙する…ワクワク;:゙;`(゚∀゚)`;:゙。マンガの風景の山並みもそれら しくなってきた?。藁(萱)葺き屋根の農家が登場してきたのも良い。時代劇常套上方風上品言葉でなく当地方言の採用は諦めるとして、せめて百姓と武士言葉は区別してもらいたい。沼沢や湿地が多いこの地に繁茂した芦(葦)原と河川に沿って生い茂る木々の風景描写がかけている。激戦のあった忍城の東南~南に位置する佐間口、持田(大宮)口あたりは、当時まさにそのありさま(風情)そのものと聞く。一面田んぼとなっている連載中の風景描写は新田開発が進んだ江戸時代以降でないとあり得ない。関東風を描けていない理由は、全体的に楠木などの鬱蒼すぎる照葉樹林が目だつことだ。私の気(木)のせ い?happy01?かも…でも屋敷林や雑木林の欅・櫟・小楢・杉・竹、寺社旧家の門前や道端の松や銀杏、川や沼のほとりの柳の木など子供の頃見慣れた風景が恋しい藤兵衛である。

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埼玉古墳群やぶれる!

 先週末、世界文化遺産を推薦する「暫定リスト」追加に関して新たな報道があった。数年前から自治体から公募制度が始まって我が行田市も「埼玉(さきたま)古墳群」を文化庁に申請していた。「古代アジア古墳文化の終着点」とのテーマを掲げてきたが、この度「現状テーマのままでは記載できない」カテゴリーⅡに位置づけられリスト登載はほぼ絶望的となった。今回、世界最大級の大仙陵古墳(伝仁徳天皇陵)や誉田御廟山古墳などがひしめく百舌鳥・古市古墳群(大阪府)がリストに追加登録された。埼玉古墳群など日本各地の前方後円墳とは学術的にヤマト政権の大王に従属的した地方の王権のシンボルなのであり、それら大王の墓である百舌鳥・古市古墳群があってこそ意義がある。さらにいうならば埼玉古墳群の稲荷山古墳から出土した「辛亥年銘鉄剣」はそれを裏付ける証拠その物である。そして、西をみれば西都原古墳群(宮崎県)など大規模な古墳群もいくつかある。今回の行田市を中心として展開してきた「めざせ世界文化遺産!」運動に対して首を傾げられいた方は、私を含め地元でも少なくないと聞く。世界と競わなくともわが古墳群や稲荷山古墳出土「辛亥年銘鉄剣」がもつ歴史的な価値は誰もが認めるところである。地元地方版の新聞報道には「2本目の鉄剣が出るなど新たな発見で価値が見いだせる可能性があり世界遺産への取り組はこれからだ」との運動に携わってこられた方のコメントが紹介されていた。「柳の下に2匹目のドジョウを狙う」という諺そのもので学術的には大いに???だが郷土愛に燃えるいじらしさが伝わる。大丈夫!今話題の『のぼうの城』と日本最大の円墳丸墓山でリベンジだ~!

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さきたま古墳群駐車場入り口に立つ看板(新聞発表の翌日の自転車散歩のおり撮影)…夏祭が過ぎ去り「秋風ぞ吹く…」の風情を感じる藤兵衛であった。

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定演終わる。

今年の定演が終わった。翌日日曜日は前夜の打ち上げの疲れとアルコールも残り、日課の朝駆けも2時間遅れの出発。目標の十里にあと半里及ばず…。帰宅後くつろぐひまも無く近所のお葬式(通夜)の手伝い。通夜ぶるまいにて昨夜に続いてまたもやお酒。連夜のアルコールとのお付き合いほぼ半年ぶり。…というわけで演奏会の余韻に浸る間もないまま今日から日々の仕事に追われる日常に舞い戻る。今、録音を聴いてみると反省材料のてんこ盛り。ガンバのソロなんて穴があったら入ってしまいたい場面続出sweat01。リュートソロは、何とか無難にこなせた。節酒と自転車散歩のお蔭もあってすっかり平らになったお腹でリュートの座りもよくなったせいもある?(笑い…そういえば先日職場での健康診断でのメタボ検診は余裕でパスhappy01…)一番楽しかったのがクヴァンツのトリオソナタでのガンバでの通奏低音。課題も山積だが、来年も何かやりたいと胸ふくらませる藤兵衛である。

