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クヴァンツとヴァイスとフックスそしてゼレンカ?

  クヴァンツは、1723年7月にドレスデン宮廷の同僚ヴァイスと、そののち(当時一番人気の)受難曲『イエスの死』を作曲するドレスデン宮廷(歌劇場)歌手グラウン弟(Carl Heinrich Graun 1704?~1759 昨日の8月8日が命日)と連れ立ってプラハにでかけている。目的は神聖ローマ帝国皇帝カール6世(あのマリア・テレジアの父)のボヘミア王就任戴冠式(兼皇后の誕生祝いとも聞く)で上演される壮大なオペラを聴くためである。演目は「Constanza e Fortezza(堅実さと力)」、作曲者はかのフックスである。この日のためにプラハ城(宮殿?)に隣接して4000人収容の野外ステージが設けられ、歌手100名、楽器奏者200名が動員されたと伝えられている。

     ここでやっとフックスの紹介…。  

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 ヨーハン・ヨーゼフ・フックス(Johann Joseph Fux 1660-1741)

  オーストラリア生まれ。1698年、38歳の時イタリア人を差し置いてハプスブルグ家皇帝カール6世によってウ ィーン宮廷音楽家に抜擢される。若い頃の経歴は不詳だが、イタリア修行無しにはこの職にありつくことは不可能だろう。フックスは皇帝が亡くなる1740年まで宮廷楽長として常に皇帝の側に仕えており、皇帝が彼をいたく気に入っていたのも事実である。1725年に刊行されバッハやベートーベンなど後世の音楽家も勉強したフックスの著名な対位法の理論書「Gradus ad Parnassum(パルナッソス山への階段)」に皇帝は金銭的支援をおしまなかった。また、皇帝は、1723年前述した「Constanza e Fortezza」上演に際して、痛風で苦しむフックスを丁重に椅子籠に乗せてウィーンからプラハに呼び寄せ、上演時に自分の傍らに席をしつらさせ老フックス63歳を喜ばせたとクヴァンツは伝える。尚、クヴァンツの自伝にはクヴァンツがフックスに直接教えを受けたという記述はない。現在、古式な様式(特に声楽)を留めながらもイタリアやフランス音楽を取り入れた端正な作品が数多く伝承している。  

 …話をもどそう。(えっ。やっぱりフックスは出汁だったの!?bleah) 

 クヴァンツは、そのオペラ上演に参加した音楽家(ウィーン宮廷縁の音楽家を中心に各地の一流どころが大勢加わっている)を何人か紹介している。興味深いことにフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』のフックスの項では、クヴァンツと同じドレスデンの同僚ゼレンカ(1679-1745)も参加したと紹介しているが、クヴァンツは一切そのことには触れていない。少なくともプラハで学びフックスの弟子でもあるゼレンカ44歳が若造?3人組(ヴァイス36歳、クヴァンツ26歳、グラウン19歳)とは別行動で参加したという可能性は強い。それにしても奇遇にも旅先で出会った同僚のことを紹介していないとは…不思議不思議…。しかも、クヴァンツはその大先輩ゼレンカからフックス仕込みの対位法を教授してもらっているのに…。あ~あ何と影の薄いゼレンカ…。

 話を旅の道連れ3人組にもどそう。…リーダはなんといっても年長のヴァイスだろう。彼らは本来はこのオペラを聴きにきたのである。言い出しっぺは誰?…もしかしたらヴァイスかも(根拠は後述)。ところが彼らはいつのまにか上演メンバーに加わってしまっている。ことの真相は、あまりにも入場者が多いため貴族でさえも入場制限が加えられるとの噂を耳し(実際当日その通りになった)、この危機を3人組はオーケストラのエキストラに応募するという手段でちゃっかり切り抜けたのである。クヴァンツは得意気に練習が何度も行われたおかげでたっぷりこのオペラを堪能できたと語っている。彼らがこの時請け負った楽器からみても明らかに飛び入りトラであったことをうかがわせる。クヴァンツはオーボエ、グラウンはチェロ担当といった具合だ。

 ゼレンカに対するシカトは最初からオーケスラに招聘されていたというやっかみかしらん?                 

