フックスってなんなのさ~
出張から帰る。不本意な結果に周囲が落ちこむ。
後味の悪さを、フックスのCDを摘まみにしながらウイスキー(久しぶりのアルコール)で漱いでいるところ。
…なんでフックス?…フックスってなんなのさ~(ワッピちゃん風)
…については向後日を改めて…。
今夜はふて寝の藤兵衛
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出張から帰る。不本意な結果に周囲が落ちこむ。
後味の悪さを、フックスのCDを摘まみにしながらウイスキー(久しぶりのアルコール)で漱いでいるところ。
…なんでフックス?…フックスってなんなのさ~(ワッピちゃん風)
…については向後日を改めて…。
今夜はふて寝の藤兵衛
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一昨年前、ヴィオラ・ダ・ガンバを手に入れる前後にこの楽器についてネットで調べていたところ、たまたま、ラ・プティット・バンドやバッハ・コレギウム・ジャパンで活躍されているヴァイオリン奏者の寺神戸亮氏のブログで「Violoncello da Spalla(ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ)」なる楽器を発見した。
最近、復元されたこの楽器で氏自ら演奏したバッハの無伴奏チェロ組曲全集のCDが発売された(演奏会も行なわれた)ことを知り、早速購入。
この不思議な楽器を、CDの解説をもとに不肖藤兵衛が紹介してみよう。
Viola da gambaの「ガンバ(gamba)=足」に対してスパッラ(spalla)は「肩」をさす言葉である。といってもガンバ族のような一族をなしているわけではない。現在この「ガンバ族」に対してヴァイオリン族が圧倒的優勢を勝ち得ているが、この「ヴァイオリン族」という言い方は正確ではない。本来は「ヴラッチョ(braccio=腕)族」というべきである。ことの顛末は、「Viola da braccio」なる楽器が一族の中心であったが、それから派生した「Violino(小さいViola)」が一族の長の座を奪ったのみならずViolinとして楽器の代表格となったため、わざわざ「~da braccio」をつける必要がなくなったという次第である。一方、Viola da braccioの大型版「Violone」(ガンバ族でも同一名の楽器が存在)も存在した。ただ、腕に抱えるのが困難な大きさであったようで、17世紀前半、その「Violone」を小型化した「Violonciono」または「Violoncello」なるものが登場した。それでも、腕だけではもてあます大きさなのでストラップを使い肩にかけたところから「Violoncello da Spalla」という名称が生じたわけだ。
藤兵衛が思うに、このあたりから混乱が生じたのであろう。Violoncello(Violonciono)の大きさと重量とハイポジション演奏の煩わしさ(下記イラスト参照)を嫌った横着者が足で支え始めたのだ。
(挿絵注:先の寺神戸氏のリンク先のページからの引用)
それがいわゆるバロックチェロすなわち現在のチェロの流れとなる。一方、肩(腕)にこだわった正当派はハイポジションの演奏テクニックをカバーするため高音弦(e1)を付け加えた5絃の楽器を編み出したものの少数派に甘んじることになった。そのためVioloncelloといえば我々の知るチェロをさすようになったということなのだろう。ただし、この頃の楽曲にVioloncelloの指定があったときは一応本当にチェロかどうか疑ってみる必要があると寺神戸氏は指摘されている。
バッハの無伴奏チェロ組曲BWV1007-1012との関係について超要約…
バッハの無伴奏チェロ組曲第六番では「5弦の楽器で」との指定がある。腕で支える「Viola pomposa」という楽器が推定されていたが、バッハの9曲のカンターター(下記例)で技巧的に使われている「Violoncello piccolo」であることが最近の説。CDの解説では、この2つの楽器Viola pomposaとVioloncello piccoloは前述のViolonciono(Violoncello)と同一でありVioloncello da Spallaの別称であると推論。
カンタータBWV175「主は己の羊の名を呼びたもう」より第4曲アリア冒頭
寺神戸氏におかれては、実際にこの楽器で無伴奏チェロ組曲全曲をチャレンジされ、チェロよりも指使いや和音の扱いが容易になるという合理性を確認し(解説に各曲ごとに演奏レポートが添えられている)、さらに曲の成立の背景を検証し直すことによって無伴奏チェロ組曲はVioloncello da Spallaで演奏することが自然であると結論づけられ今回の快挙となったわけである。
チェロともヴィオラともガンバともちがう、うっかりするとサックスにも思えてくる不思議な音色(楽器がいかにも出来立てという感じは仕方ないが…)。端正かつチェロの重たさを感じさせない軽やかな新鮮味あふれた「すぱっらシイ」演奏(…あ~あ、とうとう言ってしまった)である。なによりも「こうでなければならない」でなく「こうしたい、こうありたい、こうであろう」と、ヴァイオリン奏者の立場で無伴奏チェロ組曲に果敢に挑戦し表現した姿勢と意欲に共感
。おすすめ!解説も一読の価値あり。
Spallaの日本語表記を「スッパラ」と誤記してしまいました。正しくは「スパッラ」のです。訂正がてら情報をお寄せいただきこの場で感謝申し上げます。