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定期演奏会ソロ曲決まる

   やっと定期演奏会のソロの曲目の決心がつく。リュートのソロは結局、最近までちょくちょく弾いていたヴァイスの「ロジー伯のためのトンボー」。仕事が立て込む中、練習時間がとれず去年から温めていた曲は中途半端となり(ガンバとの関連性も見いだせないことも大きな理由)、ここに来て断念…。勤め人の悲しい宿命。自分の計画性のなさも呪う。
  もともとギターが好きな人たちが集まって始めた演奏会であったが、気がついてみたら尺八、お琴、フルート、ピアノ、オーボエ、チェロ、マンドリンなど色々な楽器を弾く人が集まって入場無料で自分の好きな音楽を弾いて楽しむという趣旨で30年近く続いてきた演奏団体なのである。その中でリュートやヴィオラ・ダ・ガンバを弾かせてもらっているわけである。お客さんをたくさん呼ぶためにお客さん好みにあわせた曲をやるべきだと主張していたメンバーもいたが、その類の人はすぐ去って行く。自分たちが楽しむ演奏会なので、今いるメンバーの多くはよほど自分が弾くような音楽が好きな物好きな人(あるいは我慢強い人)でなければめったに声をかけない。それでも常連さんが結構ついている。そのありがたいお客さんのためにも仕事が忙しいから満足な演奏ができなかったという言い訳はしたくないのだが…。切羽詰まって曲目解説作成にも追われている藤兵衛である。
いよいよ本番土曜日が迫る。

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定演近しされど曲決まらず。

 この前の日曜日の朝駆けbicycleに桜の名所で知られる某所で彼岸花を見つけて写真に収める。
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帰り際の荒川の土手にはコスモスの花もちらほら…
いつの間にか秋が忍び寄る。
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 せっかく自治体が手間隙かけて植えられたコスモスも伸び放題の雑草に遮られてこの始末。きっとそのうち刈るのだろうと信じて立ち去る。
 というわけで、迷いに迷って手に入れたコンパクト・デジカメの初陣にしてはまたもや曇天も手伝いちょっとお粗末な仕儀と相成る。
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結局、職場の同僚に売れ筋と薦められたPanasonic LUMIX FX37に決めてしまう。
左の旧愛器と並べるとなんとコンパクトなこと。しかも反応も早いし様々な機能満載。電池の持ちもよさそう。これなら何処にでも気軽に携帯できるぞ…と思いつつ週末に迫る定期演奏会の練習にかまけているうちは、かまってやれそうにもない。
 今回はヴィオラ・ダ・ガンバでの初デビュー。ソロなら自滅で済むが、通奏低音だと責任重大。練習あるのみ…。明日は最後のお手合わせとなる。
  曲目は、クヴァンツのフールト・ドルチェとフルート・トラヴェルソとためのトリオソナタ ハ長調(全曲) 、デュパールの組曲ヘ長調(抜粋)…。それとガンバのソロでアーベルの小品。あとバロックリュートで何かやる予定だが今だ曲目未定sweat01
ブログ書きながら頭をかく藤兵衛であった。

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『水の城』~もう一つの「のぼうの城」

  小説『のぼうの城』の魅力は「のぼう様」こと成田長親という無名のつかみどころのないキャラクターに対して自信過剰、理想主義者、理屈屋などといったレッテルが貼られた著名人石田三成が振り回されるという設定にある。それだけではなく彼らを取り巻く様々な人々の存在が個性豊かでその対比を際立たせている。余裕をかましていた者が次第に追い詰められ、取るに足らぬ者達が一団となって牙をむく。まさに「窮鼠猫を噛む」の逆転劇の痛快さがここにある。また「浮き城」と呼ばれた忍城もセリフ無き名脇役としてドラマをもりあげる。全国すなわち他地域の方々の視線が熱くむけられる中、忍城の地元行田の人々はどう対峙するのか興味津々。光成率いる関西連合軍に攻略された我等地元民としては行田方言「だんべ」&地元名物「ゼリーフライ」攻めにて全国を席巻するのが夢(o(*^▽^*)o笑い)。ちなみに地元では「だんべ踊り(浮き城祭)」なるものが親しまれている。
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 風野知雄著『水の城 いまだ落城せず』 祥伝社文庫

