カテゴリー「19世紀ギター」の4件の記事

リウト・アッティオルバート~MELIIの作品集その1

 「リウト・アッティオルバートのため」とはっきり謳っている作品にピエトロ・パオロ・メリ(Pietro Paolo Melii1579~1620?)の「INTAVOLATURA DI LIUTO ATTIORBATO」全5巻がある。

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 イタリアのSPES社からファクシミリが出版されている。この出版社はイタリアのリュート音楽のレパートリーを数多く出版しているが、序文(解説)がイタリア語のみなのである。大学で第二外国語はドイツ語専攻の自分では解読するのはとても至難。初めて手に入れた時、第1巻(Libro Primo)に相当する巻が欠けており、アバウトなイタリアのことだからなあ~…とかなりあせる。しかし、これらを収納しているカバー(紙ケース)は4巻分ちょうどの大きさ。もしやと思い、序文を見当をつけて垣間見ると、第1巻は消失してしまったらしいことが何となくつかめたという体たらく。
 気を取り直して簡単そうな曲を見つけては片っ端から弾いてみた。あまり旋律的でない曲が多い。う~ん第3巻(Libro Terzo)は途轍もなく変。しばらくしてスコラダトゥーラ(変調弦)を要することに気がつく。ただでさえイタリア式タブラチュアとリウト・アッティオルバート自体にもまだ不慣れな私にはお手上げ。だが、他の巻のあちらこちらに魅力的な音楽が散りばめられているではないか!

 その幾つかの曲の中で一番気に入ったのが第4巻(Libro Quarto)の「アルフォンシーナのコレンテ(Corrente detta l'Alfonsina)」。

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 Meliiの代表作の一つに数えても良い心地よいイタリア的なメロディックな曲。ここ数日憑かれたかのように弾きこんでいる。いい音楽には理屈は要らないが、イタリア語の辞書にかじりついてでも序文を解読しMeliiの実像を探りたいと思うくらい首ったけになってしまった。CDならば英文の解説は載っているに違いないと期待を抱く。でているのかしらん?

 おっと、明日は休日出勤。大切なイベントがあるし、その後の打ち上げパーティにも参加しなければならない。イベントは当然ながら宴会にても居眠りしないように今日は早めに床に入らねば…。あ~午後11時に迫る。今日はここまで。ろくに校正していないので、ご容赦を…。

  久しぶりに外で飲むことになりワクワクどきどきの藤兵衛であった。

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ブリームの功罪2続き~ディアベリのソナタ

  ブリームがしでかした「とんでもないこと」とは何か?
昨日紹介した『ジュリアン・ブリームギター選集』第3巻に掲載されているディアベリの「ソナタ イ長調」のことである。

ブリームによるこのソナタの曲目解説より抜粋

…彼(ディアベリ)はたいへんにすぐれたギターの教師でもあり、3つの大きなソナタを含めて100曲以上のギター曲を作っている。ギターの作品は非常に上手に作られているものの、音楽的な水準がソナタの全楽章を通じて高く保たれているとは言い難いので、2曲のソナタの中から優れた楽章を2つずつ-ヘ長調のソナタの最初の2楽章(イ長調に直してある)とイ長調のソナタの終わりの2楽章-をとって組み合わせた。こうした結果は、ディアベリのもっとも良いものだけが表われるようになり、古典派時代の数少ないギター作品のレパートリーにつけ加える良い作品となったと思う。

 つまり、このイ長調のソナタは寄せ集めの編曲ものなのである。

 もとのディアベリの作品を紹介しておくと

3つのソナタ Op.29

 第1番ハ長調

  1. Allegro
  2. Andante Cantabile
  3. Menuett
  4. Rondo Allegretto

 第2番イ長調

  1. Allegro risoluto
  2. Adagio
  3. Menuett
  4. Rondo Allegretto

 第3番ヘ長調

  1. Allegro Moderato
  2. Andante Sostenuto
  3. Finale:Adagio-Presto-Adadio-Prestissimo

 すなわち第3番をイ長調に移調して終楽章のかわりに第2番の後半2楽章を用いたのである。

まずは第1楽章のオリジナルとブリーム版を比べて見てほしい。

第1楽章 ブリーム版
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 同 オリジナル
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確かにイ長調にあげ装飾を施したことで演奏パフォーマンスは上がり華麗さも増している。
調性を変えていない4楽章も技巧的な装飾を加えてヴィルトゥオーゾ性を高めている。