うっかり藤兵衛
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ハイニヒェンの「(テオルボをふくむ)協奏曲」について紹介してみたい。
ヨハン・ダーフィト・ハイニヒェン(Johann David Heinichen 1683-1729)
ヴェネツィアで音楽を学んでいた彼は、ケーテンのレオポルド公と知り合い1717年に音楽教師として招かれるが、ほどなくザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世に引き抜かれてドレスデンに移り40歳半ばで病死するまで宮廷楽長を努めることとなる。それまで彼はドレスデン宮廷音楽を当時一流と知られたいわゆるドレスデン風に染め上げたのである。しかし、バッハや通奏低音の研究に関連して彼の名前があがることがあっても作品自体は長いこと忘れ去られていた。
ちなみに彼がケーテンに招かれた1717年はバッハがケーテン宮廷楽長に任命された年でもあり、バッハのドレスデン初訪問の年でもある。その時の2人の関係はよくわかっていないが、後ハイニュヘンが1728年に編纂した『作曲における通奏低音』(1711『通奏低音教程』の改訂版)をバッハが自宅で委託販売しており少なくともバッハが彼から影響を受けていたことは間違いない。
1992年録音のラインハルト・ゲーベル率いるムジカ・アンティカ・ケルンのCDによって、当時まだ無名に近いハイヒェンの埋もれた協奏曲の全貌が明らかにされた。
この折り便宜的に「ドレスデン協奏曲」と命名された14曲余の作品群の内訳は以下の通り…
そして、全て長調で書かれたそれらの曲以外に、唯一の短調の曲と推定される断片楽章(Vivace)が一つ伝わっている。
全編にわたり弦楽合奏だけのものは存在せず、フルート・トラヴェルソ、ブロック・フルーテ、オーボエ、ホルン、ファゴットなどの管楽器や独奏ヴァイオリンを多彩に巧みに選択配置し、その生き生きとしたリズムと相まって他に類をみない独自の華やかな世界を構成している。何年前になるか忘れたが、藤兵衛は「こんな世界があったのか!」と衝撃をうけたのを覚えている。
その中にテオルボを含むフルート・トラヴェルソ、オーボエ、ヴァイオリン、チェロのコンチェルティーノ(独奏楽器群)と弦楽合奏(但し2楽章以外は第1第2ヴァイオリンはユニゾンで進行)からなるAllegro molto-Adagio-Allegroの3楽章形式の二長調の協奏曲(作品整理番号Seibel 226)がある。
作曲年代は不明だが、ヴァイスをはじめピゼンデルやヴェラチーニ(Vn) 、ビュッファルダン(Fl)、リヒテル (ob)らの名だたる名手が演奏に関わらないはずがない。とすると ヴァイスがドレスデン宮廷リュート奏者に正式就任した1718年以降作曲された可能性が強い。(1717年までに2度ほど彼はドレスデンを訪問しているが…)
何となくバッハのブランデンブルク協奏曲第5番の第1楽章を思わせる主題をもつ第1楽章Allegro moltoにおいてテオルボは独奏楽器群のなかでもっとも長い18小節にわたるソロを演じ、その後も他の楽器とも競い合う。
ニ短調に転じる第2楽章Adagioでは、フルートとオーボエとヴァイオリンが旋律の綾を織りなし、テオルボはリピエノから独立した音があるものコンティヌオ的な役割に甘んじる(本領発揮ともいえる)。その証拠に各所に和声数字が付加されている。
第3楽章Allegroにおいて冒頭のリトロネロの直後にテオルボは再び14小節のソロで活躍をする。しかし、その後はヴァイオリンが主導的な役割を果たしていく。
テオルボソロの冒頭
他の協奏曲と違わずドレスデン楽団員が華を織りなす粋な構成となっている。バッハのブランデンブルク協奏曲2番BWV1047と構成的に通じるような構成に思われるが、似て非なるハイニヒェン独特の世界である。いずれにせよリュートの世界にとってはテオルボの特性を踏まえてヴァイスのヴィルトオーゾ性が伝わってくる重要な作品に間違いない。ヴァイスの世界を、彼の作品だけでなくドレスデン宮廷から見るとまたちがった面白さが見えてくる。この協奏曲のミニチュアスコアが市販されるということも驚きだが、
ハイニヘェンのミサ曲やオペラなど声楽曲の出版や上演・録音も次々と進んでいるらしい。ヴァイスとコンティヌオ(テオルボ)との関係を知る上で楽しみである。そのうちハッセとヴァイスの関係に触れたいと思う。ついでにブランデンブルク協奏曲をはじめバッハとドレスデンとの関係も…と欲張る藤兵衛であった。
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今日の夕立は通り雨的におさまる。
ふと外を見ると妖しい夕焼け空。
一眼レフのデジカメをもって外にでる。
あわてて三脚を取りに戻りカメラセット…
おわ~何と電池切れ!
また取って返し携帯を構える。しっかり電柱に支えてバシャッ。
念のためもう一枚…
ぐわ~今度はバッテリー切れ!
なんとか納まったのがこれ…
不思議な色彩が撮れきれていないが、かろうじて妖しさの幾分かは記録できた。
ふとメモリーを見るとこんな写真も…
そういえば先日の出張のおり撮ったことを思い出した。
周りで2時でもないのに「虹だ~」と騒いでいたのにつられて携帯でバシャ…
これ彩雲という現象かな?
電池持ちの良いコンパクトなデジカメが欲しくなった藤兵衛である。
でも、豆に充電または持ち歩きしないと意味がない?