 蛇足と思いつつ八年ほど前に出版された生き別れの兄(姉)のような小説があることを紹介する。表紙カバー絵(残念ながら現在は新装されてしまったらしいweep)は気になるもう一人の登場人物甲斐姫の凛々しいお姿。戦い終わって忍城内で長親と対面した三成が、沼に生い茂る蓮を薄ら笑いを浮かべひたすら眺める長親に狂気に近い恐怖を感じる…。お~っとあれこれ触れるのは野暮の骨頂。「のぼう様」のイメージを壊しては申し訳が立たぬ。読むか読まぬかはあなた次第。どうするどうする…。

とどのつまりはその気にさせている藤兵衛であった。

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楽器庫壊れる!

  何日か前の夜、ガタガタ~ンと書斎で物音がした。泥棒か?とおもい押っ取り刀で寝室から駆け下り部屋を覗く。????見た目にはなにごともない。まあいいやと再び床に就く。そして昨日、楽器庫の扉(下の写真)を開けると、事の次第が判明した。
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ひぃ~~い~ぃwobbly! 何と中の棚がはずれかけ、置いてあった楽器が崩れ落ちたのであった。(lll゚Д゚)

だが幸いにも、普段扉の前に立てかけてある巨大アーチリュートのケースがうまく扉を押さえていてくれたことと(上の再現写真)、開けた時に気配を察知し扉を全開にしなかったことで楽器が床にころげ落ちるという最悪の事態は免れた。何はともあれ慌てふためき一つ一つ楽器を救出する。
  この時第二の惨劇が~~~impactsweat01。今はとても恐ろしくて語ることができない。shock

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その後の状況…なんという体たらく…。

もともと掃除用具、古雑誌などの収納用のための狭いスペース。そこに楽器を詰め込みすぎたのが原因なのは言うまでもない。といっても増えすぎた楽器の収納にもてあましているこの身故、早速堅牢な支え金具をもって棚の補強にとりついた。
小一時間もせず完成…もっと早く対処していればよかった…「あとの後悔先に立たず」とはよく言ったもんだ。19世紀ギターなどを以前と同じように詰め込む…ビクともせず満足満足。
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  それにしても、リュートケースの何とかさばること。
隙間にパロックギターとイングリッシュギターを埋め込む。突き出たネックの上下のポッカリ空いたスペースに以前にはリコーダーケースやらマンドリンケースやらバッグやら携帯用譜面台などなどの小物を積んだり押し込んだりしていた。
  …てなわけで、せっかく収納しなおしたものの楽器庫に入った楽器は取り出すのが面倒くさくなり、別室に置いてある楽器と同様に使用頻度が少ないことに改めて気づかされた(モダンギターは本当にご無沙汰…)。よく弾くバロックリュート2台とヴィオラ・ダ・ガンバのケースは普段から書斎に置いてある…楽器差別だなあ~coldsweats01

月末の定期演奏会が終わったら秋の夜長に皆をかまってあげようと誓う藤兵衛であった。

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のぼうの城~コミック連載開始

 朝駆けbicycle八里ほどこなす。帰りがけによったコンビニで一冊の週刊誌が目に留まる。
何と『のぼうの城』がマンガ化されているではないか!!(゚ロ゚屮)屮
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小説と同じ小学館発行の『BIG COMIC スピリッツ』

あの食通名作長編マンガ『美味しんぼ』を手がけた花咲アキラ氏により新連載。
早速、自宅にて繙く。
宣伝をかねて一場面を引用させていただく。
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 忍城の佐間口の描写。別の場面の櫓の門の描写もふくめ、みごとに中世の城郭のイメージを再現している。鬱蒼とした木立もリアルである。忍城の俯瞰図も中世の姿で再現してあり、考証にも気を配っていて地元民としても興味深い。