第4楽章 ブリーム版
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同 オリジナル
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 ブリームは「ディアベリのもっとも良いものだけが表われるようになり、古典派時代の数少ないギター作品のレパートリーにつけ加える良い作品となったと思う。」と無邪気に語っているが、初めて聴く(弾く)人になんて罪なことをしてくれたものだ。これはもはやディアベリの作品とは別物であってブリームというヴィルトゥオーゾの興行的作品でしかなく一般のギター愛好家の普遍的な作品になろうはずがない。私自身、レコードで聴く分にはブリームの名人芸にただただ聞きほれたが、いざ自分で弾いてみると自分の技術不足以上に言いようのない弾きづらさ(特に展開部)を昔から感じていた。もともとオリジナルの各ソナタにおいて各楽章の主題的(有機的)関連性はさほど明確でないが、それしにしても、第3楽章の単純なメヌエット(それでも創意に氏触れ個性豊か)と、ブリームが手を加えた他楽章とのバランスの悪さつまり違和感(あくまでも自分の感想…)は一体なんだろう。

第3楽章 オリジナル版
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 ちなみに、ブリーム版でも音型は、ほぼオリジナル通りであるが、発想記号やアーティキュレションはかなり変更している。例えば、冒頭はオリシデルの p  のかわりに  f sf のかわりに mf  が指示されている。

 このことは2楽章で問題になる。曲自身はハイドンの交響曲の緩徐楽章を思わせるように多声的に進行し、ソルやジュリアーニのギター臭さとは違った本格的な音楽である。

第2楽章 ブリーム版
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 同 オリジナル
Diabelli_and_o1

 ブリーム版も一部にハーモニックスを使用する以外はメヌエット同様にオリジナルをほぼ忠実に移している。ブリームの演奏を聴く限り名曲といっても間違いがない。ところがオリジナルの楽譜を見ると事情は違ってくる。その後半部分…

ブリーム版
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オリジナル
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 ブリーム版ではオリジナルの絶妙なニュアンスのアーティキュレーテョンの指示が全く別物になってしまっている。オリジナルを知らなければ、「ディアベリのもっとも良いものだけが表われるようになった」わけではないとんでもない作品を、ディアベリの代表作として数少ないギターの古典時代のレパートリーに加えることになってしまうところだった。幸いにも、私が言うまでもなくブリームの生み出したこの作品の不自然さ作為性を多くの方々が感じ取っておられたようで、この改竄されたソナタイ長調が流布せずにすんだことは幸いである。
 ブリームが指摘するようにディアベリの曲が特に傑作という訳でもないのも事実である。今のクラッシクギターで弾く限りオリジナルはどうしても物足りないと感じるのはやむを得ない。確かにディアベリは古今の豊かなレパートリーを抱える現代のギタリストの視点からすれば取り上げるにも足りない古くさく地味な音楽の一つにしかすぎない。
 しかし、古楽の世界にいる自分は、オリジナルの意義(またはスタイルや流儀)を尊重するという姿勢で作品に臨もうとする。
 ハイドン兄弟の薫陶を受け、音楽の大消費都市ウィーンでベートーベン、シューベルトなどの作曲家と接し彼らの作品を出版し普遍的な音楽の教養情報に接しているディアベリ。また、ギター教師として大衆の求める作品とは何かを名ギタリストであるジュリアーニとの交流を通じて知り尽くしているディアベリ。シュタウファーなどの名工とも交流があり当時のギターを熟知しているディアベリ。
 そんな彼のオリジナル作品をオリジナルの19世紀ギターで弾いてみることの意義。そこが古楽愛好家のこだわりである。実際に19世紀ギターで弾いてみるとこの3つのソナタが生き生きと蘇ってくる。
 ブリームが見捨てたソナタ第3番の終楽章の何とスリリングなこと。PrestoのMinore部分はバロック(対位法)的Alla breveによる音楽そのものである。

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 この軽妙さは、リュートの曲をギターで弾く程ではないにせよ、モダンギターでは的確には再現できないであろう。19世紀ギターの特質については竹内太郎氏や色々な方がネットで紹介されておられるが、折に触れ自分なりに感じたことをのべていきたい。