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昨夕、フルートとチェンバロを担当するご夫妻のお宅を訪ねてアンサンブルの初顔合わせ。
途中、ドーン、ドーンという大きな響き…今日は地元の花火大会とのこと
今朝の朝駆けで昨夜の花火大会の会場だった荒川河川敷付近をとおりぬけた。熊谷市のうちわ祭りでも話題になっていた通り、案の定そこらじゅう散乱する大量のゴミ…。早朝から大勢の人々が後始末に追われている。ほんとにお疲れさま
。散らかした彼奴ら※は 知るよしもない。しばし放置してその惨状をさらしものにして啓発したらどうか?…でもそれは近隣の人々や河川敷の動植物や環境に多大な迷惑をかけとてもむりな話。せめて写真でも掲載して知らしめんとしたが虚しくなりおもいとどまる。悪いやつらほどよく眠るとはこういうこと?…。
※(以下の一部の表現をふくめて)普段は善良な老若男女の方々に対して使うにはとても不穏当な表現ですが、ゴミの量から察するに一部の不埒物の狼藉とは思えませんので、遺憾ながら敢えて使用せざるをえないと判断した結果ですのでどうかお許しください。
熊谷花火大会が近い。
http://www.city.kumagaya.lg.jp/kanko/kumagayahanabitaikai/index.html
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昨夕は久しぶりの嵐のような雷雨。あることで帰宅のタイミングを逸したおかげで、「バケツをひっくり返す様な豪雨」とはいかなるものかを職場の駐車場で初体感するはめとなった。でも雷雨のおかげで今朝は涼しい。しかも曇り空。朝駆けにはうってつけだったが、六里ほど走って
七時過ぎには帰宅する。
というのは延期になっていたアンサンブルの初合わせが今日あるからだ。 曲はクヴァンツの「フルート・ドルチェとフルート・トラヴェルソのためのトリオソナタハ長調」
とデュパールの「(フルート)組曲第五番ヘ長調」の二曲。バスコンティヌオをヴィオラ・ダ・ガンバで担当する。
エコブームに煽られて(職場でネクタイしめたメタボのおじさんたちがガンガンクーラー効かすのに辟易しているのも手伝って)自宅のエアコン我慢気味のこの頃、楽器・ガット弦に猛暑は禁物という気遣い(言い訳)というより、暑さでの気の弛みで練習はさぼり気味。アンサンブル前にしっかり練習せねば…
ところで、ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ(Johann Joachim Quantz1697-1773)は、かのフリードリヒ大王のフルートの指南役として有名である。バッハが大王に献呈した『音楽の捧げ物』を紹介する記事で必ず名前が登場する人物でもある。バッハの伝記で「大王にひいきされたべんちゃら男」、「大王にへつらった内容のない作品を量産した」といったような記述を見かけたことがある。また「クヴァンツだけが(うまいともいえない)大王のフルート演奏のあとヴラボーということを許された※注」とか「フルートソナタ一曲つくるごとに特別報奨金が与えられた」といったエピソードを強調する記述は、大王のフルート演奏の伴奏をチェンバロでつとめながらもクヴァンツに比べ冷遇されていたエマヌエルに対する同情とやっかみである。同様に、父セバスチャンの『音楽の捧げ物』(とりわけフルートパートをわざわざ設えた労作トリオソナタ)がポツダムの宮殿では無視されたことにクヴァンツがからんでいるとは根拠のない勘繰りである。
※注:王の演奏が怪しくなるの見て取って(阿吽の呼吸で)演奏を制止するためというのが真相。
客観的にいえば、クヴァンツはフルートを含むソロやトリオソナタおよび協奏曲など数100近くの曲を作曲したばかりでなく、ヨーロッパ各地で名声を博した一流のフルート奏者であり、著作『フルート奏法試論』をもって近代フルート奏法にも大きな影響をあたえた重要な人物なのである。確かに毎回仕事でつきあわされるエマヌエルも気の毒であるが、そのおこぼれをもらって当時の日常の音楽シーンに触れられるという幸せにひたる藤兵衛である。
おっと練習なくっちゃ…。
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今日(ありゃもう午前様)は土用の丑の日、最近、中国産を国内産といつわる偽装問題で大きく揺れたばかりだ。鰻屋の店先の「国産鰻をご用意」の看板を尻目に、藤兵衛は近所のスーパーで買った台湾産の蒲焼を食した。中国産も堂々と表示されて店頭に並べられていた。台湾産よりもかなり安いので手にするお客もみうけらる。
先日紹介したBart氏のWeissシリーズ第9巻をネットで購入した際、たまたま見かけ気になっていたCDがあった。 近頃、別のCDを注文する際、思い出してついでに手に入れたのがこれである。
ヴァイスのリュートデュオコンチェルトとソナタ!しかも Suites なのだから当然ソナタ集…考えるに、かの故カール=エルンスト・シュレーダー氏による復元によるものか、新たな復元によるものか、とにかくわくわくして待つ。はやくも翌日手にし気もそぞろにプレーヤにかける。優雅にかなでられるその響きはまさにデュオ…おや?なんと予期せぬ主題!…書棚からとりだした故カール=エルンスト・シュレーダー氏のタブラチュアを見回しても該当するような楽章はない。これはなんなんだ~と興奮しながら耳をそばだてる。ここで初めてCDケースの裏面と解説書でこの最初の曲名を確認する。
Concerto in C major for two lutes
Andante-Allegro-Adagio-Gigue
典型的なヴァイスのデュオ曲の構成だ。最後のジーグで胸はいよいよ高まる。次はSuite in D minor!…と曲目一覧を一瞥し、かのタブラチュアのニ短調復元版をにらみながら待ち受ける。ゆったりと曲が始まる。えっなんかちがう。そのうちアレグロなフーガを奏で始めた。それゆえデュオではないと確信するまでにしばし時間をとられることになる。次の3調子の曲(なんかしっくりこない)であわててCDの解説に目をうつす。クーラントならぬメヌエット!「なんじゃこりゃ~」と思わず叫んだ。
Suite in D minor
Ouverture-Menuet-Sarabande-Gigue
どこにもLute Soloと書いてないが明らかにSoloじゃないか~?
…以下
Two piece in F major
Sarabande-Ciacconna
Suite in B major
Fuga-Allemande-Courante-Bouree-Menuet-Gigue
Two piece in D minor
Sarabande-Gigue
Suite in B major
Caprice-Courante-Rigaudon-Sarabande-Menuet-Gigue
Suite in D minor
Prelude-Allemande-Courante-Bouree-Sarabande
-Menuet I-Rigaudon-Menuet II-Gigue
と次々頭出しして確認して行く。その度に頭の上に何やら渦を巻き重くのしかかってくる。それでもけなげにTwo~にかすかな希望をいだきながら…。
オーマイガ~!残り全部ソロ!期待はみごとに裏切られた。「まぎらしい表題をつけるな~忌ま忌ましい!」とそのままお蔵入りになるところだった。
ふと見ると各曲につけられている整理番号がSCナンバーとはちがうことに気がついたのは幸いであった。あわてて英文の解説文をじっくり?解読してみると、何とこのCDの曲は、 2004年に新たに発見された、Harrach 家の一族が収集し所蔵していた手稿譜からのものであることが判明した。全部がヴァイスの作品ではないがロンドン版、ドレスデン版に匹敵するほどの量と興味深い異同や他の作曲家の作品がみられる貴重な曲集である。
Oh My Weiss!