 いくつか難点もみられる。どこをどうというのはなかなか難しいが坂東(関東)風というものを描き切れていない。謀国営放送の 「大河ドラマ」などによって刷り込まれた関西風に仕立てられた時代劇の常套的な描写(セット、衣装、所作、セリフ)がこのマンガでもとうとうと流れる中、 先に述べた中世の景観の描写がいたるところで不協和音を奏でている。

 確実におかしいのは山並みの描写。忍城のある行田市は関東の平野のど真ん中。マンガで描かれているような隣接(接近)観はなく、広大かつひたすら平坦な坂東平野の只中で遥彼方の山並みを時々(忘れたころに)眺めて暮らす地元の人間にはとても違和感を覚える。たかが古墳の丸墓山が絶好の展望の場所として登場することを覚えていてほしい。

 また、小説でもいえることだが地元の方言を全く考慮していない。そもそも「のぼう様」のいわれの「木偶の棒」という言葉自体が当時地元で流布していたこと自体が疑わしい。侍言葉が関西標準語なのも変だが、「ず~ず~弁」とまではいかないが、せめて百姓たちに行田方言の「~だんべ。」の語尾をつけてもらうだけでリアリティが増すかな…(といっても地元の人しか喜ばないか…coldsweats01。いや~百姓娘が「わかっております。」には大笑…)。原作以上にマンガだと何気ないセリフが余計に目立つ。

 これらの不協和音は悪い意味でなく音楽と同じように一種の期待感を意味する。何せ今まで顧みられる事のなかった辺境の一地方のお話なのだから…。

    歴史ものは劇画タッチのものが多いがほのぼのとしたタッチが主人公のキャラクターだけではなく坂東平野の田舎の風情によく似合う。主人公はじめ登場人物も個性豊かに描き分けられ、今後の展開が楽しみな藤兵衛である。

忠告:原作にこだわる人、マンガに興味のない人は決して繙くべからず。(いうまでもないか…。bleah)

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コンパクト・デジカメを欲しがる

 今日Nyankomeさんのブログの記事  を見ていたら無性にコンパクト・デジタルカメラが欲しくなってしまった。
   一眼レフのデジガメは持っているが自転車散歩にはかさばる。かといって携帯電話のカメラでは物足りない。 正直言えば長年使い込んだコンパクト・デジカメが手元にある。
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     FUJIFILM FinePix4700z

 発売当時は、斬新なデザインでスペックもなかなか、旅のよき連れでもあった。だが、時代の流れから取り残されたメモリー(スマートメディア)と、すぐへたる単3電池2本を要するズングリムックリのズッシリボディ…。こまったことにしばらく前から時々突然ぐずりだし操作不能になるcoldsweats02。だましだまし使ってはいたが、いよいよ潮時かな。紹介されていたRICOH R8をネットで探してみたが、旧型のため価格は安い。ただし、お気に入りのブラックがいずれも在庫切れ。う~ん、どうしよう。しかし、今どきのコンパクト・デジカメの性能はすごい!

 楽器を手に入れる時もそうだが、あれこれ迷うこと自体を楽しんでいる藤兵衛であった。

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ブリームの功罪2続き~ディアベリのソナタ

  ブリームがしでかした「とんでもないこと」とは何か?
昨日紹介した『ジュリアン・ブリームギター選集』第3巻に掲載されているディアベリの「ソナタ イ長調」のことである。

ブリームによるこのソナタの曲目解説より抜粋

…彼(ディアベリ)はたいへんにすぐれたギターの教師でもあり、3つの大きなソナタを含めて100曲以上のギター曲を作っている。ギターの作品は非常に上手に作られているものの、音楽的な水準がソナタの全楽章を通じて高く保たれているとは言い難いので、2曲のソナタの中から優れた楽章を2つずつ-ヘ長調のソナタの最初の2楽章(イ長調に直してある)とイ長調のソナタの終わりの2楽章-をとって組み合わせた。こうした結果は、ディアベリのもっとも良いものだけが表われるようになり、古典派時代の数少ないギター作品のレパートリーにつけ加える良い作品となったと思う。