   オリジナルの19世紀ギターを弾くようになってディアベリを再認識するようになったのは何よりもブリームのこのディアベリのソナタの演奏・編曲であったは間違いない。「ブリーム編曲(版)ディアベリのソナタ」と銘うつ限りにおいて不朽の功績に違いないのだから…。また何よりもディアベリ復権を待ち望む。独奏曲ばかりでは無くウィーンの華やかな社交界を風靡したセレナードやノクターン、ポプリなどのギターを交えたアンサンブル曲がたくさん眠っている。当時の音楽が好きな我々アマチュアが弾いて聴いて楽しくないはずはない。

19世紀にギターになれ親しんでしまった今、ジュリアーニやソルなど古典時代のギター曲はもはやモダンギターでは弾けなくなってしまった自分に気がついた。

つまり、 とうに右手の爪を切ってしまった藤兵衛であった。

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ブリームの功罪2

ブリームは私が一番好きで最も影響を受けたギタリストである。彼のレコードや楽譜も手元に多数ある。その中で大変お世話になった楽譜集が

『ジュリアン・ブリームギター選集』全5巻(全音)
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 ※画像がぼやけているのは当初からついているピニールカバーのせい

 第1巻

  • ローズ  2つのギターのための組曲
  • フローベルガー 組曲イ短調
  • ブクステフーデ 組曲ホ短調
  • バッハ 組曲ホ短調

 第2巻

  • パーセル 4つの小品
  • バッハ チェロのための二つのプレリュード
  • ボッケリーニ イントロダクションとファンタンゴ

 第3巻

  • チマローザ 三つのソナタ
  • ディアベリ ソナタイ長調

 第4巻

  • モーツァルト ラルゲットとアレグロ K.299
  • シューマン こどものソナタ
  • グリーグ 三つの小品 作品12

 第5巻

  • ドビュッシー 二つのプレリュード
  • ブリテン ノクターナル 作品70
  • イーストウッド バラード・ファンタジー  

 ルネサンスから現代曲まで幅広い選曲。出版当時はまさに日本のギター界にとっては啓蒙的かつセンセーショナルな曲集であった。これまた久しぶりに繙いてみるとバッハやブリテンなどあちこちに書き込みがしてある。確かブクステフーデのリュート組曲は「大学生のギターの集い」(のような名前の大学合同の演奏会)で全曲を演奏した記憶がある。その時ゲストでポンセのホ長調のプレリュードを演奏なされた渡辺範彦氏に舞台袖で書いていただいたサインがどこかに大切にしまってあるはずだ。第1巻のローズの2台のギターのための組曲はジョン・ウィリアムズとのデュオの名演にききほれ、いつかリュートでのオリジナルの音を耳にしたいと渇望したものだ(残念ながら今だはたしえず…)。私がリュートに興味を持ったのもブリームによるところが少なからずあったといえる。チマローザやパーセルのチェンバロの佳品の存在も始めて知りバロック音楽への興味も喚起させられた。
 また、ボッケリーニのギターをふくむ五重奏曲「ファンダンゴ」のファンダンゴの楽章をギターとチェンバロ用に大胆に編曲した楽譜を目にし、LPで(先日触れたバッハのリュートソナタと同じ)マルコムとのスリリングな演奏で耳にしたときの興奮は今でも忘れられない。
 
『ジュリアン・ブリームギター選集』第2巻より

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同じくファンダンゴの冒頭
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ギター史に重要な足跡を残したと断言できる快挙。

 ちなみに、へンツェなどブリームが手がける多くの現代曲の虜にもなった。大学時代所属していたギターサークルの卒業演奏会でフランク・マルタンの「4つの小品」をとりあげたのもブリームの影響そのものだ。おかげで一時期マルタンのピアノ曲やオーケストラ曲にはまってしまったのだ。「4つの小品」にも影響を与えた彼の代表作(ピアノとハープとチェンバロの為!の)『小協奏曲』は傑作!。同じくチェンバロ協奏曲も隠れた佳品。そして、なによりも好きなブリテンのノクターナルは彼の以外の演奏は考えられないと今なおかたくなに信じて疑わない。

 ただし、昨日述べたように第3巻のディアベリのソナタはいただけない
(尤もこの曲を録音しているLPに触発されてジュリアーニの大序曲を何度か演奏会で披露している…)
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…といっても、その違和感のようなものを感じたのは自分が19世紀ギターに触れるようになった数年前のことである。その顛末については日を改めて書く予定である。