たちの悪い水虫にとりつかれた足の裏のように見えるCDのカバー(表紙)が聖跡
に見えてきたのはいいが、肝心のキャッチフレーズがどこにも触れていないじゃないか~。これからの研究が待たれるこの曲集を紹介したセンセーショナルといっていい企画のCDであることに驚愕した。ひょっとしたら世界初録音か?2重の偽り(過ち)をこのCDはなしているのである。改めてじっくり聴いてみると内容や演奏もなかなか捨てたものじゃなのに…。
あ~あ、もったいない、もったいない…。看板を偽って損をするとは間抜けな話だデザイン優先てとこ?日本版が発売されたなら(されるかな
)抜け目なく帯をつけて宣伝するところかな…
ちなみに、演奏者にはBernhard Hofstotter と女流のDolores Costoyas の名があるが、これまた!!!(3度目のなんとやら)はっきりと示されていないが、ソロは前者のHofstotter氏が全編担当していると思われる。解説を見ると、佐藤豊彦氏に師事する前に、Liuto Forteなる偽リュートを引っさげて来日しリュート愛好家の期待を裏切ったとのことで一部の人には○名高いLuciano Contini氏にリュートの手ほどきをうけたとか…。
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あ~あ、勘違い
熊谷市のうちわ祭 は今日が最終日であった。
疲れがたまっているせいか? 結局訪ねる機(気)を逸してしまった。そこで、今までの記事を読み直してみた…いい加減さに驚く…。これまた後の祭りか…
例えば、7/21の記事でふれたBWV1025の成立の背景は、実際はもっと複雑だ。(『日本リュート協会会報№12』佐藤亜紀子氏の「バッハとヴァイスの競演」が詳しく紹介 )
ヴァイスの オリジナルにはないFantasiaが付加されたり、楽章の並べかえや、リュートのパートにいくつかの変更や修正がくわえられている。また、ヴァイスのオジナルの上声部をヴァイオリンのパートといれかえたチェンバロ用のパージョンが存在している。それにははっきりとバッハの自筆でCembaloと書き込みがあり、バッハ自身が手を入れているのは明白である。
二日酔いから覚めたバッハが弟子たちの書き起こした楽譜をもとに、ヴァイスのソナタの低音部に自分が昨夜演奏したメロディーをつけ直す。何としてもシラフでチェンバロでヴァイスとの競演をやり直さねば彼に失礼だと思ったからだ(そんな律儀なバッハが好き)。だが悲しいかな酔っぱらいのなせる音楽を完全に書き直すのにはヴァイスのスケジュール上時間が許さなかった。何とか、返礼の意をこめて冒頭に即席でFantasia を作曲したものの、二日酔いの疲れかあわてたのか(または思い込みで)その次にクーラントを写すという失態を演じてしまった。気を取り直して、飛ばしてしまったアントレを次に書き足し何とかそれなりの形に仕上げ終えた。
その頃にはすっかり酔いの抜けたヴァイスが顔をみせると、バッハはFantasiaでヴァイスを誘って、仕上げたばかりの2声部のチェンバロの伴奏でヴァイスのオリジナルのリュートソナタとのセッションの再演で別れを惜しむという訳だ。何食わぬ顔でニコニコ演奏するバッハ…ヴァイスは曲順が間違えられて書き留められたことなど知るよしもなく気持ちよく帰途につく…
しかし、このバッハの小細工(不始末)は、これを後に「オブリガードチェンバロとヴァイオリンのためのトリオ」に再構成したエマヌエルの機転のなさで後世あばかれることとなった(父から「これも修行の一環だ」と体よく手直しまで押しつけられた可哀相なエマヌエルに罪はない。もしかして息子のささやかな反抗か?)…という顛末を想像する藤兵衛である。
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仕事疲れにかまけていたらいつのまにか熊谷市のうちわ祭りが終ってしまった。先日終わった今回の一連の出張も祭りといってもいいイベントだったかな?
ふ~。 前回の記事はこのブログ始まって以来の長文になってしまった…。これも一種の祭りかな?
短く簡潔にがブログのコツとのアドヴァイスを受けたけど…HPでもつくって語った方が良いのかしらん…?
ちなみに最初プロフィールで使っていた写真(アーチリュートのトリプルローズ)ですけど
三つ目お化けみたいで不気味という話も伝わり、藤兵衛としてはイケテルとおもうのだが涙を飲んでのご引退と相成った。
2代目として、ある人から癒し系とのおほめをいただいたヴィオラ・ダ・ガンバ(愛器)のヘッドにご鎮座まします垂れ目がご愛嬌なかんばせのご登場。どうかお見知りおきを…
なぜかドレスデン宮廷楽団に興味津々…のマイブーム。あらよ~いっちょうドレスデン祭りといきやすか~…とはしゃいでみたものの9月の演奏会の曲目(リュート?)決めとガンバの通奏低音の練習はどうしようと悩み戸惑う藤兵衛である。
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以前紹介したが、ヴァイスのアンサンブル曲は少なくとも19曲が伝わっていると聞く。残念ながらほとんどがリュートパートのタブラチュア譜(またはデュオパート片割れ)しか残っていない。膨大な作品が伝わるリュート独奏ソナタでのヴァイスの偉大さについては周知のところである。
しかし、考えてみればヴァイスの演奏家としての活動は、彼の所属するドレスデン宮廷楽団員のテオルボ奏者としての日常的なノルマの比重も大きいことを忘れがちである。何しろ当時のドレスデン宮廷の楽団といえばピゼンデル(Vn) 、ビュッファルダン(Fl)、ハンペル(Hn) 、ゼレンカ、ハイニヒェン、ハッセ、グラウンなどの名演奏家や作曲家がひしめく、かの大バッハも度々接触を持ちその一員ならんと嘱望もしたヨーロッパ最高レベルの楽団である。せっせとリュートソロ演奏で奉仕しつつ、彼ら楽団員の名人芸をコンティヌで支えたのがヴァイスなのであり、ヨーロッパ各地を遊行しドレスデン宮廷楽団の名声を広く宣伝した彼が楽団員の中最大の高級取りと言われた所以である。