 つまり、このイ長調のソナタは寄せ集めの編曲ものなのである。

 もとのディアベリの作品を紹介しておくと

3つのソナタ Op.29

 第1番ハ長調

  1. Allegro
  2. Andante Cantabile
  3. Menuett
  4. Rondo Allegretto

 第2番イ長調

  1. Allegro risoluto
  2. Adagio
  3. Menuett
  4. Rondo Allegretto

 第3番ヘ長調

  1. Allegro Moderato
  2. Andante Sostenuto
  3. Finale:Adagio-Presto-Adadio-Prestissimo

 すなわち第3番をイ長調に移調して終楽章のかわりに第2番の後半2楽章を用いたのである。

まずは第1楽章のオリジナルとブリーム版を比べて見てほしい。

第1楽章 ブリーム版
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 同 オリジナル
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確かにイ長調にあげ装飾を施したことで演奏パフォーマンスは上がり華麗さも増している。
調性を変えていない4楽章も技巧的な装飾を加えてヴィルトゥオーゾ性を高めている。

第4楽章 ブリーム版
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同 オリジナル
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 ブリームは「ディアベリのもっとも良いものだけが表われるようになり、古典派時代の数少ないギター作品のレパートリーにつけ加える良い作品となったと思う。」と無邪気に語っているが、初めて聴く(弾く)人になんて罪なことをしてくれたものだ。これはもはやディアベリの作品とは別物であってブリームというヴィルトゥオーゾの興行的作品でしかなく一般のギター愛好家の普遍的な作品になろうはずがない。私自身、レコードで聴く分にはブリームの名人芸にただただ聞きほれたが、いざ自分で弾いてみると自分の技術不足以上に言いようのない弾きづらさ(特に展開部)を昔から感じていた。もともとオリジナルの各ソナタにおいて各楽章の主題的(有機的)関連性はさほど明確でないが、それしにしても、第3楽章の単純なメヌエット(それでも創意に氏触れ個性豊か)と、ブリームが手を加えた他楽章とのバランスの悪さつまり違和感(あくまでも自分の感想…)は一体なんだろう。

第3楽章 オリジナル版
Diabelli_men_o
 ちなみに、ブリーム版でも音型は、ほぼオリジナル通りであるが、発想記号やアーティキュレションはかなり変更している。例えば、冒頭はオリシデルの p  のかわりに  f sf のかわりに mf  が指示されている。

 このことは2楽章で問題になる。曲自身はハイドンの交響曲の緩徐楽章を思わせるように多声的に進行し、ソルやジュリアーニのギター臭さとは違った本格的な音楽である。

第2楽章 ブリーム版
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 同 オリジナル
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 ブリーム版も一部にハーモニックスを使用する以外はメヌエット同様にオリジナルをほぼ忠実に移している。ブリームの演奏を聴く限り名曲といっても間違いがない。ところがオリジナルの楽譜を見ると事情は違ってくる。その後半部分…

ブリーム版
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オリジナル
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 ブリーム版ではオリジナルの絶妙なニュアンスのアーティキュレーテョンの指示が全く別物になってしまっている。オリジナルを知らなければ、「ディアベリのもっとも良いものだけが表われるようになった」わけではないとんでもない作品を、ディアベリの代表作として数少ないギターの古典時代のレパートリーに加えることになってしまうところだった。幸いにも、私が言うまでもなくブリームの生み出したこの作品の不自然さ作為性を多くの方々が感じ取っておられたようで、この改竄されたソナタイ長調が流布せずにすんだことは幸いである。
 ブリームが指摘するようにディアベリの曲が特に傑作という訳でもないのも事実である。今のクラッシクギターで弾く限りオリジナルはどうしても物足りないと感じるのはやむを得ない。確かにディアベリは古今の豊かなレパートリーを抱える現代のギタリストの視点からすれば取り上げるにも足りない古くさく地味な音楽の一つにしかすぎない。
 しかし、古楽の世界にいる自分は、オリジナルの意義(またはスタイルや流儀)を尊重するという姿勢で作品に臨もうとする。
 ハイドン兄弟の薫陶を受け、音楽の大消費都市ウィーンでベートーベン、シューベルトなどの作曲家と接し彼らの作品を出版し普遍的な音楽の教養情報に接しているディアベリ。また、ギター教師として大衆の求める作品とは何かを名ギタリストであるジュリアーニとの交流を通じて知り尽くしているディアベリ。シュタウファーなどの名工とも交流があり当時のギターを熟知しているディアベリ。
 そんな彼のオリジナル作品をオリジナルの19世紀ギターで弾いてみることの意義。そこが古楽愛好家のこだわりである。実際に19世紀ギターで弾いてみるとこの3つのソナタが生き生きと蘇ってくる。
 ブリームが見捨てたソナタ第3番の終楽章の何とスリリングなこと。PrestoのMinore部分はバロック(対位法)的Alla breveによる音楽そのものである。