 気になる我等がヴァイスはテオルボを担当。当然といえば当然だが…ここで真打ち登場。実はこのウィーン宮廷楽師(20数名)をはじめとする200名の混成多国籍楽団にすでに第一テオルボ奏者としてコンティ(Francesco Bartolomero Conti 1682-1732)が君臨していたのである。クヴァンツは、ウィーン宮廷で活躍していたフローレンス出身のオペラ作曲家の彼のことを「風変わりな男であるが想像力豊かで情熱的な作曲家であり当時最も優秀なテオルボ奏者の一人」であると紹介している。あくまでもトラ(借りてきた猫cat)のヴァイスはコンティヌオ奏者に徹するふりをして実は横目を使ってコンティの技術を盗まんとしていたのかもしれない。おそらくヴァイスの旅の目的はここにあったといえる。プラハに行きたい奴この指(先年かまれた傷跡が痛々しい…)とまれ~とツアー参加者を募ったのだろう。トラ参加の提案もヴァイスかもしれない。こんな近くで(4000人のしかも音しか聞こえない客席ではなくオーケストラピット内!)名人技を見ることができるのは絶好のチャンスだから…。コンティの変わり者というの評判は、レッスンなど受け付けてもらえないという不安をヴァイスにかきたてたのだろう。
 このオペラにはコンティが受け持つことを前提としたテオルボのソロが活躍するレスタティーボやアリアがしつらえてあったと考えられる。これを確かめるべくこの作品の情報…せめてCD…がないかとネットで海外まで検索にかけたのだが残念ながら見つけることができなかった。スコアは市販されているがこの目的のために買うには高すぎる…。でも、こんな頁を発見。http://xoomer.alice.it/senesino/fux.html  MIDIでこのオペラのシンフォニアを聴くことができる。いや~どこにでも好き者はいるんですな~。コンティについて後日紹介しようとする好き者藤兵衛。

 それにしても演奏メンバーに加わっていたのに挨拶もされなかったとはなんて存在感のないゼレンカ…。

 それはさておきクヴァンツのこのオペラ上演の後日談…。

  • その1 タルティーニや有能なリュート奏者メステル夫人などの演奏に接したこと。

 メステル夫人なる人物の技量や経歴やヴァイスとの交流も気になるところだが…残念ながらそれ以上のことは伝えられていない(ヴァイスがコンティに教えを受けられたのかも不明)。一方(「悪魔のトリル」で有名な)タルティーニ(1692-1770)に関してはヴァイオリンの演奏技術は高いが音楽表現・歌わせ方(演奏法)は悪趣味であるとクヴァンツはお気に召さないご様子。ちなみにグラウンの兄ヨハン・ゴットリープがこのプラハでタルティーニにヴァイオリンを師事している(『ウィキペディア(Wikipedia)』ヨハン・ゴットリープ・グラウンの項)… ??。※この兄弟は当時からよく混同されたらしい。クヴァンツの自伝の訳者も混同なされている可能性もある。   

  • その2 このフックスのオペラについての感想。

 一言でいえば、「無味乾燥、単純で教会向けのオペラである」と一刀両断…手厳しい(クヴァンツがフックスの愛(直)弟子でないことは確か!?)。ただし、こういう音楽はこのような大編成で極めてよい効果をあげていたと評価はしている(実際、演奏に加わって楽しんでいる感じではあるが…皮肉にもとれなくはないsweat01)。一方、細かい音型や装飾など創意のあふれた(今風のクヴァンツ好みな)ギャンラト様式ではこのような玉石混淆の大編成には不向きで、室内で正しいアンサンブル(優れた技量と適切な人数)によれば絶大な効果をあげると結論付けている。さすがクヴァンツ!good

 ここでもすっかり蚊帳の外のかわいそうなゼレンカ…ここまでくる彼が本当にプラハにきていたのかと疑う。クヴァンツはそんな意地悪をする人ではないと信じている藤兵衛である。

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