これらの協奏曲やフルートデュオは、彼らドレスデン宮廷の名手たちが演奏に関わった可能性は極めて高い。特にフルートデュオはビュッファルダン(Buffardin)によってフルートパートが演奏されたのはまちがいない。近年、ドレスデン宮廷の音楽家たちが次々と復活を遂げている中、協奏曲のオーケストラやフルートパートの消失はまことに残念なことだ。幸運なことにリュートタブラチュアが残っているものの、その性質上ほとんど日の目をみない状態であった。しかし、Peters版を始めとして、色々な復元が試みられ録音もされつつある。
故カール=エルンスト・シュレーダー氏による復元が、以前から藤兵衛ものぞいている「リュート狂によるリュート愛好家のための総合リュート情報サイト~リュート,リュート,リュート!!!」で紹介されている。復元されたタブラチュアは以下で入手できる。貴重な財産である。
http://www.asahi-net.or.jp/~ia8k-ynd/Charlie/index.html
バルト氏との録音も残されるいるがCDは残念ながら現在入手困難で耳にできない…。聴きたいよ~
ということで藤兵衛が紹介するCDがこれ。
Silvius Leopold Weiss Lute Concerti
全曲が、このCDでリュートを奏するMr.Richard Stone によって復元(再構築)されたものである。2004年の発売であるが、なぜかあまり話題になっていない。
amazonのこちらの頁やHMV(同)で購入可。
※ちなみに両方でレヴューを書いたのは恥ずかしながらこの不肖藤兵衛である。
作品番号順に並び替えて曲目を紹介。
最初の2つはロンドン版、次の3つがドレスデン版、最後のものはアウグスブルグに伝わるリュート手稿譜からのものである。
ロンドン版は、Peters版とは全く異なる新たな復元。個人的には、より技巧的に復元された今回の版に軍配をあげたい。
ドレスデン版のものは、J.S.Weissの協奏曲SC55とデュオと想定される曲(第1パートの指定書きのあるSC54・56・60と第2パートの指定書きのあるSC59)以外の「表題およびパート指定のない曲」(CDの題名は推定である)を復元している。リトルネロの部分にあたるリュートが沈黙する数字付きの長休符が各所にみられる3楽章形式のSC57は明らかに協奏曲と推定できる。しかも、かのビュッファルダンのフルートやピゼンデルのヴァイオリンがさりげなく競いあう姿が思い浮かぶ合奏協奏曲として復元されている!一方、明確にリトロネロに該当するその部分が見当たらないSC53とSC58はリュートデュオまたは他楽器とのアンサンブル曲である可能性が強いが…コレルリ的な教会ソナタ形式の協奏曲にまとめあげられている。
最後(CDでは冒頭の曲)のアウグスブルグ版には「2つのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロを伴うリュートのための5声の協奏曲」と明記されており(写真)、確実にヴァイスの本格的なリュート協奏曲と見なすことができる。(伝承の由来は不明)
ソロの出現部
Mr. Stoneは、残されたリュートパートのモチーフからは想像もつかない(バッハのブランデンブルグ協奏曲第3番やヴィオラ・ダ・ガンバソナタ第3番の第1楽章の冒頭を彷彿とさせる)長短々の溌剌としたリズムの素晴らしいリトロネロ主題を紡ぎだし、それを踏まえたリュートのカデンツァも付け加えられている。情緒豊かな第2楽章をふくめ基本的にはヴィウァルディ様式を踏まえている。
第3楽章の愛らしいメヌエット(写真)は
ドレスデン宮廷好みといったところかな?ドレスデンの宮廷楽団員のほのぼのとした競演の様子が目に浮かぶようだ。Mr.Stoneは、このメヌエットの出だしをリュートソロで再現しヴァイスの個人芸のご披露というシーンを演出している。面白い試みだが、冒頭主題提示後に常套的に初めてリュートソロとの指定があることと(上の写真3段目)、冒頭8小節のリュートの和音の配置(旋律としては弱い)からみて、リュートソロで始まることは私としては否定したい。藤兵衛的には、tuttiだと重くなるので、リュートの旋律にピゼンデルを想定したヴァイオリンソロで上声の旋律を絡ませてみるのも一興と思うが…これ如何?
というように、好き嫌いや再現方法に異論があって当然。わたくし的には協奏曲という形でヴァイスの名人芸の姿を垣間見る一つの偉大な試み(種々の協奏曲形式で構成するという心憎さをふくめ)大いに評価したい。アマゾンのレビューで触れたが、一部のギタリストがこだわる「バッハの曲は一字一句たりとも変えてはならない・付け足してはいけない」という原曲至上主義(崇拝)(と言いつつ移調することには憚らないご都合主義)は、ギターという世界を偏屈にしナルシズムの世界に自らを閉じ込めるだけであってそこからは何も創造されないし進まない。
通奏低音と装飾…すなわち即興があってのバロック音楽であり、楽譜に書かれたものが全てではないのであり、現代人にとってバロック音楽(の演奏)は今を生きている、つまり現在進行形なのだ。
「人それぞれ」のアプローチ(今回のような復元)や演奏(種々の楽器の編成の試みも含めて)があるから興味がつきないと思う藤兵衛である。
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昨日も休日出張しかも帰宅は夜10時近く
でもこれで不規則な出張はひとまず終わり…今度しっかり代休をとるぞ!