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 この軽妙さは、リュートの曲をギターで弾く程ではないにせよ、モダンギターでは的確には再現できないであろう。19世紀ギターの特質については竹内太郎氏や色々な方がネットで紹介されておられるが、折に触れ自分なりに感じたことをのべていきたい。

   オリジナルの19世紀ギターを弾くようになってディアベリを再認識するようになったのは何よりもブリームのこのディアベリのソナタの演奏・編曲であったは間違いない。「ブリーム編曲(版)ディアベリのソナタ」と銘うつ限りにおいて不朽の功績に違いないのだから…。また何よりもディアベリ復権を待ち望む。独奏曲ばかりでは無くウィーンの華やかな社交界を風靡したセレナードやノクターン、ポプリなどのギターを交えたアンサンブル曲がたくさん眠っている。当時の音楽が好きな我々アマチュアが弾いて聴いて楽しくないはずはない。

19世紀にギターになれ親しんでしまった今、ジュリアーニやソルなど古典時代のギター曲はもはやモダンギターでは弾けなくなってしまった自分に気がついた。

つまり、 とうに右手の爪を切ってしまった藤兵衛であった。

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ブリームの功罪2

ブリームは私が一番好きで最も影響を受けたギタリストである。彼のレコードや楽譜も手元に多数ある。その中で大変お世話になった楽譜集が

『ジュリアン・ブリームギター選集』全5巻(全音)
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 ※画像がぼやけているのは当初からついているピニールカバーのせい

 第1巻

  • ローズ  2つのギターのための組曲
  • フローベルガー 組曲イ短調
  • ブクステフーデ 組曲ホ短調
  • バッハ 組曲ホ短調

 第2巻

  • パーセル 4つの小品
  • バッハ チェロのための二つのプレリュード
  • ボッケリーニ イントロダクションとファンタンゴ

 第3巻

  • チマローザ 三つのソナタ
  • ディアベリ ソナタイ長調

 第4巻

  • モーツァルト ラルゲットとアレグロ K.299
  • シューマン こどものソナタ
  • グリーグ 三つの小品 作品12

 第5巻

  • ドビュッシー 二つのプレリュード
  • ブリテン ノクターナル 作品70
  • イーストウッド バラード・ファンタジー  

 ルネサンスから現代曲まで幅広い選曲。出版当時はまさに日本のギター界にとっては啓蒙的かつセンセーショナルな曲集であった。これまた久しぶりに繙いてみるとバッハやブリテンなどあちこちに書き込みがしてある。確かブクステフーデのリュート組曲は「大学生のギターの集い」(のような名前の大学合同の演奏会)で全曲を演奏した記憶がある。その時ゲストでポンセのホ長調のプレリュードを演奏なされた渡辺範彦氏に舞台袖で書いていただいたサインがどこかに大切にしまってあるはずだ。第1巻のローズの2台のギターのための組曲はジョン・ウィリアムズとのデュオの名演にききほれ、いつかリュートでのオリジナルの音を耳にしたいと渇望したものだ(残念ながら今だはたしえず…weep)。私がリュートに興味を持ったのもブリームによるところが少なからずあったといえる。チマローザやパーセルのチェンバロの佳品の存在も始めて知りバロック音楽への興味も喚起させられた。
 また、ボッケリーニのギターをふくむ五重奏曲「ファンダンゴ」のファンダンゴの楽章をギターとチェンバロ用に大胆に編曲した楽譜を目にし、LPで(先日触れたバッハのリュートソナタと同じ)マルコムとのスリリングな演奏で耳にしたときの興奮は今でも忘れられない。
 