てなわけでトンボーのことは棚にあげてしまった藤兵衛であった

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ディアベリの葬送行進曲~没後150年

 ヴァイスのトンボーを弾いていて「トンボー」について調べはじめたもののまとまりがつかなくなって頭の中がグチャグチャ。
 そういうときは気分転換と…久しぶりに19世紀ギターを取り出してみた。「さあ何を弾こうかな~」と書棚からたまたま取り出した楽譜がなんとこれ!
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  ディアベリの「葬送行進曲」!!う~ん…なんという巡り合わせ
しばし戸惑うが、よく見るとミヒャエル・ハイドンとマリア・テレジアにちなむ曲…
怖いもの?見たさの好奇心には勝てず繙いてみた。この楽譜にとってみれば本棚の肥やしになるところを救われた訳だ。そして、作曲者

アントン(アントニオ)・ディアベリ(Anton Diabelli 1781-1858)

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何と今日9月6日が誕生日!
ヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ…偶然とはいえ思わず背筋に何かが走る。
…ふ~っまあ誕生日だからよしとしよう。それに今年は没後150年……

   ディアベリはウィーンでベートーベンやシューベルトの作品の出版に関わった人物であり、少年の頃、ザルツブルクの聖歌隊にてかのミヒャエル・ハイドンに音楽の手ほどきをうけその後兄のヨーゼフ・ハイドンにも師事し作曲家とも知られる。一般にはソナチネや連弾などのピアノ曲で知られている(確か昔弾かされた楽譜がピアノのあたりにあるはずだ。書斎のあちこちから忘れられた楽譜たちの怨嗟の声が聞こえそう)。音楽ファンにはベートーベンの『ディアベリ変奏曲Op.120』でその名が知られている。セゴビアの演奏で知られるリズミカルで洒落た感じのメヌエットなど数多くのギター曲を残している。これはあるソナタからの抜粋であるが、このソナタについてはブリームが「とんでもないこと」をしでかしている…それについては後日にゆずる。 このことにも関連するが残念ながらギター音楽の中でも知名度は低いし多くの曲は埋もれたままである。

まずは 『Trauermarsch auf den Tod von Michael Haydn Op.20
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 ミヒェエル・ハイドンの死に際し、ディアベリが葬送行進曲を書いたと聞いたことがあるが、ギター曲だったとは興味深い。ヴァイスの♭5つの変ロ短調から比べるとホッとする♭一つのニ短調。曲も行進曲ということで同じようなリズムパターン(音型)が坦々と続く。ギターの葬送行進曲といえばソルの『悲歌的幻想曲』のそれが有名であるが、ディアリベリのそれはソルや彼と交流の深いジュリアーニの作品のギター臭さとは一線を画している。曲の構成が何となくオーケストラやピアノなど普遍的な作曲手法を感じさせる。曲の出来不出来(好み)は別として声部の独立性はかなり強くオーケストレーションを施せばそれなりの曲に仕立てあがるのではないだろうか。ジュリアーニ以上にff  p の対比、スフォルツァンドを効果的に使用している。  

後半部の冒頭。

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この部分の転調の取り扱いも同様

終結部分。
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 最後の pp  の64分音符の重音の処理(表現)が意味深。

 続いて 『Trauermarsch auf den Tod von I.M.Maria Theresia Op.23』 
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 ホ短調がよく響くギターにはなじまない♭4つのヘ短調。その暗い響きは同時代にはすたれたトンボーの雰囲気をかもし出す。かのオーストリアの女帝マリア・テレジア(Maria Theresia 1717-1780)との関係はさだかではない。I.M.の意味が不明。それはさて置き、前曲と同じようにギター曲というよりクラシック音楽そのもの。低音声部などのスラーの効果によってギター曲として面目を保つ。フォルテ・ピアノの指示がそれをさらに特徴づける。前曲の48小節に対し、66小節にわたり漂うがごとく転調しながら坦々と歩みをつづける。
 いずれにせよ(葬送)行進曲という性格上、トンボーに比べると冗長かつ単調であるという誹りをまぬがれないが、彼の真骨頂の一端を示す作品でありディアベリ再発見といったところか。まあ、あまり演奏会向きでないのもたしかである…。
 験直しにジュリアーニでも弾こうかと思えども、もうすぐ午前零時…せめて19世紀ギターによるジュリアーニの協奏曲でも聴きながら床につかん…。

 気がついたら新たに「19世紀ギター」のカテゴリーを立ち上げることができて、ディアベリ様のお導き(それとも没後150年にしては寂しいとの声なき哀訴?)と畏れ入る藤兵衛であった。

明日は朝駆けやめて彼を偲ばん…。

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