丸墓山と忍城(水城公園)~のぼうの城
お墓参り前の朝駆け
行田市のさいたま風土記の丘(古墳公園)の丸墓山に登る。
ついでに愛器S17を丸墓山をバックに撮影。
普段は素通りだが、お盆ということもあって敵将上杉謙信、石田三成を偲んで山頂から行田市の中心にある忍城を眺める。
彼らが攻めようとした当時の成田氏の忍城は中世の「館(やかた)」を拡大したものであって、天守閣などの大型構造物があったわけでない。しかも鬱蒼と木立繁る往時、写真のように視認できたかは疑問である。今日、近づいて見上げるのは江戸時代領主の阿部氏や松平氏※によって整備された城郭に聳えたっていた櫓(やぐら)を近年復元したもの。残念ながら天守閣は存在しなかった。この櫓は忍藩十万石を象徴する建造物である。※リュート奏者中川祥治さん縁の桑名藩より移封。現在桑名市と行田市は姉妹都市
近隣する水城(すいじょう)公園は「浮き城」と呼ばれた忍城の面影をわずかに留める。
かつての行田市の中心は中世から江戸時代にかけて沼沢が複雑に入り組み城を護ってきた。石田三成はそれを逆手にとり「水攻め」を思いつき、丸墓山を起点に長大な堤を構築する。ところが、のぼう様に率いられた敵勢に苦戦するうち、その堤が決壊しあえなく光成の目論見は失敗する。その故事が天下に鳴り響き江戸時代に「関東七名城」の一つとたたえらる。明治になり城が破却されてその堀(沼沢)もほとんど埋め立てられた。その一部が水城公園として整備された。
公園の奥に当時の城下のありさまを伝える風情が残る。
『のぼうの城』(小学館) のイメージを求め訪れる方は公園の大沼の道路反対側を訪ねるとよかろう。『田舎教師』を著した田山花袋の文学碑などもある。とりあえずhttp://www.tvg.ne.jp/gd0885791/index.htm などご覧あれ。
これから、施餓鬼に赴かんとする藤兵衛である。(8/22加筆)
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