『ジュリアン・ブリームギター選集』第2巻より

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同じくファンダンゴの冒頭
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ギター史に重要な足跡を残したと断言できる快挙。

 ちなみに、へンツェなどブリームが手がける多くの現代曲の虜にもなった。大学時代所属していたギターサークルの卒業演奏会でフランク・マルタンの「4つの小品」をとりあげたのもブリームの影響そのものだ。おかげで一時期マルタンのピアノ曲やオーケストラ曲にはまってしまったのだ。「4つの小品」にも影響を与えた彼の代表作(ピアノとハープとチェンバロの為!の)『小協奏曲』は傑作!。同じくチェンバロ協奏曲も隠れた佳品。そして、なによりも好きなブリテンのノクターナルは彼の以外の演奏は考えられないと今なおかたくなに信じて疑わない。

 ただし、昨日述べたように第3巻のディアベリのソナタはいただけない
(尤もこの曲を録音しているLPに触発されてジュリアーニの大序曲を何度か演奏会で披露している…)
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…といっても、その違和感のようなものを感じたのは自分が19世紀ギターに触れるようになった数年前のことである。その顛末については日を改めて書く予定である。

てなわけでトンボーのことは棚にあげてしまった藤兵衛であったbleah

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ディアベリの葬送行進曲~没後150年

 ヴァイスのトンボーを弾いていて「トンボー」について調べはじめたもののまとまりがつかなくなって頭の中がグチャグチャ。
 そういうときは気分転換と…久しぶりに19世紀ギターを取り出してみた。「さあ何を弾こうかな~」と書棚からたまたま取り出した楽譜がなんとこれ!
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  ディアベリの「葬送行進曲」!!う~ん…なんという巡り合わせcoldsweats02
しばし戸惑うが、よく見るとミヒャエル・ハイドンとマリア・テレジアにちなむ曲…
怖いもの?見たさの好奇心には勝てず繙いてみた。この楽譜にとってみれば本棚の肥やしになるところを救われた訳だ。そして、作曲者

アントン(アントニオ)・ディアベリ(Anton Diabelli 1781-1858)

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何と今日9月6日が誕生日!
ヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ…偶然とはいえ思わず背筋に何かが走る。sweat02
…ふ~っまあ誕生日だからよしとしよう。それに今年は没後150年……

   ディアベリはウィーンでベートーベンやシューベルトの作品の出版に関わった人物であり、少年の頃、ザルツブルクの聖歌隊にてかのミヒャエル・ハイドンに音楽の手ほどきをうけその後兄のヨーゼフ・ハイドンにも師事し作曲家とも知られる。一般にはソナチネや連弾などのピアノ曲で知られている(確か昔弾かされた楽譜がピアノのあたりにあるはずだ。書斎のあちこちから忘れられた楽譜たちの怨嗟の声が聞こえそうsign04sweat01)。音楽ファンにはベートーベンの『ディアベリ変奏曲Op.120』でその名が知られている。セゴビアの演奏で知られるリズミカルで洒落た感じのメヌエットなど数多くのギター曲を残している。これはあるソナタからの抜粋であるが、このソナタについてはブリームが「とんでもないこと」をしでかしている…それについては後日にゆずる。 このことにも関連するが残念ながらギター音楽の中でも知名度は低いし多くの曲は埋もれたままである。

まずは 『Trauermarsch auf den Tod von Michael Haydn Op.20
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 ミヒェエル・ハイドンの死に際し、ディアベリが葬送行進曲を書いたと聞いたことがあるが、ギター曲だったとは興味深い。ヴァイスの♭5つの変ロ短調から比べるとホッとする♭一つのニ短調。曲も行進曲ということで同じようなリズムパターン(音型)が坦々と続く。ギターの葬送行進曲といえばソルの『悲歌的幻想曲』のそれが有名であるが、ディアリベリのそれはソルや彼と交流の深いジュリアーニの作品のギター臭さとは一線を画している。曲の構成が何となくオーケストラやピアノなど普遍的な作曲手法を感じさせる。曲の出来不出来(好み)は別として声部の独立性はかなり強くオーケストレーションを施せばそれなりの曲に仕立てあがるのではないだろうか。ジュリアーニ以上にff  p の対比、スフォルツァンドを効果的に使用している。  