今朝久しぶりに朝駆けに興ずる。寝不足(録画していた『となりのトトロ』に昨晩つきあってしまった)と疲労の蓄積がたたりショートコースに甘んじて17㎞…
最近10才ほど年下の職場の若手の同僚の口ぐせに気づいた。こちらがある考えを述べると彼は必ず「人それぞれですから」という。ついで口から出るのはこちらの意見を否定するような御発言…。先日、たまたま気になって(…自分の考えの後につけるならわかるが、端から小馬鹿にしていると感じられ)顔にも手にもださなかったが…腹の中では超ムカピ~。
わたくし的には、「人それぞれ」とは、最悪な使い方でも「まあ、しかたないなあ」と諦観的にそれはそれとして認めるといった感じかな?と解釈してるけど…。言葉づかいは難しい。
でも私は肯定的に「こういう(興味深い)人もいますよ」というニュアンスで使い続けたいので、このブログ読まれる方は、そう解釈下さいね。
まあ、先程の彼も「人それぞれ」かな?多分自分がもっと認められたいのだろう…
今日は久しぶりの丸一日フリー日、何しようかな。
とりあえず、アンサンブルのヴィオラ・ダ・ガンバをガンバ…
おっと、このフレーズは、その世界では決して触れてはならないおそろしい禁句らしい。
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発掘途中で忘却の彼方にあった興味深いLPをいくつか再発見。
その一
ブリーム/バッハ= ヴィヴァルディ・リュート・ソナタ集
同じくブリームのリュートもの。ジョージ・マルコムとのハープシコードとの共演。
録音や販売の年の記載は解説にはないが、ブリームのお姿から察すべし…
写真からはっきりと金属フレット、サドル付きというリュートもどきの構造がみてとれる。(先の記事の楽器は別ものだが本質は同じであろう…)、ハープシコードもおそらく歴史的なものとは一線を画するものかもしれない。ぺダルで色々操作できる当時最先端?!の楽器を演奏するマルコムの姿をテレビで見た記憶がある。
曲目
J.S. バッハ(ブリーム編)
トリオ・ソナタ 第1番 変ホ長調 同 第5番 ハ長調
ヴィバルディ(マルコム編)
リュート・ソナタ ト短調
バッハの原曲はオルガンためのトリオソナタ BWV525~530からの2曲。
歴史的にはリュートとチェンバロのトリオソナタのような編成は存在しないと眉をひそめられるかたもおられるであろうが、(楽器の問題はひとまずおいといて)個人的には拍手喝采
何しろオルガンのためのトリオソナタ自体が斬新で奇抜な存在。この曲をヴァイオリン、オーボエ、フルート、リコーダーなど種々の編成で再構成したCDや楽譜が巷には色々と出回っている。(私も結構好きでこの種のCDを目にするたび手に入れてきた。)バッハ自身も第4番のソナタBWV528の一つの楽章をオーボエ・ダ・モーレとヴィオラ・ダ・ガンバというこれまた特殊な編成に再構成してカンタータBWV76のシンフォニアに流用している。
トリオソナタの一つの旋律パートと通奏低音パートをチェンバロの右手左手にそれぞれ割り振り、残りの旋律パートをしてヴァイオリンやフルートの(ソロ)ソナタとする手法もバッハの得意とするところである。BWV1039の2つのフルートのためのトリオソナタは、まさしくその手法でヴィオラ・ダ・ガンバソナタBWV1027に移しかえられている:※。また、バッハ自身の編曲かどうか定かでないがその第4楽章はオルガン用のトリオソナタBWV1027aにも編曲されてもいる。
※両者とも消失した原曲から編曲されたという説もある。
何がいいたいかというと、色々な楽器を持った人が集まれば、その楽器でその場にある曲を自分の楽器に合わせて弾くのはごく自然の成り行きであるということだ。そのいい例が最近よく話題になるヴァイオリンソナタBWV1025である。バッハとヴァイスとの戯れから生まれた作品というのがすっかり通説となったが(ほろ酔い気分のヴァイスが調子のよいリュートソナタを弾きはじめると、これまた出来上がったバッハがヴァイオリンを手に即興で乱入という場面を想像してしまうが…)、その音楽の戯れの集いにおいてオルガンとチェンバロの達人バッハが自宅の自慢のチェンバロでヴァイスのリュートと競演しないはずはない。バッハが自分のトリオソナタを紹介がてらヴァイスと演奏した可能性は高い。アンサンブルにたけているヴァイスはタブラチュアに書き換える必要はないからお手軽に競演に興じられるわけだ。その場合リュート用のパート譜をつくる必要もないので演奏の証拠は当然残らない。 逆にバッハ側で先のヴァイオリンとリュートのセッションを「面白かったぞ~」と記録にとどめようとしたなら大変だ。翌日二日酔いに苦しむ両巨匠の「勝手にしろ~」との了承のもと、ヴァイスから借り受けたタブラチュアを、リュートに心得のある弟子がチェンバロ譜に置き換え、競演に居合わせたバッハの弟子やら息子が(総手で?)記憶をたよりに酔っぱらいのヴァイオリンをけなげに音符に起こしたといったところが真相であろう。その証がBWV1025ということだ。
というわけで(内輪で楽しむ分には)無理に常識や形式にあてはめようとすると何の発展や発見もないしつまらないだけと改めておもいしらされた。常識と思われる知識もえてして思い込み、勘違い、思い上がりであるということがままあるからだ。まずは何より先達に敬意を払い、知識は柔軟に幅広く吸収せねば…と自戒する藤兵衛である。
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出張から帰って一息ついて発掘にとりかかる。
あった。あった。実に久しぶりの対面である。
ヴィヴァルディ
リュートと弦楽のための協奏曲 ニ長調
コハウト
リュートと弦楽のための協奏曲 ヘ長調
ヘンデル
二つのリュート、弦楽とリコーダーのための協奏曲 変ロ長調
ヴィヴァルディ
二つのリュートと弦楽のための協奏曲 ト長調(原曲2つのマンドリン用)
ガーディナー指揮 モンテヴェルディ管弦楽団
かのロバート・スペンサー(キタローネ)の名前も
1976年の販売である。使用楽器は解説によると「17世紀初期の8コース(14弦)のリュートをモデルとして、デヴィッド・ルビオが制作したもの」である。ルネサンスリュートもどきでバロックを演奏などとは(失礼ながら)今の視点からみれば何をかいわんやの話ではある。ただし当時としては、コハウトやヘンデルの珍しいリュート協奏曲を世(一般)に知らしめた功績は大きいだろう。私自身もバロックと古典主義の入り交じったコハウトの協奏曲が存在することに大いに驚いた。それとは裏腹にヘンデルのリュート版の復元(編曲※)および演奏スタイルに違和感と戸惑いを覚えたのも事実である。
※追記:この曲のリュートパートは現存していないらしい。またヴィオラのパートは手元のスコアではチェロのオクターブ(ユニゾン)の指示があった。
コウハウトの楽譜を求めて幾星霜…
一度、銀座の日本楽器の楽譜売り場で五線譜版の楽譜を発見したが持ち合わせがなく涙を飲む…
近年ファクシミリ版とCDを相次いで手にすることができた。それについては後述…。
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先日、黒羊紳士さんからコメントいただきました。
>リュート協奏曲と聴いて、
>ドイツのヴァイヒェンベルガーやラドルトの名が浮かびました。
>18世紀の一時期、この種の作品が大量に書かれたらしいですが、
>ソロがリュートであるためか、
>ヴァイオリン×2に低音と云う具合に、
>少数でソロの脇を固めている編成の曲が結構あるようですね。
情報ありがとうございました。
佐藤豊彦さんの『華麗なる様式』のCDの解説に「ヴァイヒェンベルガーの6つの協奏曲は、ヴァイオリンとチェロをだぶらせた(中略)基本的にはソロのリュート曲といえる」とあり、このようなスタイルが当時オーストリアを中心としたドイツ語圏で流行していたようです。
そのあと私も次のような著名な作曲家のリュート協奏曲がうかびました。
かの有名な Handel
Concerto per il Liuto e l'Harpa
オラトリオ「アレクサンダーの饗宴」で使用
Op.4-6 Organ(Harp) Concerto B-durの別稿
(あの有名なハープ協奏曲)
バッハの弟子 Johann Ludwig Krebs
F-durとC-durのリュート協奏曲 その他? 詳細不明
このヘンデルのハープ(オルガン)協奏曲もヴィオラが無く、ヴァイオリンⅠとⅡにはFlauto e Violino con sordini の指定があります。ヴィオラパートを省くのは、音量の関係だけでなく、リュートとヴィオラの音域の重複をさけたのかもしれませんね。また、確かフルートかオーボエパートがついていたようなリュート協奏曲があったような気もしますが思い出せません。
そういえば昔、ブリームがこのヘンデルの協奏曲を録音していましたっけ。お~棚からLPを発掘するのになんか時間がかかりそう…。それよりも明日は埼玉県越谷市(奥清秀さんの工房の所在地)に出張なのでそちらの準備にいそしまん。
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やっと自分の楽器紹介…
13コースバロックリュート(スワンネックまたはジャーマンテオルボ型)
数年前に手に入れたものです。コーエンはジュリアン・ブリームのためにハウザータイプのギターを製作したことでも知られる人ですが、リュートや ヴィオラ・ダ・ガンバなどの古楽器の復元にも力を注いでいました。
http://www.soundpost.co.uk/hbearly.html
古い楽器ですが、その分枯れていてよく響きます。典型的なホフマンタイプですね。
奥清秀さんに調整してもらいました。Weissや後期バロックの作品を弾くメインの楽器にしています。ただし、この種の楽器は指板上に8コースしかないため、9コース以下の押弦が必要なWeissの一部の曲や、自分のアレンジものなどでは演奏不可能なため、奥清秀さんに標準的なバスライダータイプの13コースバロックリュートを制作依頼しています。そのうち奥清秀さんのブログで制作の過程が紹介されるかと思います。 (奥さん、気長にまっていますのでよろしくお願いいたします。)
あれ?はじめての「です。ます。」文かな?! 「である」調ばかりだと疲れるので、これからは気まぐれで使い分けしていきますので、ご容赦を…
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このところ仕事が忙しくてプログもご無沙汰。明日は出張、今日はアンサンブルの初合わせの予定。
これまた久しぶり朝駆け(37㎞走破)をすませ、アンサンブルの準備のため練習をば、とケースをあけようとしたらアンサンブル中止の連絡がはいる。幸か不幸か時間がとれた。
先に紹介した「保坂晶 油絵展」を(土日が絶望的なので、必死に仕事のやり繰りをして3時間ほど休暇をもらって)訪ねた。定年退職後に創作に専念されての初めての個展にたいする想い、心境の変化など氏から色々とお話をうかがえることができた。私の目に留まったのは、片隅にさりげなくおかれていた「白い花」と題するSMサイズの小品であった。当初は「どくだみの花」という題名だったが、夫人に「どくだみじゃあまりにも(出展するのも)野暮よ!」と言われて出展するか迷われたが、「花」は前々から描きたテーマであり、暗闇に密やかに咲くささやかな色香を表現した「花シリーズ」の最初の記念すべき作品であったので「白い花」と改題して出展に踏み切ったとの裏話。描かれた星が今までの氏のコンセプトのささかなこだわり…。すでに、従来の手法を取り込んだ「花」の作品が数点飾られていた。
迷わず購入し自宅に持ちかえる。(写真)
一昨年あたりから気になっていた「うずまき」シリーズの一枚も目に留まったが、すでに先約あり
これで氏の作品は4点目、どこに飾ろうか思案中…
埼玉県熊谷市の八木橋デパート5階アートサロンで7月15日まで開催
是非お出かけを
※写真を撮ったついでに私の所蔵楽器のいくつかを撮影する。そのうち少しずつ紹介の予定…
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ドイツの Trekel 社のカタログで発見した
無名?の作曲家たちの作品
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Alessandro Stradella(1644-1682)
合奏協奏曲 ニ長調
Karl Siegmund Freiherr von Seckendorff(1744-1785)
リュート四重奏曲 変ロ長調
Anton Wilhelm Solnitz (1708-1760)
3声のソナタ 変ロ長調
Johann Pfeiffer(1697-1761)
リュート協奏曲 変ロ長調
Hans Conrad Kleinknecht ?
リュート協奏曲 ハ長調
Filippo Ruge ?
リュート協奏曲 変ホ長調
Toeschi ?