後半部の冒頭。

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この部分の転調の取り扱いも同様

終結部分。
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 最後の pp  の64分音符の重音の処理(表現)が意味深。

 続いて 『Trauermarsch auf den Tod von I.M.Maria Theresia Op.23』 
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 ホ短調がよく響くギターにはなじまない♭4つのヘ短調。その暗い響きは同時代にはすたれたトンボーの雰囲気をかもし出す。かのオーストリアの女帝マリア・テレジア(Maria Theresia 1717-1780)との関係はさだかではない。I.M.の意味が不明。それはさて置き、前曲と同じようにギター曲というよりクラシック音楽そのもの。低音声部などのスラーの効果によってギター曲として面目を保つ。フォルテ・ピアノの指示がそれをさらに特徴づける。前曲の48小節に対し、66小節にわたり漂うがごとく転調しながら坦々と歩みをつづける。
 いずれにせよ(葬送)行進曲という性格上、トンボーに比べると冗長かつ単調であるという誹りをまぬがれないが、彼の真骨頂の一端を示す作品でありディアベリ再発見といったところか。まあ、あまり演奏会向きでないのもたしかである…。
 験直しにジュリアーニでも弾こうかと思えども、もうすぐ午前零時…せめて19世紀ギターによるジュリアーニの協奏曲でも聴きながら床につかん…。

 気がついたら新たに「19世紀ギター」のカテゴリーを立ち上げることができて、ディアベリ様のお導き(それとも没後150年にしては寂しいとの声なき哀訴?)と畏れ入る藤兵衛であった。

明日は朝駆けbicycleやめて彼を偲ばん…。

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ヴァイスのトンボーを弾く

 ここへ来て仕事が忙しくなる。夏の疲れと不摂生もたたる。9月末の定期演奏会のソロの曲も実はまだ未定。 …という状況下…演奏会とは別に今弾いているのがこの曲。

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 言わずと知れたヴァイスの『ロジー伯の死に寄せるトンボー』である。この夏、音楽仲間の奥さんが若くして身罷わられ、追悼の意を込めてレクイエムなどのCDをよく聴いていた。先月末涼しさを感じ久々にバロックリュートを手にしたとき自然とこの曲が思い浮かんだのである。15年程前父親が鬼籍に入ったのもお盆の頃。その年の(前述の)定期演奏会で同曲を急遽演奏している。五線譜でバロックリュートと格闘していた頃の話である。6月22日の記事で紹介したEdizion Suvini Zerboni-Milano のINTAVILATURA DI LIUTO シリーズのWeiss(ロンドン版全集)版を繙いてみると確かに運指の書き込みがしてある。

Tom_not

 今から思えば我ながら驚嘆する。♭が5つの変ロ短調!しかも臨時記号たっぷりの半音階的進行満載!よくチャレンジしたものだ。その後数年間のブランクを経て、改めてタブラチュアでリュートを再開したのだが、この曲でタブラチュアのありがたさを痛感している。♭も♯も ♮ も意識せず、終結部の昇天するがごとく翔けのぼり消え行く半音階的進行のパッセージも、自然に感情表現できるからだ。五線譜だとどうしても理屈が先行する。ただし、音楽構造を理解する上では五線譜にまさるものはない。いまでこそタブラチュア(フランス式)読譜に不自由しなくなったが(イタリア式はまだ苦手sweat01)、五線譜でもバロックリュートが弾けるということは大きな財産となっている。そういえば子供のとき無理やり習わされたピアノは通奏低音(へ音記号読譜)に役立っているし、最近始めたヴィオラ・ダ・ガンバではアルト記号なども苦もなく読めるようになった。ありがたや、ありがたや…(v^ー゜)ヤッタネ!!あれれ、いつのまにかこのブログ、顔文字が引用(参照)できるようになっているぞ。お絵描き機能もついた!

 しかし何と開放弦が少ない曲だこと!……演奏会でとりあげるかは別として故人を偲ぶ(合掌)。

 もっと触れたいことがあるものの、夏ばてに勝てぬ藤兵衛であった。 

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