リュート協奏曲 へ長調
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そのうちStradellaは情事のもつれで殺されたイタリアのオペラ作曲家、他人のオペラのネタになったとかで…その世界では知られた人。(録音されている作品も多い)
その他の何人かは生没年だけは調べられたが、ほとんどは経歴等は不詳…録音されているかもつかめない。時間と交通費をかけてグローヴ音楽辞典を調べに某図書館にゆくまでもないか…。Trekel社の同シリーズのKohautとHaydnの作品が手元にあるが、それから察するに楽譜も校訂や解説もないfacsimile版のようだ。そのうち目(耳)にしてみたいものだが、そこまで手がまわらない…。
尚、同Trekel社 のリュート関係の出版物は、Falkenhagen、 Hagen 、Durant、Kohautなどバロック後期(末期)の貴重なfacsimile版が勢ぞろい。そちらはすでに我が手中に納まっている。
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ここんところ音楽のことがおざなりなってしまった。(明日は休暇をとったことだし)
ということで…
ヴァイスのドレスデン版の巻末(第6巻)のリュートパート(またはデュオ曲の片割れ)のみ伝承しているコンチェルトやアンサンブルの一群について想いを巡らしているうち、リュート協奏曲を書いた作曲家はどの位いるのだろうかとふと気になった。
弦楽合奏を伴うリュートソロコンチェルトや、通奏低音ではなく独立したリュート(テオルボ)パートを有するコンツェルト・グロッソ(合奏協奏曲)を残した有名?どころの面々は…
ファッシュ
ハーゲン
コハウト
ヴィヴァルディ
ハイニヒェン
ファルケンハーゲン
デュラン
ヴァイス(確実にジギスムンド、ほぼ間違いなくわれらがレオポルド)
ハイドン(編曲ものだし様式的にもちょっと違うかな…)などが
ざっと頭にうかぶ。
(原語での表記はうろ覚えなのが多いのでとりあえず日本語で表記…こちらも曖昧?)
他にもコンツェルトと称してもリュート独奏曲や、オブリガートパートがついたトリオソナタ的作品を残している無名?な作曲家も何人かいる。
そのうちの多くは録音で聴くことができる(まさに隔世の感)が、不完全な形で伝承されているものも多…
…
…
いかん、いかん…今日の作業の疲れが…
機会があったらいずれまとめてみたいと思う。
…といってお茶を濁す藤兵衛であった。
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まいが~!
「19世紀ギターの展示会とコンサート」今日だった!なぜか日曜日だと思い込んでいたのである。奥さんすみませんでした。
ということで、いつもの朝駆けもしっかりしてしまう始末(40㎞走破)。
今日は、いつものコースから熊谷市まで足を伸ばした。
あった。あった。噂の例のものが…。
熊谷市は、町興しのアイデアとして日本一暑い町を売り物にしている。
http://www.city.kumagaya.lg.jp/kanko/meibutsu/atuizo/index.html
地元商店街がPRのためこの温度計を設置したのである。確か去年40.9度を記録し、最高温度40度の旧温度計では対応できずに、この夏新しい温度計に取り替えたということだ。それにしても気温50度という設定は、いくらなんでも冗談がきつすぎると思う。(温暖化防止の戒めにしても…)
しかし、朝8時過ぎなのにこの温度!
そこでお口直し
ここ熊谷市の八木橋デパート5階アートサロンで7月9日~15日に開催される「保坂 晶 油絵展」のご紹介。
同市出身の氏の作品は、時間の移ろいを独特の感性で表現している風景画が多い。私も3点ほど自宅に飾っている。今年、教職を退かれますます活躍が期待される方である。
関東一の祇園祭と呼ばれる「熊谷うちわ祭り」 (内輪祭りではない…)が近づく。
町中、祭りの準備に余念がない。
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リュートや古楽器あれこれ書きたいことがありすぎてまとまらないので、
愛器より先に愛車を紹介。
この初春、運動不足解消のためサイクリングをばたしなまんと思い立ち、何かいい自転車がないかとネットであれこれ物色していたら目にとまったのがこれ「S17」
リカンベントというタイプ。リカンベントとは”寝そべる”という意味らしくこれは”もどき”ということで”セミリカンベント”が公称のようである。こぐのが楽そうと思うやいなや衝動買いしたものの・・・・世間様の間に踏み出すまで、まさしく躊躇、躊躇・・・・ところが、乗りだすとこれが快感、とにかく楽しい、面白い。すれ違う人のほとんどが目が点になるのもこれまた一興。写真は初遠出の記念に地元の「さきたま風土記の丘」で撮影したもの。リンクで紹介したカスタム掲示板を見つけあれこれとパーツをつけて紹介もした。詳細はまた後日ということで・・・・。
ちなみに、背景の丸墓山という日本一最大の円墳(古墳の一種)。戦国時代には上杉謙信や石田三成も登ったという由緒正しき?古墳でもある。この古墳と石田三成にまつわる因縁は最近話題になっている『のぼうの城』(小学館) という小説を読まれるとよろし。
参考まで
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仕事が早くはけたので夕駆けに打って出た。夜討ちは物騒とふんでのことだが、なかなかどうして「逢魔が時」とはよくいったものだ。こわいこわい、やたらと路地や駐車場の出入り口から車や自転車や人やら犬やらが飛び出す、飛び出す。まさに危機一髪の回避行動にて難を避け続けられたのは奇跡!でも、その度に相手に睨まれる。むしろ褒めてもらいたいくらいだ。加害者にならなくてありがとうと・・・・ちょっと違うかな?・・・・ギラギラした夕日とムシムシした大気と今日一日の勤労による疲労がなせることと思い込む。
ならばと、次にまみえるコンビニの前では最徐行ときめこむ・・・・おっとっと!まさに道路に出ようとしていた車と遭遇・・・・キ~キッ!と止まった車内からオバサンが私を見てニッコリコックリ・・・・思わずこちらもコックリニッコリ・・・・しばし車上のオバサンと変な自転車にまたがるオジサンがしきりに首を振りまくり周囲の人々の時間と目を奪う事となった・・・・
ということで、今晩は、気持ちよく今日のノルマのヴァイスのソナタ1曲(ドレスデン版イ短調シリーズの続き)を弾き終えた。でも、たまたま「不実な女」とはこれいかに?・・・・ロンドン版と異同が多い。
明日も仕事が早くはけたら、どうしよう・・・・
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